漁業権に関する質問への回答(前編)

 全国紙で「漁業権けしからん」「漁協けしからん」の毎度おなじみのキャンペーンが始まったようです。世界的には自主的管理を基本とする日本の漁業管理制度を批判する論調など聞いたことがなく、むしろコモンズの悲劇を解決するに有効な第3の道(共同体管理)として高く評価されていると認識しています。しかし、なぜかその日本のマスコミは、資源や海を漁業者から取り上げ、利益優先の企業に渡せと盛んに主張しています。

 

『慰安婦問題』で謝罪させられたことで有名なこの新聞社は、てっきり思想的には反日左翼と思っていましたが、あの悪名高い「ショックドクトリン(惨事便乗型資本主義)」の日本版である「宮城県水産特区」をもてはやす記事を連載しているようです。いったいその記事で誰が喜び、誰が泣かされるのかわかっているのでしょうか。いつから左翼新聞は、貧困と格差拡大の元凶であるアメリカ発の新自由主義思想に基づく改革のお先棒を担ぐようになったのでしょう。私にはその新聞社の主張にはまったく整合性がないとしか思えません。しかも、この連載は「岩手日報」で過去2回にわたり連載された「てんでんこ」シリーズの模倣ではないかという指摘らあるくらいですから。

 

この新聞社の連載には、今の格差社会をどうしたいのかの根本思想のかけらも伺えず、JA改革に続き今度は漁業ダー!という規制改革の大勢に乗ってさえいればリスクをとる必要もなく、ただ面白そうだからと漁業者の嫌がることを書いてみたいという動機、まるで窓ガラスに石を投げつけ住人が怒ってでてくるのを見て面白がる「いたずらっ子」としか受け止められません。この手の記事は「相手にしない」に尽きると思います。変に反論などすると、おもしろがってまた石を投げるだけでしょう。

 

このような「面白ければそれでよい」「第一次産業いじめは楽しいなー」的漁業権攻撃キャンペーンがマスコミで散見されるためでしょうか、先般、漁業権というものに関心を持ち、水産経済新聞における私の連載コラムを読んだ方から、漁業現場にいる私に対し漁業権に関する質問が寄せられました。そこで、ちょうどよい機会ですので、この新聞社の連載と比較しながら読んでいただくことで、少しでも正しい漁業権の理解のための一助となればと、その質問に対する私の回答内容を以下に紹介させていただきます。長くなりますので、前・中・後編の3部に分け掲載します。

 

なお、ちょっとその前に一言だけ。

 

( 参考)「てんでんこ」の誤用・悪用にご注意を

 

「てんでんこ」とは、ウィキペディアによると

 

「津波てんでんこ」「命てんでんこ」を防災教訓として解釈すると、それぞれ「津波が来たら、取る物も取り敢えず、肉親にも構わずに、各自てんでんばらばらに一人で高台へと逃げろ」「自分の命は自分で守れ」になるという。また、「自分自身は助かり他人を助けられなかったとしてもそれを非難しない」という不文律でもあると言い、災害後のサバイバーズ・ギルト対策や人間関係修復の意味を言外に含むとされる。

 

ということです。

 

これは実に深い意味を持った言葉と思います。日本人の最大の美徳である「自分のことより家族・仲間のことを思いやる」という利他的・自己犠牲的なこころ、言い換えれば共同体を支える道徳心を、津波というときには「自分第一主義でもよい」と例外扱いしたものと言えるからです。

 

この「てんでんこ」という言葉が必要となった背景として私には、一つの事例が浮かんできます。それは「日本は宣教師の墓場」という話に出てくるものです。宣教師が日本に来てキリスト教を布教しようと農民に「神を信じる者は救われる」と他国と同じような利益誘導方法を用いたところ、農民は「それではキリスト教を信じていない祖先や自分の親は救われないことになる、自分だけ救われるようなことができるか、だから自分はキリスト教徒にならない、それで地獄に落ちても良い」と答えたからだそうです。

 

