日本の国立大学は「BABYMETAL」を見習え!

前回のブログで指摘した「外国がそうしているので、日本もマダラにTACを」のように、どうして日本人は「欧米=素晴らしい、日本=遅れている」と簡単に思い込んでしまうのでしょうか。そこが、私には不思議でならないのです。

 

日本には世界で高く評価される日本型漁業管理があり、すでに、以前から北海道の毛ガニで「漁獲量制限」という資源管理手法もありました。にも関わらず、動力漁船が出てきた百年前ちょっとからの本格的な漁業の歴史しかない欧州由来の「TAC」という横文字の制度が、海洋法条約の締結に伴い導入されたとたん、「猫も杓子も、チクTAC、チクTAC」となったのです。

 

仮にTAC、IQ、ITQを、必ず日本語で「総漁獲可能量」「個別漁獲割当量」「譲渡性個別漁獲割当量」と表記しなければならないという法律があったら、おそらくマスコミもそれほど資源管理に関心を持たず、TAC真理教徒や無能な嘘つき学者(もどき)も現れず、このブログも存在する必要がなかったのではないかと思います。

 

このため、漁業の実態に疎い多くの日本人(その代表格が国営放送NHK)は、中身もよくわからないのに、横文字になると「いやー、すばらしい」と、なぜ「パブロフの犬」のような条件反射を起こすのでしょうか。それは、政治の世界でも同じです。「選挙公約」で十分なのに「マニフェスト」や「アジェンダ」と横文字に言い換えただけで、さも中身がありそうだと有権者は簡単に思い込んでしまうのです。

 

この情けない「欧米・横文字礼賛症」又は「自信喪失・自虐症」といえばよいのか、横文字にコロリとだまされる白人コンプレックスともいえる日本人の病気は、大学授業の英語化、社内英語公用語化などにも共通するところがあると思います。

 

一方、日本語の歌詞で歌いとおしながらも、坂本九ちゃんの「上を向いて歩こう」以来53年ぶりに全米TOP40入りの快挙を成し遂げた「BABYMETAL」という今海外で最も人気のあるグループも存在します。

 

今回は素人の私が、社会芸能評論家になったつもりで、それらを対比させながらいろいろと考えてみたいと思います。

 

1 日本の大学は英語で授業などして大丈夫か

 

「ついにそこまでやってしまったか!」と思わざるを得なかったのは、この春の大学の入学式で「東京工業大学学長、全文英語で式辞」というニュースに接した時です。その意図は「国際的な舞台での活躍を目指してほしいという思いを込めた」とのことです。しかし、その意図そのものは、学生にどの程度伝わったのでしょうか。

 

優秀な学生さんたちであることはわかりますが、だからと言ってみんな英語が得意という訳でもないでしょう。英語が大切と言いたいがためにわざわざ英語を使った結果「何が言いたいのかよくわからなかった」では、お笑いです。おそらく参列した親御さんの多くの感想は「学長の話はチンプンカンプンだったが、さすがに我が自慢の息子の入った大学はすごい」ではなかったろうかと思います。

 

以前から気になっていたことですが、わが母校の東京海洋大学でも、大学院の授業を英語で始めたらしいと聞き、「わざわざ役に立たない人材を作って、馬鹿なことをするものだ」と思いました。

 

なぜなら、その大学院生は英語で学んだことを、卒業後、何語で日本人に伝えるのでしょうか。もちろん英語では伝わりません。当然教科書も英語でしょうからその専門用語に該当する日本語もありません。おそらく、英語の発音をそのままカタカナ表記にして話すしかないでしょうが、それでは意味が伝わりません。結局そのカタカナ語の日本語解説文が別途必要となります。

 

そんなことになるなら、仮にテキストが英語でも日本語で授業をすればよいのであって、一体英語でする意味がどこにあるのでしょうか。大多数の卒業生は漁業現場をフィールドとして、日本人を相手にした研究関係の仕事に就くでしょう。世界で活躍するかもしれないごく少数の者のために、なんで日本人が二重手間のことをする必要があるのでしょうか。

 

