気象学になくて、資源学にあるもの

●天気管理士?                             

 テレビの天気予報コーナーに「天気予報士」が出てきます。ある日「天気管理士」という肩書の人が出てきたら、視聴者はどういう反応をするでしょうか。おそらく放送終了後「あのインチキ野郎を二度と出すな」と、テレビ局には抗議電話が殺到するでしょう。理由は簡単、人間にお天気様は管理できないからです。

 一方、魚の世界では、そのような資格制度があるわけではありませんが、「資源変動予報士」のほかに「資源管理士」もいます。しかしこの管理士に「インチキ野郎」とだれも文句を言いません。どうしてでしょうか。それは「人間は資源を管理できる」と思い込んでいるからでしょう。

 

近年の気象予報技術の進歩は目覚ましく、気象警報に基づく避難勧告などとの関係で、ピンポイントのエリアでの予測もできるようになっています。気象予報にかける予算・人員、観測体制、知見の蓄積、スパーコンピューターを使った解析技術などあらゆる点で、気象学が資源学に勝っているでしょう。

しかし、そこまで精度が高く予報できるなら、そろそろ管理もできそうなもの・・・と、バカなことをいう人はいません。せいぜい人間のできることは、晴れなら洗濯物を干す、暴風雨なら逃げる、日照りが続けば雨乞いをする、です。

 資源学における変動予測は、気象よりも大きく遅れているとはいえ、科学的知見が積み重ねられ年々進歩しています。これにより、さらに適格な資源管理も可能になってくる、私もそう思っていました。しかし、最近、ある調査報告を聞いて、むしろその逆ではないか。科学的知見が得られるほど、人間が管理できると思っていた部分は、ほんのわずかで、実は、人間の手におえない要因で資源は大きく変動している、が明らかになってきているのではと感じてきました。

その報告とは、茨城県水産試験場回遊資源部長の海老沢良忠氏の「房総から三陸海域のまき網を中心とした浮魚資源の変動と海洋環境の関係」です。残念ながらその報告は会場においてパワーポイントで説明されたことから、そこで発表された図をお見せできませんが、茨城県沖の海水温が低いときには、多くのマイワシの稚魚が生き残り加入してくるというもので、その見事なまでの相関には驚きました。

 

  • 無知に気づき智に近づく

この報告に対する私の受け止め方は、二つです。

(1)資源の変動は、環境(この場合は水温)に大きく影響されることから、その観測により、資源変動予測の精度を高めることができる。

(2)資源の変動が、環境(水温)で決まる場合、人間の力でその環境(水温)を変えることができないかぎり、その資源の管理はできない。

 これは、何かに似ていますね。そう、「資源」を「お天気」に置き換えれば、予報士はいても管理士はいない気象学の世界と全く同じです。にもかかわらず、このような状況下にある資源でも、人間が管理できると主張する資源管理士がいれば、「このインチキ野郎」と言われても仕方がありませんね。

科学的進歩が、人間が科学的に管理してきたと思い込んできた虚構を暴き、その限界性を明らかにしていくとは、全く皮肉なものですね。しかし、昔からいわれるように「無知に気づくのは、智へ大きく近づくことだ」と、前向きに受け止めるべきでしょう。

 減少したマイワシ資源について、いろいろ議論がなされてきました。

一部の学者は、マイワシが減ったのは乱獲のせい、ここまで低レベルになったのに禁漁にしないのは信じられない、これでは絶滅させるようなもの、などと言っておりましたが、今やそれが中位・増加の資源評価となっています。

本当に人間の力で管理できるものなら、やるべきでしょう。しかし、マイワシが減ったのは「1988年から数年間連続して1歳までの生残率が極端に悪化したためであり,乱獲により親魚が減少したためではない」(中央水産研究所)の見解も考え合わせると、減るのも、増えるのも、自然のおぼしめしが大きく関与しているということを認めざるを得ないと思います。

