保護と管理は違う

●元首相の奥様が・・・

平成10年、全国豊かな海づくり大会が、徳島県で開催されたときのことです。大会前日の歓迎レセプションの待合室で、私の隣に偶然、元首相の奥様がお座りになりました。緊張した私は、「水産庁で資源管理を担当しております」と自己紹介をしました。

そうすると、奥様は私の方に大きく体を向き直し、「いやー、あなたは本当にいい仕事していますね。すごく大切なことです。私もいま資源保護には大変関心を持っています。」とおっしゃられました。その後あれこれ話がはずんだのですが、どうもどこかでずれてしまうところがあるのです。どうしてそうなったか。わかりやすくいうと、奥様にとってはジュゴンもマサバも同じだったのです。一般の方には利用を目的とした資源管理を資源保護(自然への負荷を減らすこと、魚を獲らないこと)と同じという風に受けとめられるのだなーと、気づいたのでした。

 ●二つの例示

確かに、水産庁の資源管理部と環境省の自然環境局の仕事の違いがわかっていない、ややもすると「漁師は魚をいじめる悪い奴」ととらえがちな陸上の方々に、どうすれば保護と管理の違いを分かりやすく説明できるか、その後私はずーと考えました。そこで思いついたのが、以下の二つの例示です。

 (1)漁師と汚水を垂れ流す工場主とは違う

自然に負荷を与えるという側面から見れば、漁師もこの工場主も同じように見えるかもしれませんが、ここには大きな違いがあります。

工場主が汚水を垂れ流し、自然(環境)が悪化しても工場の機械が動かなくなったりせず、その被害者は外部の人ですが、自然(資源)が悪化した場合の一番の被害者は、その自然を利用する漁師そのものです。もちろん消費者にも影響はありますが、輸入水産物や肉などの代用品があり、生活の糧を失う漁師とは比較になりません。

では、漁師の方が自然に優しいのかというとそうはいきません。工場主が浄化設備を整えれば、その問題はすべて解決します。しかし、自然そのものに依存する漁業は、極論すると自然を利用(過激保護論者はこれを「資源乱獲」という)しないかぎり生きていけず、自然が悪化しては生きていけないという、自己矛盾を抱えた特殊な産業です。漁業者の数は一定で変わらないのに、資源はおおきく変動しその事前予測が困難なことから、資源が減少に向かった時には、結果的に獲り過ぎが起こることは避けられません。この問題は永遠に解決しない漁業の宿命のような気がします。逆に言えば、「乱獲するなー、キャン、キャン」と隣の家のスピッツのように、ブログやツイッターで吠えまくっている一部の学者は、漁業が存在する限り、一生食いはぐれることはないということです。漁業で食べていく人、それを批判し食べていく人、同じ生態系に住む人間として、まことにご同慶の至りであります。

 話をもとに戻しますが、奥様に「ジュゴンは保護すればそれでおわり、マサバは利用もするし保護もする」「保護とは一方向(⇒)、管理とは双方向(⇔)」それが違いですと、答えれば1分で終わったのかもしれません。

 (2)オオカミに羊の番をさせる

これは自主的資源管理のコツとして良く使われる逆説的な比喩です。この場合、一般の自然保護においては、自然が羊でオオカミが開発企業とでもしておきましょう。資源管理では、羊が資源でオオカミが漁師となります。そこで、自然保護と資源管理を同意にとらえる人から見れば、何を血迷ったことを「開発企業にその地の自然保護を任せればそこを汚染するに決まっている」となります。実際もこのことわざの本来の意味の通りでしょう。しかし、「漁師に資源管理を任せれば乱獲するに決まっている」とは必ずしもならないのです。

 なぜか、より具体的に説明しましょう。

私が資源管理を担当していた時のことですが、アフリカの国の政府関係者が日本の資源管理を勉強に来ました。そこで、自主的資源管理を体系化した資源管理型漁業を説明する際に、この比喩を用いました。ところが、質疑応答の時間になり、「とても自分の国では無理、そんなことをしたら、全部食べられてしまう」とし、どうしてそれが日本ではできるのかと不思議がっていました。

 私は、そのとき以下のように答えました。

確かに局所的にはそういうことがあるかもしれません。しかし、食べる食べられるの関係でつながっている生態系では、羊を食べ尽くす前にそのオオカミの数も減っていくように、資源に依存する漁師も減っていき全部食べてしまうことはないと思います。何度も獲り過ぎて困った経験を持つ地域では、資源が危なくなれば漁獲を抑制しようという潜在的な知恵というものがあり、それをうまく引き出す、オオカミを信用する、これが資源管理のコツです。

さらに付け加えたのは、この方式が通用しない漁業もあるということです。

漁業と言ってもいろいろあります。最近急に発展した漁業には、そのような知恵が備わっていません。遠くからその時だけ魚を獲りに来る漁業などにおいては、他に食べる羊がいるためそこを食べ尽すかもしれません。また、その漁業が地域で生きていくための生業(なりわい)なのか、それとも一時の投資先にすぎない営利目的の漁業かでも違ってきます。かつての北洋漁業など、いつ締め出されるかわからない「一寸先は闇」の国際漁業においても同じでしょう。持続性より当面の利益を優先する漁業には、自主管理は向いていません。

 何が言いたいかというと、保護と管理の違いは「オオカミには、羊の保護はできませんが、管理はできます」ということです。おそらく、こう奥様に言ったら「なにか禅問答みたいで、さっぱりわかりませんわ」と言われたでしょう。

●死ぬのは私だ 

以上、一般の方に、保護と管理の違いについて理解していただく際の、苦労の一端を披露させていただきましたが、簡単に言えば、保護には自然の悪化がその原因者からみて「外部不経済」として位置づけられるのに対し、管理は資源の悪化がその原因者からみて「外部不経済」として切り離すことができない、その違いではないでしょうか。

 最後にそれが端的に表れた事例をご紹介しましょう。私が資源管理担当をしていた時のことです。今は規制改革会議の意向を踏まえた「IQ」「ITQ」の導入に熱心なKさんが、私の指導が甘いとよく批判していたので、「では一度漁業者協議会で、直接説明しては」と誘いました。そばでじっとそのやり取りを見ていましたが、とうとう最後に漁業者がブチ切れて、言った言葉が以下でした。

「獲るな、獲るなと、そんなこと言われなくてもわかっている。それでも獲らざるを得ない。もう放といてくれ。資源が悪化し死ぬのは私だ。あなたではない。」

1 comment for “保護と管理は違う

  1. 秋山太郎
    2015年2月3日 at 11:06 PM

    力生さん、「ブログ」立ち上げ、おめでとうございます。
    やはり、力生さんは、常に、世界に向かって、佐藤自らの考えを発信していかなければならないのです。もう、そういう立場になっているーーー、と僕は想います。タイトルについて、保護・管理という言葉がありますが、「管理」はふさわしくないのではないかと思いましたが、ブログを見て、少し納得しました。
    『コモンズ』の表紙の写真、このブログの象徴にもなっている。
    全国の皆さんが、力男さんの含蓄ある時々刻々のコメントを待っているはずです。引き続きの奮闘努力を期待し、祈り上げます。
    取り急ぎ、秋山拝

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です