英語で授業をすることで大学や学生の能力がアップするなら、入学試験も英語にして英語を母国語とする国からの留学生で大学を一杯にすれば「良い大学」になるのでしょうか。思い切ってアメリカにでも東京海洋大学を移転すれば「もっともっと良い大学」になるのでしょうか。

 

これは誰が考えてもおかしなことです。外国生活が長かった帰国子女を別にすれば、ある事柄を理解するのに、母国語でなく英語で学ぶのにはおそらく倍以上の時間がかかると思います。しかもそのことに関する議論のやりとりも英語のみとなれば、母国語でのやり取りと比較し、中身は量、質の両面で半分以下になるでしよう。

 

さらに問題は、英語を母国語とする国の大学が、日本語で授業をしてくれるのなら心配ないのですが、日本人が英語をマスターするために費やす多くの時間を、彼らは研究開発などに専念できるので、日本の大学は圧倒的に不利な条件下におかれることは間違いありません。

 

英語化は愚民化

 

これは、施光恒著(集英社新書)の本の表題ですが、ズバリとそれを言い当てていると思います。

 

 

この点において明治時代の学者は、偉かったと思います。

 

猛烈な勢いで外国から多くのことを学びはしましたが、物事の本質を見失うことはなかったと思います。よく言われていますが、福沢諭吉がいなかったら「中華人民共和国」も「中国共産党」も存在しなかったと。なぜなら「人民」「共和」「共産」も外国語から日本語化され、のちに中国に渡った「和製漢語」ですから。大事なことは中身をどう日本人にわかりやすく伝えるかであって、英語そのものを話すことではないと思います。

 

そういう意味では、TACIQ、ITQよりも、「総漁獲可能量」「個別漁獲割当量」「譲渡性個別漁獲割当量」の方が、意味が分かりはるかに優れています。もちろん、TAC真理教徒は「総漁獲可能量真理教徒」と呼ばれることを嫌うでしょう。それではカッコ悪いし、信者も集まりませんから。どうも中身のない人間が横文字を好むような気がします。

 

なお、私事で恐縮ですが、私には二人の娘がいます。長女は、今、カナダのバンクーバーのアニメ会社で働いています。次女は日本の美術系大学を出て、NY州にある陶芸で有名な大学に3年生から編入し、そこを卒業後NY市のクイーンズ地区の大きな陶芸教室で1年間助手をしていました。今は東京のアートスクールで外国人相手の陶芸コースを担当しております。しかし、娘二人は大学で英語の授業があったからそうなったのではなく、アニメや陶芸の知識や技術を広げたくて、自分で英語を学んだのです。だから、目的があれば、それは個人でやればよいのであり、その必要性のない、卒業後は日本で日本人のために働く多くの学生まで巻き込んで英語での授業をやる必要はないということです。

 

2 大学内部関係者からの英語での授業への憂い

 

英語で授業などおかしいと思う私の素朴な思いを、たまたま読んでいた本のなかで、よりハイレベルで論じていました。それは京都大学の佐伯啓思教授(経済学者、思想家)著「西田幾多郎 無私の思想と日本人」(2014年10月20日発行 新潮新書)です。

 

これは大学内部からの見方として大変興味深いものでしたので、その一部を以下に引用します。なお、佐伯教授は人文社会科学を念頭に述べていますが、私には理系においても基本的に同じと思います。

 

 ・文科省は改革に取り組む姿勢を見せる大学に予算をつける。ところが、彼らのいう「改革」とは、今日、まずは国際化にほかならない。英語授業の充実、外国人教師の採用、留学生の受け入れなど。

・京都大学に与えられた使命は、世界に通用するグローバル大学を目指せというもの。ますます京都大学「らしさ」が失われていくように見える。

・グローバル化や成果主義も理系ではそれなりに有意義かもしれない。しかし、人文社会科学の場合、相当深刻な問題をはらんでいる。留学生を何万人だか増やして、英語で授業を提供し単位を与えて卒業させることにどれほどの意味があるのか。