しかし、津波の時にもその考えではより大きな犠牲者を生むので「てんでんこ」でよいと例外を認めたのでしょう。言い換えれば「てんでんこ」とは、強い共助と自己犠牲精神の上に成り立つ高度な道徳心を持つ人間関係(共同体)でのみ使用が認められる崇高なことばと解釈すべきでしょう。個人第一主義の国ではこのような言葉はそもそも必要がないと言えます。

 

一方、3だけ主義(いまだけ、カネだけ、自分だけ)を信奉する新自由主義者にとって、このような「自分だけ豊かになることはできない」という共同体を支える日本人の道徳心は困りものです。そこで、彼らが生み出したのが自分の強欲のために弱者を犠牲にしてもよいことを正当化する「勝組・負組」という言葉です。しかし、もっとよい言葉があります。それが『てんでんこ』ではないでしょうか。その真意を無視し、外形だけを引用すれば「自分だけよければよい」が正当化されるからです。おそらく、それをもっともらしく見せるために、次のような嘘の物語を作るでしょう。

 

今の日本はグローバル化という大きな津波に襲われつつある、そんなときに共同体管理の漁業権などの既得権益に浸かっていては、日本漁業は共倒れになる。だから競争力のある外部企業や法人に資源や海を開放し『てんでんこ』で生き残りを図るべきだと。

 

しかし、この物語には大きな誤りがあります。津波は自然現象でどうにもなりませんが、グローバル化は人間が引き起こした災難です。それをやめればよいだけです。また、私にはその企業や法人とは、津波から高台に向かって逃げようとする漁民を、これぞチャンスとばかり遠方からきて、足払いをかけたり、後ろ襟を捕まえたりして、金品(資源と漁場)を奪う盗賊にしか見えません。津波は一時(いっとき)ですが、その盗賊はずーと儲けなくなるまで居座るわけですからまさに、津波以上の大災難です。わかりやすく言えば「火事場泥棒」を正当化しようとして『てんでんこ』を意図的に誤用・悪用した物語といえます。

 

質問1 漁業権は漁村共同体による管理を法的に裏付けたものであるといわれる。しかし、漁業において組合員間の問題をどう解決しているのか?

⇒ コラム熊野灘編「漁船の病院」で「運悪く遠い漁場の順番に当たっており」とありますが、このようなことです。

 

 

(回答1-1) 地先漁業では漁業種類ごとの組織(部会・小組合・協議会など)がすべて解決する

 

・多くの場合、旧組合単位で漁業種類ごとに設置された話し合いの組織(法律に基づかいない任意)が存在

・Tではその数は22部会にもおよぶ。

・その組織にはその漁業者の中から必ず代表者が決められ、漁期開始の前(本漁期のルールの確認)と後(反省)、および必要に応じ関係漁業者が召集される。

・自分たちでなかなか解決ができないからといって、安易に上(組合長・支所委員長)に解決を委ねさせない。極力自分たちで解決させる

・一方、問題が発生しているのに何もしない場合は、上が代表を呼び出し話し合いをするように指示する。

・例えば、人よりも多く獲りたいがためにルール(操業切り上げ時間)を守らず、セリが閉まった後、相対で仲買人に売る者が出てくることがあったが、それを認めると翌日のセリの価格が下がり、漁業者間で不公平になるので、それについて部会で是正するように上から指示を出し解決させた。

・なお、バッチ・船曳網漁業のように愛知県の船も同じ漁場で操業する漁業種類については、両県漁業者が協議会を設け、操業方法などを調整している。トラフグはえ縄漁業では静岡も入れた3県の漁業者代表が話し合い操業日などを統一している。

 

 

回答1-2)「相談したいことがありますので、○○漁業者の方はお集まりください」

 

