漁業権に関する質問への回答(中編)

質問5 総会の部会を活用すれば、広域合併漁協による本部と現場の距離の遠さによる地元の自治のゆらぎが解消するのではないか? 総会の部会の実態をみないといけない。

 

上記1-1、2-2で回答した通り

 

 

質問6 漁業権があると資源管理できているとは本当か? 世間にどう証明できるだろうか?

⇒ コラム熊野灘編「気まぐれな海の恵み」で「甫母でも小型エビの再放流などは、必ず第3者の確認を求める中で行うなど、驚くほど徹底している。」に関心があります。

 

 

回答6-1) やはり第3の道(利害関係者の自主管理)がベスト

 

・単純な漁業(魚種が少なく、漁船も少ない)だけで、漁業に依存する地域社会も小規模なら、公的管理や市場取引でも資源保護や地域社会の維持が可能かもしれないが、縄文時代以降の歴史を有し、多様性に富んだ日本のような漁業実態においては、オストロム教授のいうとおり、コモンズの悲劇解決には第3の道(自主管理)が有効で、それを法的に担保しているのが漁業権と言えよう。

・外国は進んでいるのではなく、むしろ遅れている。『勝ち組・負け組』の個人主義むき出しゆえに第1、第2の道しかできないのが現実。それでも何とかやっていけるのは漁業があまりにも単純だから。

・漁協による公共水面の自主管理の優位性を国民に分かりやすく説明する手法としては、宇沢弘文(社会的共通資本)、トマ・ピケティ(私的資本化による格差拡大)、エリノア・オストロム(第3の道の有効性)などを根拠とし、同時に、新自由主義がもたらした社会、経済の混乱ぶりとの対比で訴えていくことが重要と思う。

 

・なお、海の自主管理を日本における水軍の歴史から見ると興味深い。

日本には官制水軍が「白村江の戦」で唐・新羅連合軍に大敗を喫した倭の時代以降、明治になるまでの千年間以上存在せず「この間豪族や諸国の有力者が擁する私設水軍すなわち海賊衆は健在」であった。私の解釈は、海の秩序維持とは中央政権が陸を支配するように簡単にいかず、結局地域の自治に任せるしかなかったためであり、明治政府の「海面官有制宣言」の失敗からもそれはわかるというもの。

・漁業者による自主管理を基本とする漁業法を、規制改革会議の意向を受け、大陸民族の外国のように上からの押しつけ型に改正すべしとの主張は、海洋民族日本の歴史に学んでいないおろかなことである。

 

 

(回答6-2) なぜ第3者の確認を得て放流するようになったか

 

何を決めても守られなければ意味がない。

・Kでは小型イセエビの再放流を決めたが、みそ汁の具としてお椀に合う丁度良いサイズだったので、その後も持ち帰られ自家消費されていたのが実態だった。そのため、持ち帰った小型エビはかならず、岸壁でほかの漁業者に「○尾放流します」とその目の前で放流するルールに変えた。別に記録を取っているわけでもないが。

・それまでは、エビ刺し網漁業者協議会の場で、「皆さんちゃんと放流していますか」といわれたら、「放流してまーす」で済んでいたが、この決まり以降は、だれにも見せていなかったら、周りの目から「お前は決まりを守っていないな」と無言の圧力を受けるようになったので、放流の実効性が高まった。漁業者が一番怖いのはたまに来る取締船ではなく、常に存在する仲間の目である。

 

・日本人の「お天道様が見ている」という感覚は、相互扶助と相互監視(村八分という制裁付き)がセットで成り立つ村落共同体社会を背景に育ったものではないか。

・それを最も感じる出来事があった。Kではイセエビ漁で使用できる刺し網の数の上限を自主的に決めている。その網には2種類あり「エビ網」と「3枚網」である。水温が低下しエビがかかりにくくなると狙う対象が魚の方に移り、そうなると3枚網の使用比率が高まるが、これはエビ網よりも漁獲効率が良いので、エビ網2枚で3枚網1枚分との換算になっている。

・私が手伝いをしていた漁船では、エビ網換算で12枚までの使用ができる(漁船ごとに使用できる網数は乗船する正組合員数などを基準に差がある)ことになっていたが、ある日その組合せを間違って積み込んだことが漁場に着いて分かった。

・そのまま使えば13枚分となりルール違反になる。一方3枚網を使わないと11枚分に減ってしまう。どうするか。遠くにいる周りの仲間からはなに網かはわからないので、そのまま使うのかと思っていたら、なんと時間をかけて港に戻り網を積み替えたのである。

・これには驚いた。そこには「少しくらいなら」というためらいはまったくなく、誤った網数を積んできたことが分かった瞬間に「これはいかん、積み替える」と判断したのである。

・私は、この時ほど「仲間の掟」というものの怖さを痛感したことはなかった。

・このように世界で最も治安が良い日本の根底を支えている地域(漁村)共同体を基盤とする自主管理の歴史的財産を、欧米追随型の施策により分断・崩壊させようとするのが、新自由主義者の進める「治安悪化型漁業法改正(悪)」といえよう。