・文化や政治の微妙な点は簡単な英語で説明できるものではない。本当に英語のうまい優秀な留学生はアメリカかイギリスに行く。

・英語という国際標準語で国際シンポジュウムが開催され、巨額の予算が付く。いいかえれば、予算獲得の便利な口実。

・日本の学問は基本的に西洋から導入された輸入学問。これは、西洋に追いつくことを目標と心得た近代日本の学問の宿命。常に権威は外国にあった。

・欧米あたりの著名な学者を呼んできてシンポジュウムをやっても、いややればやるほど、「われわれ」の自前の思考が衰弱してゆき、ますます「本場」の亜流になってしまう。

・単なる権威づけを得るために、海外からの招待者に大枚が支払われる。もっともらしい体裁の背後にある「奴隷根性」というべきものこそが大きな問題

文化や歴史の相違を無視した議論をやってしまうと、いかにも共通の了解ができてしまうような錯覚に陥る。こうしてほとんど気がつかないうちに、あの「本場」への隷従がいっそう深刻になる。その結果、欧米主導の構造のなかへ投げ込まれてしまう。そういう状況が明治以降えんえんと続いている

 

冒頭の私の疑問、どうして日本人は「欧米=素晴らしい、日本=遅れている」と簡単に思い込んでしまうのかは、なんとなくわかりました。しかし、明治以降すでに100年以上経過しているにもかかわらず、いまだ「奴隷根性」が抜けないのはどうしてでしょう

 

もう名前を覚えきれないくらい、日本が多くのノーベル賞受賞者を輩出するようになっても、しかも欧米における政治経済の混乱・停滞ぶりを目の当たりにしても、いまなお「欧米・横文字礼賛症」は悪化する一方で、治癒する傾向は見当たりません。

 

そこで、佐伯教授が指摘している「国立大学改革プラン 平成25年11月文部科学省」を見ましたが、正直驚きました。

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これでは、まるで企業の成長戦略そのものです。「グローバル化」「持続的な成長」「高い付加価値」など、どこかで見た「規制改革会議」の大好きな言葉がちりばめられています。この「国立大学」の部分を「○○企業」と置き換えても何の違和感もありません。

 

でもおかしなことに、このプランには国立大学が「グローバル化」「持続的な成長」「高い付加価値」などを達成して、国立大学が日本のために何を貢献するのかの目的が全く書いてありません

 

手段がそのまま目的になっているという理解しがたい改革プランに思えます。これは「TACIQ,ITQで、日本漁業を成長産業に」というTAC真理教徒の主張にそっくりです。

 

さらに、「英語での授業を拡大せよ」と具体的に書いてあるところが以下の部分です。

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これもまたすごいですね。外国礼賛一色です。外国の大学と交流すれば、外国人の教員を採用すれば、英語で授業をすれば、留学生を増やせば、日本の大学の将来はバラ色とのことです。

 

特に、「国際化を断行する大学を重点的に支援し、スーパーグローバル大学を創設」は気に入りました。これは、そのまま「TACIQ、ITQを断行する漁業を重点的に支援し、スーパーグローバル漁業を創設」に置き換えられるではありませんか。「スーパーグローバル漁業」なんというすばらしい響きでしょう。TAC真理教徒にとられる前に、私の方で商標登録しておかなければと思います。

 

冗談はこのくらいにしますが、こんな文科省の「うわべだけ国際化真理教徒」に好き勝手にされて、最高学府の教職員の方々は恥ずかしくないのでしょうか。国立大学の将来が本当に心配になります。

 

特に私個人としては、京都大学が心配です。その理由は、日本人でしか発想できないような世界も驚く業績をあげたノーベル賞学者を最も多く輩出してきた大学として尊敬してきたからです。それが以下のようなことを考えているとは。これでは、佐伯教授も指摘しているように「京都大学らしさ」がなくなり情けない限りです。

 ≪現在検討中の機能強化の例≫

(京都大学の例)

理工系、医学生命系、人文社会系、情報環境系の各分野トップレベルの研究者をハーバード大学、ハイデルベルグ大学、シンガポール国立大学等から招聘し、スーパーグローバルコース(仮称)を構築。院生への研究指導を通じて世界と競う人材を育成。

