杉原千畝と佐藤幸徳

公務員の身分保障は何のためにあるのか

 

 会社でも役所でも、組織に勤めた以上上司と部下の関係がついて回ります。部下が上司の命令に従わなければ、組織は成り立ちません。しかし、その上司の命令がおかしいと感じたらどうすればよいか。これは、勤め人にとって最も難しい問題だと思います。

 

 私は現役の頃、漁業者の前でよく講演をしました。ある時、講演が終わると一人の漁業者が私に近づいてきて、「あなたは好き放題のことを言っているが、よく役所をクビになりませんね」と聞かれました。私は「役人は法律で守られているので、悪いことをしない限り、正しいことを言ったからといってクビになりません。ご安心ください。でも出世はできませんけどね(笑)」と答えました。

 

私が、現役の水産庁の役人に言いたいことは、公務員の身分が「法定の事由による場合のほかは、職員の意に反して、降任、休職、免職されない」と守られているその理由を常に忘れないで欲しいことです。公務員は、憲法第15条第2項「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」に基づき、全体の奉仕者(公僕)として公共の利益のために勤務する、となっています。それが時々の政権の意向により、簡単に「君はクビね」となったら、時の政権の利益にのみ奉仕する公務員だらけになり、政権にとってはありがたい「メル私~僕」になってしまいます。例えば、裁判官はさらに身分が強く保障されていますが、仮にそうでなく、法務大臣が「君、この裁判は無罪ね、そっちは有罪でね」と命令し、裁判官が「ご下命とあらば、ご無理ごもっとも」と従ったらどうなるでしょう。この世は闇ですね。

 

議論なき時代にこそ公務員の役割が重要ではないか

 

私の気のせいでしょうか。現行の政権与党が衆参両院で安定多数以上の議席を占めてから、だんだん政策決定の過程の闇が深まってきている気がします

 

月光仮面ではありませんが、どこのだれかが決めたのかも判然としない政策が突然マスコミに流れ、それが予党内での審議手続きに一通りには懸けられます。しかし、与党議員は小選挙区制の中で次の選挙での非公認を恐れてか、異論を唱えることもなく、結局官邸の意向に右向け右で決まる。例えば、昨年の農協改革では「なぜJA全中の指導権・監査権を廃止すれば、農家の所得が向上するのか」という質問に、とりまとめに当たった稲田朋美政調会長ですら十分な説明ができない(注)ままに決まったと聞きます。これでは、「TAC、IQで日本漁業を成長産業に」という嘘でも簡単に与党内でまかり通ってしまいそうです。

 

 (注)日本農業新聞は、平成27年1月下旬、全JA組合長を対象に、「中央会制度がJAの自由な経営を阻害していると思うか」と、「全中監査がJA役員の経営者としての自覚や責任感を損なわせていると思うか」について尋ねるアンケートを行った。全694JAのうち95%が回答。その結果、「そうは思わない」が前者で94%、後者で96%だった。 

 

本来であれば、まともな議論も行われずスローガンがそのまま施策に決まることに、警鐘を鳴らすのがマスコミの役目であるはずですが、最近の報道では、ほとんど政権批判の記事は見られない気がします。むしろ、マスコミこそが率先して中身のないスローガンをまき散らしているようにさえ思えます。にもかかわらず、まだ足りないのか、高市早苗総務相は、放送事業者が政治的公平性を定めた放送法違反を繰り返した場合、電波停止を命じる可能性についてまで言及しました。

 

本来、安定多数を得た政権ならば、自信をもって国民の議論を喚起し、それをもとに政策を積み上げていく余裕があると思いますが、これではまるで独裁政権のようです。なにかおかしいと思わざるを得ませんが、ナチス党政権も民主的手続きを経て生まれたのですから、そういうことがあっても不思議ではないのかもしれません。

 

 

さて気にかなはざることは、いつまでもいつまでも『訴訟』すべし

 

そういった時にこそ、「全体の奉仕者(公僕)として公共の利益のために勤務する」公務員の役割というものは大きいと思います。上の見出しは、『葉隠聞書』にある言葉です。これはネットによれば「どうしても自己の主張、信念にそぐわない命令の時は、たとえ主君の命令であっても、意見を申し立てて、諭(さと)すべきだ」という意味のようです。

 

「つまり、何でもかんでも主君の言いなり(受身的)になるのではなく、個人としても「自立」した(能動的)武士の在り方が求められたのです。さらに、「徳川以前の主君への『絶対服従』思想は、実は意外に脆く「滅亡」を早めるものである。殿様に忠誠を誓いながらも、周りに追従しすぎることなく、強い『自立』の精神を持った人物を多用することが、組織を真に強くするのだ」との解説です。

 

