TPPが大筋合意しました。不思議でしょうがないことがあります。なんで、農業団体も漁業団体も「ダメなものはダメ」といわずおとなしいのか。「来年の参議院選をみていやがれ!」と怒りまくってもよいはずなのに。まったくその声が聞こえてきません。
漁業関係者の中からは「ピンチをチャンスに」という余裕の声すら聞こえてきます。
東京から遠く離れた地方の、しかも離島にいる私が情報に疎くおかしいのでしょうか。
秘密裏に行われたTPP交渉結果の国内議論はこれからやっと始まるというのに、未だ国会批准という勝負が残っているのに、早々と「対策ありがとうございます」で本当によいのでしょうか。
1 見事なまでの完敗ぶり
かつて、米国自動車業界は、TPP交渉への日本の参加を拒否するよう、大統領に求め「TPP交渉に日本が参加すれば、交渉が数年にわたって長引き、おそらく実を結ぶことはないだろう」と語ったといいます。
しかし、この予想に反し合意しました。
それは日本が「米国が日本製自動車に対する関税(2.5%)を25年目に撤廃」という合意を受け入れたたためでしょう。そもそも、25年先にわずか2.5%の自動車関税を引き下げる約束など、その時になってだれも覚えていないのではないでしょうか。TPPによる日本の唯一の国益分野だった自動車業界からさえも「2.5%の撤廃に何十年もかかるのかと、TPPの輸出促進効果を疑う声が出ている」といいます。
ということは、日本側も「攻めるべき点は攻め、守るべき国益は守る」の約束に基づき、攻めるべき最重要品目がこのザマだったので、守るべき最重要品目の農林水産物についても外交の基本原則『相互主義』により「関税2.5%分を25年目に引き下げる」というラインで頑張ったはずですが・・・とおもったら、なんと概略以下の通り。
品目 | 主な合意内容 |
コメ | 米国・豪州向けに最大年8万トンの無税輸入枠 |
小麦 | 米国・加・豪州向けに最大年25万トンの輸入枠 |
牛肉 | 現行38.5%を16年目に9%に |
豚肉 | 現行1キロ482円の低価格品関税を10年目に50円に、現行4.3%の高価格品関税を10年目に撤廃 |
鶏肉 | 関税を6~11年目に撤廃 |
アジ・サバ | 関税を対米国は12年目に、それ以外は16年目に撤廃 |
カツオ・マグロ サケ・マス類 | 関税を即時~11年目に撤廃 |
コンブ・ワカメ・ヒジキ | 関税を現行比15%削減 |
(時事ドットコムより引用)
見事なまでの完敗です。野球に例えれば「0.25対33」ともいえるさんざんな結果で、コールド負けです。ではこの後どうなるか。昭和39年に関税撤廃された木材の事例を見てみましょう。
なんとこの悲惨な状況になった木材を、自由貿易促進派は「関税撤廃の優等生」と称しています。
農業も漁業もこの「優等生」と同じ道をたどる可能性は極めて高いと思います。とりわけ畜産業へ影響は計り知れないものになるでしょう。これで店頭のバターの品切れが増えることになります。
39%という先進諸国のなかで最低の日本の食糧自給率が、今回の合意でさらに低下することは間違いありません。日本国民を飢えに晒す危険性をさらに高めてまで得られた国益とは一体何なのでしょうか。
TPP交渉に参加すればこうなることが予想されたのに、まさに
飛んで火にいる夏の虫
にもかかわらず、自ら火に飛び込んだ虫が「ピンチをチャンスに」(安倍内閣総理大臣記者会見:平成27年10月6日)はいくら何でもないでしょう。本当にこんな受け止め方でよいのでしょうか。
2 鈴木宣弘東京大学教授の大筋合意に対する評価ペーパー
鈴木宣弘東京大学教授は、農業経済学の専門家で、これまでTPPに反対という立場から、多くの著作『よくわかるTPP48のまちがい―TPPが日本の暮らしと経済を壊すこれだけの理由』(農山漁村文化協会, 2012年)などを有し、メディアを通じても積極的な発言をしてこられた方です。
以前から鈴木教授はその著書を読んで存じ上げていましたが、なんと三重県出身で、しかも私がいる鳥羽磯部漁協の共済課長さん(女性)と中学校の同級生だったのです。その課長さんはえらそうに、東大教授にむかって「ノブヒロ」といっています。どんなに偉くなっても呼び捨てにできるのが、同級生の特権ですね。