 

3 あの社内英語公用語化をした2社はその後どうなった

 

社内英語公用語化を打ち出した企業で有名なのは、「楽天」と「ユニクロ」でしょう。では、その後の2社の業績はどうなったのかを簡単に見てみましょう。

 

楽天については、概要以下のようです。

 (東洋経済オンライン 2016年02月17日より)

成長続いた楽天、海外事業で減損の「誤算」

過去最高の売上高でも8年ぶり減益の理由

 ・楽天が2月12日に発表した2015年12月期の通期決算(国際会計基準)は、2007年12月期以来、8期ぶりの営業減益

・重くのしかかったのは、海外事業ののれん減損

・もっとも、減益となったが、楽天の主力事業が傷付いているわけではない。収益を牽引する、国内EC(電子商取引)事業や金融事業は、ともに成長を続けている

 

(世界のニュース トトメス5世 2016年02月17日より)

楽天が急減速 英語公用語失敗 海外事業赤字で撤退

 ・英語教育も熱心で、全社員に週一回2時間の夜間学習を実施し、英語力の高い人は報酬も多くなる仕組みになっています。

・その結果どうなったかというと、今のところ海外事業は赤字であり、力を入れて取り組んだ分、損失が拡大した。

・なにやら本業をほっぽり出して、不確実な事業に力を入れ過ぎた感もあります。

・英語公用化について楽天の社員が語っているところでは、日本語を使わないと仕事にならないので、皆日本語を使っている。ただ三木谷社長の前では英語しか話せないので、社長に近い部署ほど英語化が進んでいる。だが社長本人は「日本語禁止」を守らず、いつも日本語で話しているそうです。

・なお三木谷社長は英語公用化の一環として決算も英語で発表していたが、今回は勝手に日本語で話していた。社長が守らないような社内規則を社員に押し付けるのは、どんなものだろう。

 

次にユニクロを見てみましょう。概要以下の通りです。

(東洋経済オンライン 2016年01月10日より)

ユニクロの失速は「暖冬」だけが原因ではない

前回発表から3カ月で業績予想を下方修正

 ・カジュアル衣料品店「ユニクロ」が失速している。運営会社のファーストリテイリングが1月7日に発表した2015年9~11月期(第1四半期)決算は、本業の儲けを示す営業利益が759億円と、前年同期を16.9%下回った。同期間としては4年ぶりの減益となった。

深刻なのは国内だけではない。これまで業績を牽引してきた海外ユニクロも、第1四半期は当初計画を下回り、部門利益がマイナスとなった。世界的な暖冬による秋冬物の販売不振の影響が大きいという。

 

(J-CASTニュース 2016/4/13より)

「業績は不合格」柳井氏も認めるユニクロの「陰り」

「値上げ」引き金の客離れが止まらない

 ・カジュアル衣料品店チェーン「ユニクロ」の成長神話の陰りが鮮明になってきた。ユニクロを運営するファーストリテイリングは2016年4月7日、業績予想を大幅に下方修正し、16年8月期の純利益は従来予想を500億円下回る600億円とした。2015年8月期に比べ45.5%の大幅減だ。

・海外ユニクロ事業も苦戦している。売上高こそ積極出店によって12.7%増えたものの、米国や韓国の採算が改善せず、営業利益は31.4%減と落ち込んだ。

 

どうみても、2社とも社内英語公用語化が成果をあげているようにはうかがえません。

 

 

4 意外だった総合商社の実態

 

日本の総合商社は、グローバル企業中のグローバル企業であり、戦前からの歴史を有しています。おそらく社内英語公用語化は当然で、会社役員も外国人が多いのではないかと思っていました。しかし、意外にもそうではなかったのです。そのことはネットにあった「総合商社―日本人が日本語で経営―」吉原秀樹(神戸大学経済経営研究所教授)星野裕志(同助教授)で知りました。

 