それにしても、あれほどわめき散らしていた絶滅資源学者はどこに行ったのでしょう。ぜひ弁明を聞いてみたいところです。

  • 現場で感じたアニミズム

私は、平成24年3月末に水産庁を退職して以来2年間、三重県の熊野市と鳥羽市で、イセエビ刺し網漁業、小型定置網漁業、カキ・ノリ・ワカメの養殖業などの手伝いをしてきました。なお、その際の経験を、日刊水産経済新聞に延べ43回にわたり連載し、同新聞社のホームページでご覧になれますので、ご興味のある方は左のリンク集(水産経済新聞 連載)からどうぞ。

 漁業現場に出たことで一番強く感じたことは、いろいろなものを与えてくれる海の有難さと、同時にその気まぐれさでした。何か少しアニミズムの原点というものすら感じることができました。

熊野市でのイセエビ漁では、毎日同じことをしていても、日々魚の種類と量が大きく異なりました。漁師の方が長年の経験則から、「今日は絶対獲れる」といっても結果はざんざんなことも多くありました。

鳥羽市での解禁後のイセエビ漁では、2013年は少なかったのですが、2014年は過去20年間でも一番というように多く獲れました。なぜ昨年は多かったのか。夏の豪雨が伊勢湾の塩分濃度を下げ、それを嫌う(低塩分にめちゃめちゃ弱くすぐ死ぬ)イセエビが湾口部の鳥羽あたりまで移動してきたというのが、80歳を超えたおじいさんの説。それに対し現役の漁師である息子さんは、雨が降ったのは鳥羽も同じとその説を否定。喧々諤々の議論をされていましたが、結論は「わからない」。

 私が自然環境と生き物とのデリケートな関係を痛感したのは、カキ、ノリ、ワカメの養殖業からでした。

これらの養殖業では、毎年人為的に種苗が安定的に添加されるにもかかわらず、その後の成長がその場所によって大きく違うのです。ほんのちょっとした環境の違いがこれほどまで生き物に影響するとは本当に驚きでした。もちろん年ごとにも大きく違うとも聞きました。生態系でいえば、基礎生産を担う低レベルに位置する生物すら環境に大きく影響されるのなら、その上位にある魚類なども環境に大きく左右されないはずがありません

 水産庁の机の上で資源管理をしていた時も、なかなか当たらない資源変動予測が気になっていたのですが、このような現場経験を通じ、海というものの大きさとその変動を体感すると、資源管理に取り組む人間とは「お釈迦様の掌の上の孫悟空」のような気がします。

では、ここらで少し小話を

 釈迦「たいそう威張っているようだが、いったい、お前はいかなる道を修しえたというのか?」

悟空「T大大学院を出て、水産資源を持続的に利用するための資源管理の理論的な研究で、日本水産学会論文賞及び日本水産学会奨励賞を受賞したこの俺の力を知らぬとは、さてさて愚かなやつ。俺は多くのフォローアーを持つブログを持ち、マスコミにも引っ張りだこだ。俺がIQ・ITQで日本の乱獲を止めてやる。」

釈迦「大きなことを言うものではない」

「何を!」と腹を立てた悟空は、いきなり釈迦の掌の上に跳り上がり「俺の力をN県のホッコク赤エビの資源管理で見せてやる!」と言いも終わらず觔斗雲に打乗ってたちまち日本海の方に行ってしまいました。

(この小話は、現在進行形ですので、ここまでです)

 

  • 環境重視の新理論に期待

人間の力でどこまで資源の管理ができるのだろうかと、漠然とした疑問が高まってきているときに、私は、この疑問にピッタリくる論文に偶然出会いました。それは、東京海洋大学桜本和美教授の「生物学における密度依存効果という幻想」という論文です。なお、この論文は「アクアネット 2014年12月号 湊文社」に、よりわかりやすい内容で投稿されていますので、ご参考いただければと思います。

私がこの論文にひかれた理由は、現場で感じた資源変動の感覚に近いからであり、つまり、現行の考え方では、「子の数は親の数で決まる」のに対し、新しい考え方では、「子の数は親の数と環境で決まる」とした、その環境重視のところです。