そこで「これノブヒロのペーパー」と渡されたのが「TPP大筋合意の真相と農林水産業への影響」でした。それは、28ページにも及ぶもので、それを読むとTPP交渉における日本政府の対応は「負けというより背任に近い」というのが率直な感想でした。
私は、政権与党であった当時の民主党がTPP交渉への参加を表明したころから、未だ内容もわからないのに、もろ手を挙げて賛同した主要メディア報道の偏向性に強い疑念を有しており、TPPの真実が国民に正確に伝わっていないことを憂慮してきました。
今回の大筋合意に対する主要新聞の見出しも、「日本経済に追い風」「工業分野攻めて成果」「世界最大の経済圏に」「新たな成長の糧に」「開かれた経済連携に」など、政府発表のトーンで埋め尽くされ、批判的な記事はほとんど見られません。
「日本経済に追い風」が本当なら、これまで20年間の一貫した貿易自由化の流れにおいて生じた「安い輸入品が出回り、それ以上に給料が下がる」デフレ不況をどう説明すればよいのでしょうか。小学生レベルの知識でも、おかしいと思うことを堂々と見出しに掲げる大新聞は全く信用できません。
そこで、大政翼賛会ではない観点からの大筋合意の評価を知りたいと思っていたところに、鈴木教授のペーパーをタイミングよく入手でき、大変ありがたく思いました。その内容は多岐にわたるだけでなく、交渉当事者から内々入手したらしき情報も含まれており、是非とも皆さんに読んでもらいたい貴重な資料です。全文を私がここで紹介するわけにはいかないので、これは重要と思ったところのみを以下に要約してみたいと思います。
(1)TPP効果への反論
TPPの効果と政府が宣伝していることへの鈴木教授の反論で、私の印象に強く残ったものを列挙します。(ペーパーからの引用部分は斜字)
・明るい未来があるかのように見せかけているが、ベトナムの賃金は日本の1/36で、投資や人の自由化は、日本の雇用を減らし賃金を引き下げる。
・消費者には価格低下のメリットがあるが、日本の税収40兆円のうち1割を占める関税収入の大半を失い、それだけ税負担を増やす必要があるので相殺される。
・輸入価格の低下の多くが流通部門で吸収され小売価格はあまり下がらない。
・自動車部品調達率55%以上を受け入れたが、TPP域外からの調達が多い日本車はこの条件のクリアーが難しい。
・大型車の25%関税は30年かけて撤廃なので、報道せずに隠した。
・国会決議(注)で除外又は再協議となった重要5品目は関税分類上586品目であったが、それを5品目ではなく、5「分野」に言いかえ、5分野の細目の最低1つずつでも除外できれば、5分野を守ったとし、586品目のうち3割(174品目)が撤廃され、586品目を死守するという約束はあっけなく吹き飛んだ。
・輸入先がTPP域外の水産物は関係ないというが、TPP域内国からの輸入に置き換わる可能性(貿易転換)がある。
・食の安全は守られるというが、牛肉の成長ホルモン、乳製品の遺伝子組み換え牛成長ホルモン、BSE、遺伝子組み換え(GM)食品のさらなる拡大、食品添加物の基準緩和や表示などの問題がある。
(注)国会決議の内容
一 米、麦、牛肉・豚肉、乳製品、甘味資源作物などの農林水産物の重要品目について、引き続き再生産可能となるよう除外又は再協議の対象とすること。十年を超える期間をかけた段階的な関税撤廃も含め認めないこと。
二 残留農薬・食品添加物の基準、遺伝子組換え食品の表示義務、遺伝子組換え種子の規制、輸入原材料の原産地表示、BSEに係る牛肉の輸入措置等において、食の安全・安心及び食料の安定生産を損なわないこと。
三 国内の温暖化対策や木材自給率向上のための森林整備に不可欠な合板、製材の関税に最大限配慮すること。
四 漁業補助金等における国の政策決定権を維持すること。仮に漁業補助金につき規律が設けられるとしても、過剰漁獲を招くものに限定し、漁港整備や所得支援など、持続的漁業の発展や多面的機能の発揮、更には震災復興に必要なものが確保されるようにすること。
五 濫訴防止策等を含まない、国の主権を損なうようなISD条項には合意しないこと。
六 交渉に当たっては、二国間交渉等にも留意しつつ、自然的・地理的条件に制約される農林水産分野の重要五品目などの聖域の確保を最優先し、それが確保できないと判断した場合は、脱退も辞さないものとすること。