・これは、Tの町内スピーカーからよく流れてくるフレーズ

・その後しばらくして再びスピーカーから聞こえてくるのが「○○漁業者の方にお知らせします。明日の操業は休みとします」

・天候、漁況、魚価維持などを理由に、あらかじめ定められた休漁日以外の臨時休漁を行うときに集って相談のうえ決められる。これには全員必ず従う。

・明日は時化そうなときに何も決めないと漁業者間で判断が異なり、無理してでも出ようとする者が出てくる。仮に遭難すると、約1週間すべての漁船が捜索に当たることから、その間の減収は計り知れない。仲買人や加工業者も大きな損失を被る。だから迷惑をかけないためみんな従う。

・豊漁が続くと魚価が下がり始める。そういう時には体を休めるためにも、臨時の休漁を行う。

・さらに、Tでは今年の春先のイカナゴ漁が禁漁となったため、海藻(ワカメ、ヒジキ)の出漁隻数が増え、成長しきれない前に採るのを防止するため、途中に1週間の休漁を決めた。

・漁船漁業の中には漁が見えない場合は、しばらく休漁することを決め、探査船を時々出して、再び操業開始日を決めることもある。

漁模様(資源)が悪いと、漁業者が話し合い、資源保護や燃費削減のために直ちに操業を控え(漁獲圧力を下げる)その間は別の漁業を行ったり、別の魚種を狙う

・このことを知らない者は、インプットコントロールでは過剰漁獲し、TACやIQが必要と言っているが全く逆。例えば、IQになると「自分は漁獲枠の権利を国からもらっている、まだ十分残っているのに休漁させられる義務はない」という漁業者が必ず現れ、部会での統一的操業体制が壊れ、ほかの漁業者も「それなら俺も出る」と資源は悪化しているにも関わらず、漁獲努力量を下げることなく乱獲に走る

 

 

 

(回答1-3) 地域における当該漁業の重要性に応じて決めごとも異なる

 

漁業規制の目的は、資源の分配と保護の2点で、この2つの要素は不可分のもの。

重要性の高い漁業では、分配についての決めごとが細かくなり、同時にそれが資源保護の要素も兼ねたものとなる

・例えば、イセエビ漁を例に挙げると,Kでは非常に細かい規制(漁場を分割し輪番操業、統一投網時間、網数、目合い制限など)があるが、Aでは公的制限:県漁業調整規則(禁止期間、体長制限)以上の上乗せ規定はない。Tはその中間程度。なお、Iでは、なんとイセエビ漁場は昔からの慣習で漁業者ごとに固定。しかしそのおかげで前日の網の揚網後に直ちに当日の投網ができることから1回の出漁で済み、作業時間の短縮に大いに貢献。

・Kで細かい規則が定まっている背景は、Kには秋から春にかけてその漁業以外ほとんど存在しないから。以前は、この期間はイカ漁などが盛んで、イセエビ漁は高齢者の行うマイナーな漁業であったが、イカが減少し(Kの漁業者は巻き網が原因と言っている)イセエビの価格がアップしたため、ほとんどの漁業者が行うようになり。そこで漁場争いが発生し、話し合いのうえ細かい上乗せ自主規制を設けた。

・Aでは、見かけ上イセエビ管理が甘いという感じがしたが、実際の操業期間はカキ養殖が忙しくなるまでの半月(9月16日から10月はじめまで)であり、ある意味資源への圧力は他より低い。

・同時に、一般的には資源にやさしい漁法と言われている定置網を絶対認めないという徹底ぶり。その理由は、ほとんどの漁業者が冬期にはカキ養殖に従事するが、夏になると漁船漁業になるので、その間に魚が減るのを防止するためと、定置は刺し網や一本釣りに比べ魚が多く獲れることから、漁業者間の水揚げ高を均等にする意味もある。なお、Aにおけるカキ漁場にも優劣があることから、2-3年に一度くじ引きでローテンションが行われている。

 

(休漁期間も地域で異なる)

・資源保護と休養を兼ねたイセエビ刺し網漁業の休漁期間も地域によって異なる。外海に面したKでは、満月の前後8日間休む。これは明るい時にエビがかかりにくいため。一方、伊勢湾の入り口で潮流の早いTでは、月2回の満月と新月の大潮において、投網・揚網作業がしにくいためそれぞれ4日程度度休む。他方Aは操業期間そのものが半月と短いため、お構いなし。そのため網が海底を大きく流され、大きな石がゴロゴロと網にかかりあがって来て網は破れる上作業が大変。

・このように、同じ漁業種類と言ってもその規制内容は、地域の事情を反映して決められており、外部から横並びで判断するのは適切ではない

 

 

質問2 漁協と漁村共同体は必ずしも同じではないのではないか。漁協が広域合併した場合、漁業権に関する話し合いや紛争解決などの運用・管理は支所(旧漁協)でやるのか、それとも本所でやるのか?