この論文によると、

・総合商社は海外子会社を含め最高責任者はほとんど日本人で、日本語を使って経営する。

・グローバルな経営活動を日本的国際経営マネージメントで経営するのが特徴。

・海外におけるオフィス内での会話、本社と海外拠点との間のコミュニケーションは極力英語を利用することが奨励されたが、重要な判断を要する非定型業務は、依然として日本人によって日本語で行われている。

・三菱商事では、1992年に社長が社内英語公用語化を提唱したが、社内には英語を通常必要としない部門も多く、社内の反発が大きく実現しなかった

・米国三井物産で、英語公用化の実験が行われたが、英語による会議は形骸化し、有益な情報が参加者のあいだで交換されなくなったため、再び日本語にもどされた

 

とあります。

 

また商社マンに直接インタビューした時の回答が以下であり、これにはつい笑いが出ました。

「わたくしたち日本人は支店(ニューヨーク支店)内では、なるべく英語を使わないようにしていました。英語では意思の疎通ができないからです」

「商社の人は英語ができると思われているかもしれませんが、これは誤解です」

会社の共通語を英語にしよう。何回もありました。すべて失敗しました

「採用のときに英語は重視されなかった。英語のできるひとは英語屋とバカにされていました」

「英語を使う日本人は、自己主張が強い、はっきりモノをいう、単純化しすぎる、鼻持ちならない、などといわれていました」

 

インタビューした30名近い総合商社マン全員が「日本語による国際経営」に同意したとのことです。

 

この意外な結果について、なぜそうなのかの理由は、以下であり当然と言えるものでした。

総合商社9社の取引の平均で、国内取引45%、輸入18%、輸出17%、3国間取引20%。国内取引相手は、売り先と購入先の両方が日本企業、輸出と輸入の取引先はどちらか一方が日本企業。売り上げの8割を占める国内取引、輸入、輸出では、少なくとも一方は日本企業で、その商談は当然日本語でなければ、緊密な関係は築けない

 

また、総合商社に外国人役員が少ない理由については、いろいろあげられていますが、結局日本的マネージメントが障害になっているとのことです。特に、「総合商社も日本に根を下ろした企業であることを意味している」という論文の中にあったこの一文が、この意外な現実を最も的確に説明していると感じました。

 

「グローバル化」などというはやり言葉さえさえなかった昔から、まさにグローバル競争の中で生き抜いてきた総合商社が至った結論、それは「目的と手段」をしっかりわきまえておかねばならないということではないでしょうか。わかりやすく言えば「英語ができれば商売がうまくいくと勘違いするな」でしょう。

 

これから考えると「社内英語公用語化」を推進している会社社長は、実は全然グローバルの実態を知らず、単にそれに幻想を抱いているだけかも。楽天、ユニクロの業績悪化も、当然の結果かもしれません。

 

本当に「社内英語公用語化」を実現したかったら、本社をアメリカにでも移転し、社員を全部外国人にするぐらいでないとダメかもしれません。しかし、その時はもう単なる外国企業と同じであり、一体その会社が日本にどう貢献するのでしょうか。

 

この総合商社の実態を踏まえれば、「授業の英語化」がいかに愚かなものか、だれにでも容易に理解できると思います。日本人の税金で成り立つ国立大学は、「日本人が日本語で授業」でなければならないと思います。

 

5 新たな身分階層を作りあげようとする魂胆でもあるのか?

 

日本の大学や企業における英語公用語化論には、危険な側面があると思います。それは、英語ができる者と英語ができない者との間で、新たな身分階層を作り出そうという魂胆があるのではないかというものです。

 

かつての植民地において、まず宗主国の言葉を話せるようになるか否かで、植民地の住民の間に身分階層分化が進んだこと。さらに、日本でも昔は文字の読み書きができるのは一部の支配者階層であり、多くの日本人は文盲であったことが、支配体制の維持にもつながっていたこと、などからです。

 

しかし、日本人はむつかしい漢字をもとに、より普及しやすく簡単なひらがな、カタカナを作り上げ、外国由来のモノを自国化しました。さらに、江戸時代になり士農工商という身分制度はあったものの、庶民の間から生まれた寺子屋制度が全国津々浦々に広まり、当時としては身分を問わず世界で最も高い識字率を達成し、それが明治以降の急速な近代化を可能にしたといわれています。