それにしても、「MSY理論」を否定するようなことを資源学者が言っては仕事がなくなってしまわないか、これは資源管理の常識を根底から覆す新理論ではないか、と驚いています。

正直、桜本教授の論文を正確に理解していないかもしれませんが、私なりの解釈で①漁師の日ごろからの疑問、②現行の考え方からの回答、③新しい考え方からの回答、という問答形式で、新しい考え方を整理してみたいと思います。以下はその違いを強調するためにあえて極端化しており、誤解を生むところが大いにあるかもしれませんが、あくまで私の解釈としてとらえてください。

 

 漁師の疑問(1)

毎年同じような獲り方をしているのに、漁獲量が大きく違う。これは漁獲というよりもそれ以外の要因からではないだろうか。

 →現行の考え方:毎年加入してくる子の数は、親の数で決まるので、漁獲量の増減は親の増減が要因となる。

→新しい考え方:毎年加入してくる子の数は、親の数だけでなく、環境変動が大きく影響するので、漁獲量の増減は環境変動が重要な要因となる。

 

 漁師の疑問(2)

昔から、魚は増えるときには増え、減るときには減るという言い伝えもある。それは正しいのか。

 →現行の考え方:それは間違いである。増加するのは親が多い(漁獲圧力が低い)からであり、減少するのは親が少ない(漁獲圧力が高い)からである。

→新しい考え方:それは正しい。子の数は親の量(漁獲圧力)よりも環境の良し悪しで決まる要因が大きいから。

 

 漁師の疑問(3)

魚が減ってくれば、漁師は獲り控えをする。しかし、その後増えるときもあれば、なかなか増えない時もある。それはどうしてか。

 →現行の考え方:資源が減少するのは、獲りすぎである。よって回復しない時にはより漁獲量を減らすか禁漁にしなければならない。そうすれば資源は必ずその段階から回復する。

→新しい考え方:資源が減少するのは、環境が悪いからである。よって、漁獲をより減らしても増えるとは限らない。ただし、環境が改善した時に備え一定量の親を残しておくための漁獲抑制は必要である、親が10尾か100尾かでは当然子の数も10倍違い、回復へのスピードが違ってくるから。

 

  • 不確定性には漁師の力学で

そろそろまとめに入ります。

現行の資源管理の基礎となっている「MSY理論」は、密度効果ありを前提とし、親と子の関係が一定の方程式で成り立つ、例えればニュートン力学の定義のように、「物体に、初期値すなわち「位置と運動量」を与えれば、その物体の運動は完全に決定される」のような考え方ではないかと解釈します。

一方、桜本理論では、密度効果は存在せず、子は親の量と不確定性を持つ環境により決定される、例えれば量子力学(漁師ではない)の定義のように「原子や分子、電子、素粒子などでは、位置と運動量の両方を同時に正確に確定することができない」のようなもので、位置を親の量に、運動量を環境変動に当てはめたイメージです。

不確定性を持つ量子の振る舞いをどうとらえていくか、そこで登場したのが量子の確率分布を数学的に記述する量子力学だったようです。

それでは、加入する子の数が不確定性を持つ場合に、昨年よりも漁獲圧力を半分にしようとするときにどうすればよいのでしょうか。誰が考えても漁獲数量制限ではありませんよね。なぜなら、それ自体が環境により決定される不確定性をもつのですから。

その一方で、日本型漁業の伝統である漁期や漁場の制限などで漁獲努力量を半分にすれば、加入が100でも200でも対応できます。やはり不確定性に対応できる、経験則から生まれた漁師の力学とはすごいものだったと再認識したところです。お、念のため申し上げておきますが、資源は環境で変動するとはいえ、元になる親を好きに獲ってよいとしているわけではありません。そこは勘違いしないようにする必要があります。

 