 

(回答2-1) スーパー村落共同体が支える「T支所」(事例紹介)

 

・T支所は、23の旧漁協が合併してできた漁協の中でも最大の水揚げをしている。

・T支所の昨年の水揚げは、過去最大の20億円に達し、若い漁業者もたくさんおり、チリメンなどの加工業者も多い。

・約1600人(漁業者以外も含む)が住んでいるが、みんなが家族・親戚のよう。血縁関係を超えた「地域の精神的つながり」のようなものを感じる。それは「寝屋子制度」に象徴されている。

・小学校・中学校できわめてスポーツが盛ん。特にソフトボールは、離島にある小さな学校にもかかわらず、県大会で優勝し東海地区の大会にも出場。

・都会ではあり得ないだろうが、地域の祭りに参加するため普通日であっても教職員も含め全校生徒がそれに参加する。一方地域住民も学校の諸行事に極めて協力的で、島の学校に勤務した教員は都会の学校に戻りたくないというほど。

・夏にはほぼ毎週末盆踊りが開かれるが、それは25歳以下の青年部が仕切っている。青年部の次は消防団に加入する。離島にもかかわらず鳥羽市の自主消防団競技会で毎年優勝しているのはなぜか。それは、いざというときに船で駆けつけるしかない本土の消防署に頼れないという、島の安心・安全は俺たちが守るしかないという気概が強いため。

・約40人ほどの地元の若者が参加したその訓練風景を見たが、敬礼などのきびきびした行動は、本物の消防隊員かと見まがうほど。これぞ水軍(海賊)の血が流れているゆえかと思った。

・この自主消防団員は、あらゆる島の行事においても参加し、秩序の維持にあたる。なんと盆の初日の墓参りの時にも、線香の火で火事が起こらないよう巡回していた。たった一人の駐在官しかいないこの島で犯罪というものが発生したためしがないのは消防団がいるゆえか。テロ集団などは到底入り込む隙間がないのである。

・これを公務員で賄うとすればどのくらいの経費が掛かるかわからない。なんでもお役所にお任せの都会が財政難でどうにもならなくなってもTだけは安泰。自分たちのことは自分たちでやるという、自主管理共同体の強さをまざまざと見せつけられている。これも職住接近を可能とする漁業という地域産業がしっかりしているから。外部企業などが進出し、通勤者が増えるとなれば都会と同じようにそれは瞬く間に崩壊する。

・忘れてはならないのが、女性部の存在。T支所では奥さんも沖に出る。女性がいなくては答志の漁業は成り立たたない。地域の活動にも積極的に参加している。

・最大のお祭り「神祭(じんさい)」は2月に3日間開催され、島民の親睦と団結に寄与。祭りのために何か月も前から始まるその準備には多くの村人がかかわる。そこで培われた団結力は、昨年Tで開催された海女サミットで本領が発揮され、出席した総理夫人も感動したという。

 

「農村村落社会の論理構造 余田博通」のなかで非常に参考になったこと。

鈴木栄太郎博士は、日本の農村における社会集団は、行政的地域集団、氏子集団、檀家集団、講中集団、近隣集団、経済的集団、官制的集団、血縁的集団、特殊共同利害集団、階級的集団の10種類に分けられるとした。

日本の村は、諸社会集団の累積体であり、そこにはまた諸社会関係が堆積するのであるが、しかし、それは単なる累積体ではなく、全体として、一つの統一体である。それでは、村を統一せしめるものは何か? それは社会集団が累積し、社会関係が累積しているという事情ではなくて、精神である。村は精神によって統一されると説明される。