七 交渉により収集した情報については、国会に速やかに報告するとともに、国民への十分な情報提供を行い、幅広い国民的議論を行うよう措置すること。
八 交渉を進める中においても、国内農林水産業の構造改革の努力を加速するとともに、交渉の帰趨いかんでは、国内農林水産業、関連産業及び地域経済に及ぼす影響が甚大であることを十分に踏まえて、政府を挙げて対応すること。 |
(2)TPP効果のそもそも論における疑問
上記のような各論以前の問題として、鈴木教授ペーパーにあった以下の「FTAごとの日本の経済厚生変化の比較」表をみてTPPとは、もともと日本の利益になるものであったのかどうかという根本的な疑問が湧いてきました。
その理由は、この表にある
・TPPは他のアジア中心のFTAに比較して日本のメリットが最少
・TPPでは農業・食料を除外した方が「例外なし」より日本の総利益は増える
という2点からです。
特に2点目の農業・食料を除外した方が日本にメリットがあるという「逆説的」事実については、素人の私には驚きでした。鈴木教授の説明では
「農業を除外しないと、TPPで排除される中国(コストが安い)などからの輸入が米国などからの輸入に転換することによって消費者の利益が大きくは増えないため、関税収入の減少と生産者の利益減の合計が消費者の利益増より大きくなるからである(貿易転換効果)。」
ということです。わざわざメリットが少なく犠牲の大きいTPPという枠組みに参加する理由は一体どこにあったのでしょう。
やはり、以前から一部で言われていた通り、TTPとは「アメリカが日本を守ってやっているのだから、その代償を経済(アメリカが得意とする品目・サービスの日本への輸出拡大)で支払え」以外の何物でもなかったようです。
とすれば、TPPは多国間の枠組みですが、その真実はアメリカの要求に添うための隠れ蓑であり、加えて日本の経済界には「食料は作るな、買え」という考え方があり、貿易の自由化に一貫して反対してきた農業や漁業が、確実に衰退する今回の合意は、口に出さなくても心の中では歓迎しているでしょう。
だから、経済界にはTPPによって工業製品の輸出増でメリットを得ようとする意図は(工場が外国に移転済みなので)はじめからなく、ほとんど中身が空っぽの合意案でも、農業・漁業が潰れるなら大いに結構と簡単に譲歩したのではないでしょうか。
こう考えると、以下の日本政府による一連の背任的行為もすんなりと理解でき、まさに「ぞっと」する思いになりました。
(3)日本政府による背任的行為
鈴木教授のペーパーで一番驚いたのは、ほとんど完敗状態にあるTPP合意を「撤退も辞さない」と蹴って帰るどころか、逆に日本政府が率先してまとめようとした以下のような背任的行為でした。これでは、まるで「夏の虫が消えかかった火を自ら起こしに行った」自殺行為のようなものです。
・7月末のTPP閣僚会議の決裂を踏まえ、TPPには無理があるのではないかという疑問に立ち返るべきであったが、決着ばかりを急ぎ日本の必死の工作で9月30日のアトランタ会合が設定された。
・TPA(オバマ大統領への一括交渉権限付与)法案成立のために、日本政府が億単位の資金を米国ロビイストに投じて反対派議員の説得工作を行った。
・12カ国のTPPが頓挫しても、日米合意が実質的に履行されるよう、わざわざ日本が、参加国の85%のGDPを占める6カ国で、つまり実質的に日米2カ国でTPPを発効させるよう提案を行った。
このほかペーパーには、7月末のTPP閣僚会議の決裂の前から自民党が議決したTPPで守るべき国益6項目が全面的に破たんしており(軽自動車の税金1.5倍、自由診療の拡大、全国郵便局窓口でA社の保険販売、BSE・ポストハーベスト農薬など食品の安全基準の緩和、ISDSへの賛成など)、しかもこれを「TPPとも米国とも関係なく自主的にやった」としながら、TPP合意の付属文書にその内容が出されているなど、鈴木教授の表現によると「国民を馬鹿にしているとしか言いようがない」とする多くの事例が紹介されています。
このペーパーにある「フロマンさんと甘利さんの徹夜でふらふらになった演技はすごい」が妙に説得力があり、今の日本政府を信用してよいのか、強い疑念がわいてきました。
(後編につづく)