公務員は、現代の「武士」であるべきと思います。もちろん身分としてのそれではなく、自らの命を賭してでも主君の過ちを諭すという武士の心構えを持つべき職業という意味です。とはいえ、「公共の利益」を個々の公務員が勝手に解釈しても困ります。そこで、一般論でいえば、民主的手続きで選ばれた政権与党の施策の推進がその「公共の利益」であると解釈すべきでしょう。

 

しかし、この一般論が通用しなくなってきている気がします。それは、日本だけではなく多くの先進諸国でも見られる不可思議な現象ですが、民主的に選ばれたはずの政権が、なぜか一部の富裕層の利益の追求のみに狂奔している現実です。すでに、トリクルダウン効果は存在しないことが事実で証明された以上、規制改革会議による格差拡大政策に従事する公務員は、憲法でいう「全体の奉仕者であつて」とはいえず、「公務員は、一部の奉仕者ではない」に真っ向から違反するのではないでしょうか。まー、日本国憲法とは時々の内閣がいくらでも解釈変更できる変幻自在のものらしいので、気にする必要はないかもしれませんが。

 

 

真面目な話に戻ります。

 

世界中において格差を拡大させ、それによる経済の低迷と社会秩序の混乱を招いている新自由主義を信奉しているのが規制改革会議です。その新自由主義の化けの皮があらゆるところで剥げ落ちているなかで、その意向に沿った「マダラにTACを」を、上司の命令だからといって「ご無理ごもっとも」と言いなりになってよいのかということです。

 

そこで私が現役時代に「どういうときなら命令に背いても良いのか」さらに突き詰めると「どういうときには命令に背かなければならないのか」という難しい課題について自問自答した時に、大変参考になった二人の人物がいました。それは誰もが知っている杉原千畝と、私にとってはそれ以上に強い印象を受けた佐藤幸徳(元陸軍中将)です。

 

この二人は、なぜ上司の命令に背いたのか、それはどう評価されたのか、について私の受け止め方も交えながら以下述べていきたいと思います。

 

 

杉原千畝

 

最近映画化もされたので皆さんもご存知でしょうが、リトアニアのカウナス領事館に赴任していた杉原は、ナチス・ドイツの迫害によりポーランド等欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情し、1940年7月から8月にかけて、外務省からの訓令に反して、大量のビザを発給し、およそ6,000人にのぼる避難民を救ったといいます。(ウキペディア)

 

私の関心は「難民たちの窮状に同情」は決して杉原のみの感情ではないところ、その先の「訓令を守るか、反するか」の違いはどこから来たのかです。ネット情報を拾い読みした中で、これではないかと思ったのは以下の記述でした。

 

杉原夫人への「領事の権限でビザを出すことにする。いいだろう?」という千畝の問いかけに、「あとで、私たちはどうなるか分かりませんけど、そうして上げて下さい」と同意。そこで杉原は、苦悩の末、本省の訓命に反し、「人道上、どうしても拒否できない」という理由で、受給要件を満たしていない者に対しても独断で通過査証を発給した。

 

つまり、訓令に反することは間違っており、それによる自らの不利益も重々承知していたのです。しかし、人道上という感情がそれを上回ったからと受け止められます。後に美談となり、外務省関係者から「組織の人間として訓令に従うか従わないかは、最終的にその人が良心に照らして決めなければならない問題」と答え、杉原の行為に一定の理解を示したとする意見もあった一方、杉原の不服従に対する外務省関係者の執拗な敵意の存在もあったといいます。

 

杉原が偉いと思うところは、本省訓令の無視であり、従って終戦後の引揚げ、帰国と同時に、依願免官した」というように「悪いことは悪い」と、自ら責任をとったことです。その後も一切弁解も自慢もしていません。こういうのを「武士道の精神」というのでしょうか。

 

 

 

佐藤幸徳

 

佐藤幸徳は、日本の陸軍中将でインパール作戦において師団の独断退却を行ったことで知られています。これは師団長という陸軍の要職にある者が上官の命令に従わなかった日本陸軍初の抗命事件で、当然死刑となるものであったそうです。

 

私がこのことをはじめて知ったのはテレビ番組でしたが、その時に佐藤が「大本営、総軍(南方軍)、方面軍(ビルマ)、15軍という馬鹿の4乗がインパールの悲劇を招来した」と上部組織を痛烈に批判した言葉の中の「馬鹿の4乗」という表現が面白くて印象に残りました。ちょうどその頃、予算要求で苦労していたので、さっそく「○、○、○の馬鹿の3乗が、予算をボロボロにしやがって」と応用させてもらった思い出があります。

 

インパール作戦とは以下のようなものだったようです。

 