 

・このような共同体(集団)の上に、T支所があり、そこには運営委員(8名)と管理委員(9名)がおり、その代表が運営委員長(旧漁協で言えば組合長)。

他の漁協に対しT支所が元気な理由は、外形的な協同組合論だけでは説明できない、それを支える共同体の精神というものを感じる

・酒蔵は木の壁にすることで、発酵によい菌が壁にも住みやすくなる。麹が入っている船(漁協)だけではなく、部屋全体(村落共同体)によい菌が住み発酵しやすい環境を作っている。漁協と村落共同体もそのような関係

・T支所の委員長は、地域の一体感の基盤は「学校」と「祭り」にあるとし、市による小・中学校の廃校方針の阻止と、一部にある祭りの簡素化の意見に反し、お金がかかろうが支所主導での「神祭(じんさい)」の絶対堅持を強く主張。

 

・なお、Kの事例であるが、わずか2キロ程度しか離れていない同じ湾内の支所間でも、細かいルールを決められるところと、それができないところの違いは、江戸時代以降長年人の出入りがなく一体感がある支所と、明治以降の移住者が多く住む支所ゆえの差としている。

 

 

 

(回答2-2) 合併しても実質的な海の管理に変化はない

 

・漁業権が組合に免許されるとはいえ、合併は陸においての経営体としての枠組みのことであり、海の利用実態が変化するわけでもないので変わりようがない。例えば、Kでは漁業権の範囲はすべて合併前の単位でそのまま移転。合併を理由に隣の漁場に出かけて操業するなどは、その地域が受け入れないし、漁業種類にもよるが現実としてそこまでの距離や漁場の不知などから実際には困難。

・素人には海はどこも同じに見えるが、そこで一人前の操業をしようとすれば海底地形、底質、時々の潮流方向、季節によって異なる魚の居場所や回遊経路などを熟知する必要がある。例えば、上げ潮時といっても少し離れたところでは、なぜか潮流の流れが逆に下げ潮方向となり、それを知らないと網がとんでもない方向に流され魚は獲れない。

・このように、漁港と漁場との距離で自然とそこに住む漁業者集団ごとの棲み分けが起こり、それが漁業権という法体系に事後的に取り込まれている。法律をいじれば現場が変わるというのはまったくの認識不足。

 

(部会制度)

・合併後も旧漁協単位の組合員による海の管理を担保するために法律に定められた「部会制度」は、埋め立てなどによる漁業権の喪失が、合併により広域化した漁協の利害を有さないほかの地域の組合員の多数意思で決められてしまわないように設けられたものであり、実際にこれが設置されている例は少ないのではないかと思う。というのは、23漁協が合併してできたT漁協、6漁協が合併してできたK漁協にいて、T漁協もK漁協にもそのような部会は設置されておらず、実際にも「部会制度」が必要と思ったことは一度もないから。ただし漁協は多様なので他も同じとは言えない。

合併したことでのメリットと言えば、支所にルールを守らない問題漁業者がいても、地縁血縁でなかなか是正できない「しがらみ」を、本所が介入し解決することがあること。Kでは密漁常習の疑いの強い組合員の潜水器許可を、本所からの文書を後ろ盾にして仲間内で説得させ、許可を県に自主返上させたことあり。

・一方、同じKにおいても、漁業者の若返りで昔のいきさつを知らない者同士で支所間の境界争いが起こることもあるが、この場合でも極力当事者同士の話し合いで解するように促す。でないと、調整に当たった本所が地元の複雑な事情を知らないことを良いことに、好き勝手なことばかりを言い、むしろ問題がこじれることが多いため。

・Kでのイセエビ漁で、隣の漁協との共同漁業権の境目ぎりぎりに潮流を考え越境しないように網を入れたときには、その1メートルのもつ価値観(水揚げ金額)が肌で感じられ、昔から続いてきた漁場争いの原点が理解できた気がした。農家と違い、個人資産でない地域共有資産の海を守るための団結心が、漁村の精神の根底にあるような気がした。

 

質問3 漁業権行使規則は資源状況などに応じて柔軟に変更されているのか?