大陸棚が発達せず、環境変動に影響を受けやすい浮魚が漁獲主体の我が国周辺資源において、資源管理の手段として、数量管理(TAC)は限界があり、ましてそれに基づくIQ・ITQは何をか言わんではないでしょうか。私が、資源回復計画での漁獲圧力の削減手段として、環境でいくらでも変わる漁獲数量(TAC)の削減は用いず、あくまで漁獲努力量の削減(休漁など)で臨んだことは間違っていなかったと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4 comments for “ 気象学になくて、資源学にあるもの

  1. お魚ランナー
    2015年5月3日 at 8:59 PM

    佐藤さん,お久しぶりです.ブログを拝見し,ご活躍のほど,大変うれしく思います.また,ご退職の際,私も同時に水研C.へ出向となったため,同じロシアンスクール(?,ナホトカ組ですが)だったのにご挨拶もできずに大変失礼しました.
    さて,私事ですが,実は,アフター5は「天気予報士」ならぬ,「気象予報士」として活動しており,その関係で若干ながら気が付きましたので,コメントを書かせていただいた次第です.
    簡単に申しますと,資源管理も気象予報も同じ「科学」に立脚して行われる点は共通していますが,資源管理は予想の精度について,まともな議論をしないまま,棚上げ,もしくは無視して,1年後,5年後,10年後も,同じ精度で予想が成立するという前提で議論を進めているような気がしてなりません.
    「ある数量のABCを5年間,守り続けたら資源はMSYを維持する水準に回復する」なんて話が資源評価会議などでよく囁かれますが,果たして5年間も環境条件等の予想を支える条件が同一のまま維持されるかどうか.答えは当然,NOで,5年後や10年後の資源量など,予想対象が遠い将来になればなるほど,架空の議論をまくし立ているのに等しいと思います.
    その点,気象の世界は科学の限界を十分に認識しており,前日の夕方に翌日降水があるかどうか予想しても当たる確率は85%.このため,有意な予報も72時間後までが限界で,それより後の予報には予報精度に合わせてA~Cの「当たる確率」が付されています.また,1か月以上の長期予報は,あくまでも目安でしかありません.
    要は,資源学者も上っ面だけの「科学」ばかり振りかざすのではなく,自らの科学の精度の限界について真面目に考えるべきだと思います.TAC制度導入時に,科学的に無理が多いとしてABC設定に反対した研究者も多かったようですが,「出来る範囲でいいから」という某行政機関に押し切られた弊害が,何時まで経っても改められない気がしてなりません.
    長々と書いてしまいましたが,そのうち,三重県内でマラソン大会でもあれば,是非,立ち寄らせてください.佐藤さんの益々のご活躍を期待しております.

  2. Murakami Kento
    2016年5月26日 at 6:25 PM

    初めまして。私は大学です。
    少し質問させていただきたいです。
    佐藤さんの記事を読ませていただきました。
    私も、漁獲努力量の調整が日本に適していると思います。
    ただ、世界銀行の予測によると2030年に、他地域の漁獲量はプラスであるのに対し、日本の漁獲量だけがマイナスになっています。

    何故、日本の漁獲量が減ってしまうと予測されていると思いますか?
    そして、これから日本の漁業はどのような策を講じるべきでしょうか?
    私は、MSCの活用が解決につながると考えているのですが、どうですか?

    • Murakami Kento
      2016年5月26日 at 6:29 PM

      先ほどの文章に訂正する箇所があります。
      申し訳ございません。

      訂正箇所:大学です。
      訂正後:大学生です。

      • 佐藤 力生
        2016年5月26日 at 8:42 PM

        私も以前その世銀の予想を見ましたが、なぜそういう予測をしたのかの
        具体的根拠が示されていなかった(どこかで公表されているのかも
        しれませんが)ので、過去のトレンドを単に引きのばしたのではないかと
        推測しました。

        また、漁獲量と資源量は必ずしも一致しませんので、このところを明確に
        分離し予想したのかどうかも、チェックが必要でしょう。魚価が安く燃油が
        高い状況では、CPUEが増加しても漁獲量が減少していることになりますから。

        大学で資源学を専攻しておられるとすれば、ぜひ、その疑問を研究テーマにして論文として発表されることを期待します。

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