 

戦後のGHQによる日本語改革(日本語が民主化を阻害するものとし、難しい漢字を廃止し、すべてローマ字化することで識字率を高める)のためにおこなわれた識字率調査の結果がありますが、その結果はGHQを驚愕させるほど高く、アメリカ人よりも識字率がすぐれていたことを証明したといいます。

 

誰もが使える日本語を日本国内では使うのは当たり前のことではないでしょうか。冒頭で引用した佐伯啓思著「西田幾多郎 無私の思想と日本人」の本の中で、留学生からの言葉として以下のように指摘しています

 

 先日、ある留学生が私のところにきて、「日本では、国をあげて英語教育をしようとしているようですが、いったいどうしてなのですか。どうして人々は反対しないのですか?」といいます。

 

こちらが、「君はどうしてそうおもうの?」と聞くと、こういう答えがかえってきました。

 

日本語だけで話が通じるというのはたいへんな日本のメリットじゃないですか。他の多くの国は色々な民族がいたり、植民地になったりして自国語だけで話ができないからしょうがなく他国語を学んでいるじゃないですか。しかも、本当は、自国語しかしゃべらない人にちゃんと仕事を与えることこそが政府の仕事の役割なんじゃないですか」

 

まったくその通りです。

 

この留学生の言葉を聞くと、日本は形式的にはアメリカの占領下から独立はしたものの、実はその後も占領下にあり、「日米構造協議」などを通じ日本の社会・経済システムをアメリカの都合にあうようにガタガタにされましたが、いよいよ占領後70年たって宗主国の言葉を植民地Japanに広げようとする最終段階に入ったのかもしれません。

 

6 「BABYMETAL」を見習え!

 

つい一カ月前まで、私はこのグループをまったく知りませんでした。ネットで偶然に「坂本九以来の快挙! ベビーメタル全米39位」が目に入りました。読んでみると実に53年ぶりとのこと。「上を向いて歩こう」は日本でも大ヒットした曲なので想像がつきますが、国内でほとんど知られていないグループ(もしかしたら私だけかも)の、いったい何が外国人に受けたのかと、急に興味が湧いていろいろ調べてみました。

 

このグループは、日本が世界に誇る?「アイドル」と「ヘビメタ(私にはただやかましいとしか思えないロック)」を融合させた「メタルダンスユニット」だそうです。平均年齢16歳ほどのかわいらしい女の子3人と、白装束の幽霊姿をしたバンド4人の組み合わせに、おそらく初めて見た人は「なんじゃこれはー」と思うこと間違いないでしょう。その評価は「毀誉褒貶(きよほうへん)」の典型ですが、「ならあなたも全米ビルボードトップ40位内に入ってみたら」といわれると誰もが下を向かざるを得ないと思います。

 

なぜ外国人に受けたのか、いろいろな説明がネットにあった中で、特に日本語で歌っていることについて以下のような評価がありました。

 (動画「BABYMETALが全米で首位に!海外にウケた7つの理由」より)

「日本」を大切にしアピールした歌詞やパフォーマンス

 

BABYMETAの楽曲は日常使うような英語しか歌詞の中になくて日本語を大切にしていると思うね。

世界に出ようと思うバンド等はほとんど英語歌詞にしているとおもうけど、日本語で通しているのですごいと思うよ。

 

(天然らくだ より)

ベビーメタルは英語で歌うべきかな?

 

「メキシコへのメッセージ」動画を見て、3人が英語を勉強していることに気づいた。

ファンはこの事で、ベビーメタルの将来が見えると考えているようだ。

何人かはロックにおいても英語が国際的な言語だと主張している。ビートルズを思い出してほしい。彼らはフランス語やドイツ語で歌ってる曲を出した。

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英語の歌はいらないかな。

CapitaFK

俺は彼女たちが母国語で歌ってるのが好きなんだ。だからこれまで通りのやり方を続けてほしいけどな。

VoidTerraFirma

すべて英語の歌詞にしたら、ベビーメタルの音楽的な独創性が失われてしまうかもしれない。

DethMetLKhaos

日本語で歌ってる中で、時たま英語(Engurish)の歌詞を入れるのはいい。だが、より多くの人に知ってもらえるからという理由で、母国語を捨て去るべきではない。彼女たちはここまで来るのに英語の歌など必要ではなかったのだから。