(回答3) 

・漁業権行使規則は組合の総会決議事項(しかも、2/3以上の賛成が必要な重要議案)であることから、基本的なことしか定めておらず、資源状況に応じた操業方法の見直しは、自主的な申し合わせで行うことが多い。もちろんその自主的な申し合わせを、勝手に解釈したり、俺は知らない、と言わせないためにその申し合わせは文書化されていることが多い。

・浜の感覚としては、法律があるから守るというより、仲間内のルールがあるからの意識が強い。

 

質問4 漁村共同体が高齢化などで崩れつつあるなか、漁業権を受けるに値する正当性を保ち続けられるか?

 

 

(回答4-1) 漁村には都会のような高齢化問題はない、人口減少問題はある

 

・漁村では80歳過ぎても健康でさえあれば、長年の経験もあり若い組合員と同じくらいの魚を獲ってくるのが普通。省力化もすすみ体が動く限り海に出ることから、高齢化=資源の低利用とはなっていない。

・そうはいっても死亡(2-3日前まで働いていたのにすぐ死ぬ、退職後仕事のない都会とは違う)による漁業者の減少が進んでいるが、これが残った漁業者(これも高齢化しているが)の一人当たりの漁獲量向上に寄与している面もある。

・この双方を照らし合わせると、漁業に対する批判に資源乱獲をあげながら、同時に漁業者の減少問題をあげるのは矛盾しているともいえる。現に漁業者の数は半減したが、沿岸漁船漁業の水揚げはそれほど減少していない。

 

・むしろ深刻なのは、燃油の高騰、魚価安から採算に合わなくなった漁業(Kでは夏場のカツオなど)に出漁せず、それによる資源の低利用が起こりつつある現実。

・漁業者が少なくなったからといえ、そのために仲間内での海の秩序が守られなくなるという状況にはない。ただし、それまでの規則が、船が減って分配と保護の両面からあまり意味を持たなくなることはあろう。

 

・人が減れば共同体が崩壊するかについては解釈が難しい。例えば、都会のマンション住人などは隣の人間の顔も知らないことが多く、ここではいくら人間がいても共同体そのものが存在していない。それに比較すれば人が減っても漁村の方が、共同体は維持されているといえる。(そもそも共同体のない都会の視点で言われたくない)

 

・なお、外からの漁業批判に対し明確に反論しておくべきことは、我が国の漁業環境はここ数年において完全に底を打ち回復に向かっていること。新規若手参入者、漁獲量、漁獲金額がそれを示している。一番の期待材料は最大資源のマイワシが増加傾向にあることで、これは全国各地の漁業を確実に復活させるものとなる。

・漁業に対しとやかくいう外部の人間に言いたい。日本経済低迷の中で自分の頭のうえのハエを追うのが先じゃないかと。外部から余計な邪魔さえしないでいただければ、漁業はほっといてもしっかりやるからご安心をと。

 

 

(回答4-2) 漁業者からみた漁業権

 

・漁業者には「漁業権を頂いているから、ありがたく漁業をさせてもらっている」という感覚はまったくない。昔からそこに海があり、先祖代々漁業を営んできたのが先にあり、あとからそれが漁業権という制度に取り込まれたというもの。

・漁業権があるから秩序が維持されているというよりも、まず仲間内でのルールがあり、次にそのルールを対外的に担保する法的根拠として漁業権があるという感じ。

 

・漁業者が漁業権を口にするのは、外部からその権利を侵そうとする行為(埋め立てなど開発行為、遊漁者や潜水レジャーなど)に対して、それを排除しようとするときにそれを出してくるが、仲間内でそれを口に出すのを聞いたことがない。

 