インパール作戦は当初より第15軍司令部内部でも無謀さが指摘されており、佐藤も作戦前から第15軍の会議にて補給の困難を主張していた。佐藤は、第15軍司令部に作戦中の補給量の確約を求めた。佐藤は、部下の師団の将校を集めて、諸君の大半はアラカン山中で餓死するだろうと訓示していた。作戦が始まったが、佐藤の予想通り、第31師団の前線には十分な糧秣・弾薬が補給されなかった。第15軍司令部からは「これから物資を送るから進撃せよ」などの電報が来るばかりで、佐藤はその対応に激怒していた。佐藤は補給要請に全精力を注いでいたが、ついに物資不足を危惧し撤退を進言するに至った。補給を軽視した司令部は佐藤に作戦継続を強要したが、師団はすでに武器弾薬や食料の不足から著しく苦戦しており、これ以上の進撃は不可能な状況だった。佐藤はこのままでは全滅は不可避とし撤退を独自に決断した。しかしこの抗命撤退により多くの兵士たちの生命が救われることになった。

 

なにか、インパール作戦とは、新自由主義による経済成長戦略のような気がします。すでに、20年余日本経済は低迷し、格差は拡大するばかりなのに、あいも変わらず「規制緩和すれば、競争すれば、貿易自由化すれば、成長する」という実態から乖離した「竹やり精神成長主義」のように見えます。

 

例えば、佐藤がビルマ方面軍に打電した以下のような電文、

 たらめなる命令を与え、兵団がその実行を躊躇したりとて、軍規を楯にこれを責むるがごときは、部下に対して不可能なることを強制せんとする暴虐にすぎず・・・

は、

 

TAC・IQで日本漁業を成長産業に」などというデタラメなる命令を与え、水産庁職員がその実行を躊躇したりとて、人事権を楯にこれを異動せしめたり、出世させざるがごときは、部下に対して不可能なることを強制せんとする暴虐にすぎず

 

に置き換えられるのではないでしょうか。

また、

 司令部の最高首脳者の心理状態については、すみやかに医学的断定をくだすべき時機なりと思考す

 

規制改革会議の言うがままに、それを実行に移さんとする官邸の最高首脳者の心理状態については、すみやかに医学的断定をくだすべき時機なりと思考す

 

に置き換えられるのでないでしょうか。

 

真面目な話に戻ります。

 

佐藤が、なぜ命令に従わなかったのかは、上にある通りです。しかし、そのような戦場は他にも多くあったろうと思います。

 

なぜ、佐藤がここだけで。

 

その理由はこの作戦をごり押しした上司の第15軍司令官牟田口廉也中将のデタラメさと、それを止めようとしなかった上部組織を、死刑を覚悟して、軍法会議で糾弾したかったからです。

 

牟田口のデタラメさを象徴するのが「ジンギスカン戦法」です。八百年も前のモンゴル帝国の英雄、ジンギスカンの遠征にならって、 象や牛馬で食糧、弾薬を運び、食べるものがなくなったら、その牛馬を殺して食べるというものですが、「師団が引き連れていた馬匹の内、象はチドウィン川渡河後2日に帰り、牛は餌にするべき草が無く、竹の葉や芭蕉を食わせた為に、パトカイ山系に踏み込む前に殆どが倒れた」とのこと。草原地帯と険しい山岳の熱帯密林地帯の違いを考えれば、当然の結果でしょう。

 

これは、外国のTAC・IQがすばらしいと、外国とは資源も漁業も事情が違う日本に持ち込んだらどうなるか、とよく似ているように思えます。

 

牟田口は、インパール作戦の動機を「自責の念から」と言っていますが、幕僚たちは「俺はインパールを取って、大将になるんだ」。こうわめいている牟田口を見ていますし、やはり功名心、名誉欲が強かったのではないでしょうか。との記述もありました。

 

これが、役人にも当てはまる一番の問題点でしょう。役人が、自分の保身と出世のために法律で身分が保証されている本分を忘れ、上司の命令に盲従し社会に大きな犠牲をもたらす。これだけは絶対に許せません。

 

さて、佐藤は死刑になったのでしょうか。これがまた、いかにも当時の軍部の体質を表しており、

 

解任された佐藤は軍法会議で作戦失敗の非を訴えようとしたが、結局精神病(心身喪失)扱いで不起訴処分となった。すでに抗命罪による死刑を決意した佐藤により、撤退理由をはじめとするインパール作戦失敗の要因が明らかにされると共に、その責任追及が第15軍、ビルマ方面軍などの上部組織や軍中枢に及ぶことを回避するためである

 

とのことです。

 

「マダラにTACを導入」という問題に関し、ここまで引用された杉原千畝と佐藤幸徳は、あの世で「おいおい、人の命を救うことと比較すれば大した問題ではないではないか」と苦笑しているでしょう。しかし、平時においてこそ、彼らのように命まで賭す必要はないのですから「さて気にかなはざることは、いつまでもいつまでも『訴訟』すべし」を水産庁の役人に期待したいと思います。

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