彼女たちの英語力が向上し、英語で歌う曲が制作されたのなら、それはそれで賛成だけどね。

 

(べビメタだらけの・・・ より)

マーティ・フリードマンがBABYMETALを後押し「日本語で歌ったほうがいい」

 

しかし海外で活躍する3人でも、言葉の壁を感じる場面はあるようで、YUIMETALは「海外の人にもこれから日本の音楽って好きになってもらえますか?」と自分たちも日本語だけで続けるべきかをマーティに質問したのだ。

 

するとマーティは自分の意見だとしながらも「日本語で歌ったほうがいいと思います」と断言した。その理由を「そんなに言葉は壁じゃない」「BABYMETALが好きだったら言葉はどうでもいいと思います。むしろ日本語のほうがカッコよくて神秘的で何を言ってるか知りたくて知りたくてしょうがないじゃない?」と熱弁をふるった。

 

SU-METALはこのマーティの言葉に思うところがあったようで、「(海外のファンが)日本語を勉強して一緒に歌ってくださるんです。で、日本語を勉強したらその言葉の美しさに『すごく日本っていい国だなって思った』っていうファンレターをいただいたりとか、私たちが日本を伝えていたんだなっていうことに、ツアーを回ってから気づくようになって。そういう風に思ってくれるんだなって思って、うれしいですね」と話していた。

 

私の突飛押しもない解釈かもしれませんが、BABYMETALの「なんじゃこれは」は、世阿弥の風姿花伝にある「珍しきが花」を具現化したように思えます。

 

花といえば四季折々の花がある。季節が変わって咲く花であるからこそ、その花は珍しいものとなり人々も喜ぶ。能も同じである。人にとって珍しく新しいものであるからこそ、おもしろいと感じる。

 

つまり「花」と「おもしろい」と「珍しさ」は同じことなのだ。

 

 

逆説的に言えば、BABYMETALには外国にはない、きわめて日本的な要素があったからこそ、外国人を引き付けたのではないでしょうか。上にあった「日本語を勉強したらその言葉の美しさに『すごく日本っていい国だなって思った』」というファンレターには、ありがたくて思わず涙が出そうになりました。まさにそのことを言い当てているのではないでしょうか。

 

その日本語を、目先のモノ・カネ欲しさのために捨て去れと命令する文科省の役人と、その背後にいる政治家や財界の理想とする世界は、一年中英語という外来種の花しか咲かない何ともつまらない世界と思います。

 

彼らには、外国で最も人気がある曲で、そのミュージックビデオは、5000万回以上再生されているというとてつもない記録(2016年5月)をあげた『ギミチョコ』でも見て、「英語で授業などとの馬鹿げたことは一日も早くやめよう」と猛省していただきたいと思います。

 

最後に、今回のテーマに関連し最も本質に迫ったと受け止められた個所を「西田幾多郎 無私の思想と日本人」から引用しておきたいと思います。

 今日、われわれは西洋の近代の思想や科学や制度やらを、いわばグローバル・スタンダードとみなし、それを受け入れ、自らの身体をそれにあわせて作りかえることこそがグローバル化であり進化であると考えています。しかし西洋の科学や技術はただ汎用性のある普遍的方法というわけではありません。そこには「有の思想」をもたらしたギリシャ的なものやキリスト教的な精神がその背後に控えています。西田も次のようなことを書いています。日本的精神をもって西洋の知識や技術を消化してうまく使おうというような浅薄なやりかたではだめだ。その理由は、ひとつは西洋の科学や知識にはその歴史的な背景があって、それを無視するわけにはいかないからであり、もうひとつは、何か「日本的精神」なるものを独断的に設定しておいて、西洋の科学や哲学から都合のよいものだけを取り出して接木するなどということはできないからだ。

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