・漁業法に定められた漁業権の実質的な権能は、知事の漁場計画の樹立における①「漁業者間の利害調整の手段(優先順位)」と、その権利を担保する「妨害排除請求権」の2つであり、宮城県水産特区は①の機能を削除し、知事の独裁に委ねたものといえる。ノーベル経済学賞を受賞したオストロム教授流に言えば、第3の道(自主管理)から第2の道(公的管理)に時代を逆行させたもの。規制改革会議の狙いが、いずれ第一の道(市場取引)に突き進むことの魂胆は丸見え。

 

 

 

(回答4-3) 組合管理漁業権こそが海の既得権益化を防止している

 

・「漁業権を受けるに値する正当性」の意味するところは、「漁協は、既得権益に甘えているからこそ、漁業者の減少や高齢化が生じ、それゆえに、その権利を十分活用していない。よって、海と資源を外部企業によこせ」と主張する者の拠り所であり、一般国民には受け入れやすいと思う。

・しかし、法律上の観点からは見れば、組合には「加入脱退の自由」があり、参入したい人間は組合に加入すれば済むこと。その加入を不当に制限されているのであれば、それを是正すればよいだけのこと。参入したい企業が組合員になることを拒否されたなら、すぐ裁判に訴えればよい。必ず漁協側が負けるから。

・ところが、そんな話はどこにも存在せず、現に大手企業は農業法人のような出資比率の制限もなく子会社を作って組合員になっている。子会社ではなく、組合員資格を上回る大規模大手会社のままで参入したいというのは勝手な話であり、実害もない単なる嫌がらせで、水協法を変えるようなレベルの問題ではない。ありもしない問題をでっち上げ、漁場を取り上げようとするのは、存在しない大量破壊兵器があるとして、石油利権目的にイラクに戦争を仕掛けた新自由主義の元祖ブッシュ・ジュニア大統領を支えたネオコン以来の伝統的手法である。

・そもそも排他的権利を有する区画漁業権などを、外部企業によこせの要求は、組合員にならずとも海を自由に使える権利の主張であるが、これは根本的な矛盾をはらんでいる。なぜなら、その企業がいったんその権利を得ると、それ以降他の企業の参入を実質上制限することになり、加入脱退自由の組合管理漁業権より、排他性の強い既得権益者に有利な権利となってしまうからである。

・よって、組合管理漁業権に代わる新たな権利も、当然ほかの企業が望めば、何時でもその権利を分割し譲る「参入の自由」を前提としなければならないがそうなっていない。

・この点において、水産特区制度は現行制度よりもはるかに「既得権益を擁護」するものとなっており、トマ・ピケティ流に言えば「公共資本の私的資本化」であり、より分かりやすく言えば「漁民共存よりも企業独占」「生活権よりも利益優先」「貧乏人よりも金持ち優先」である。

 

国民共有の財産である海を使う権利(漁業権)の対象者として、最も正当性に欠ける者が、一部の株主の利益追求を目的とした私的企業であり、組合以上の正当性を有するものとは言えない。

・漁業法改正とITQ導入には一致した点がある。漁業分野に市場原理の導入を狙う者が喧伝する「資源は漁民のモノではない→国民共有の財産→よってITQで金持ちの私有財産に」という詐欺師的3段論法は、「沿岸漁場は漁民のモノではない→国民共有の財産→よって特区法で外部独占企業の所有に」と同じ。

 

(現実問題)

・若手漁業者が参入しても儲ける漁業においてはなかなか高齢者が撤退せず、生活していくだけの水揚げをあげにくい面はあり、そこへの計画的参入を促すことは必要と思われる。

・すでに三重県においては雇用型のまき網漁業や大型定置網漁業においては若者の希望者が多く1年待ちの状況。なお、神奈川県でも相模湾の大型定置網では20代の漁業者が一番多いと聞いた。

・一方、沿岸漁業においてはそうなっていないのは、初期投資(漁船取得)と、一定の水揚げをあげるに必要な漁労技術の習得に係る年月の間の生活費の確保などの面が課題となっており、組合管理漁業権が参入を制限している状況にはない。

 

以下、中編に続く

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