・江戸の100万人の治安を、300人足らずの南町・北町奉行所の人員で対応できたのは、その下に庶民による自主防犯組織があったから。それが崩壊しはじめたら、治安の悪化に国民はただ「警察はしっかりせよ」と抗議するだけしかなくなる。「お上主導型漁業管理」とは、密漁団の跋扈する「漁業秩序崩壊型漁業管理」となることは避けられない。

 

 

余談:社会秩序を破壊する新自由主義

・欧米ではテロが相次ぎ、被害者も過去最高という(世界のテロ犠牲者3万人超、過去最悪)テロ図

・難民も同じ。(世界中の難民や避難民、過去最高の6000万人)

ナンミン

・村落共同体社会の対極にあるヒト、モノ、カネが自由に国境を超えるグローバル社会とは、テロ、イミン、ナンミンも自由に国境を超える社会でもあり、今世界中で起こっているテロについては、社会秩序維持における公的取り締まりの限界を示している。特に、欧米でテロが頻発するのは、新自由主義による「共同体破壊」政策ゆえの当然の帰結ではなかろうか。

・アメリカ大統領選におけるトランプ候補の躍進やイギリスのEU離脱勢力の勝利に通底するものは、カネ以外の価値観をすべて捨象するグローバル社会に対する反動ではないだろうか。

・一周遅れのEU環太平洋版のTPPに参加するための国会批准の矢先に起こった、模範とするEUにおける離脱問題や、次期アメリカ大統領候補のヒラリーやトランプのTPP反対意思表明をどうみるか。欧米礼賛症を患い主体性なく「TPPという屋根に引きずりあげられ梯子を外された」日本政府の狼狽振りが目に見えるようで、今後どうなるのかまことに興味津々である。

 

 

(回答6-3) 海のみに着目し陸や地域を忘れた漁業法改正は絶対うまくいかない

 

・組合経営の赤字を漁場料で解消するために、ある漁協がマグロ養殖用の水面を他県の中堅養殖業者に貸すことにした。広大な海面を占有される地元漁船漁業者の反対があったものの、組合はその説得に成功した。しかし、その養殖場の運営に欠かせない陸上作業用の事業所(餌の製造や出荷マグロの陸揚げや解体)の設置において予期せぬ問題が生じた。その事業所設置予定地の後背地に住居を有する一般住民から、「よそ者は何をするかわからないので絶対反対」となり、その説得に漁協幹部は大変苦労したとのこと。

・Kにおいても大手企業系列のマグロ漁場一部拡大への反対を説得したのも漁協幹部であり、会社関係者が表に出てくれば、絶対に合意は得られなかったと考えられる。金で解決できるという簡単な話ではない。

・規制改革派は、JA改革のように問答無用で法律を改正し、海を漁業者から取り上げ外部企業に引き渡そうとしているが、そうは簡単にいかない。また、宮城県のように漁業者の反対を押し切ってやったとすれば、怒った漁民が夜陰に紛れ・・・・することも簡単。新自由主義がISを生んだのと同じ過ちが起こりかねない。

・大手企業の系列会社の現場担当者は、そのような地域の事情を肌で経験しており、力ずくでの漁業法改正に賛成の本社の意向に大いに危機感を抱いているという。

 

(共存共栄)

・Kにおける大手企業傘下のマグロ養殖場は、今は地元との共存共栄の良好な関係にあるが、これも一歩間違えば崩壊しかねない。実はその危機が一度あった。それは養殖場開設に当たって地元漁業者や漁協と結んだ覚書にある義務を企業側が隠れて一部守らなかったのである。

・その時に、企業側はそこからの収入に頼る地元漁協の弱みにつけ込み、高飛車な対応に出た。しかし、当時の組合長は「我々も収入が減れば組合経営に大きな痛みが生じ、職員も解雇せざるを得ない。しかし、信頼関係がない者が浜にいてもらっては困る。約束が守れないのであれば出て行ってくれ」と毅然とした対応をし、本社の幹部も態度を改めたことから事なきを得た。

・とはいえ、大型台風で養殖場が壊滅すれば、再建するとはいってもそれまでの数年間その収益が途絶える危険性は常にある。よって、漁協としては、万一の場合にあっても職員を解雇することなくその間を乗り切るために、直販事業や加工事業に取り組み始めたのである。

・さらにこれのみが理由ではないが、多額の資金を要するマグロ養殖業を、資金力に勝る外部企業に独占されて沿岸漁業者はただ指をくわえてみているだけではダメだという機運が盛り上がり、漁連が中心となって自らマグロ養殖を始めノウハウも蓄積したのである。これで、企業と対等に交渉できるようになり、いやならどうぞおやめください、その漁場は私たちが使いますからと言えるようになったのである。

・指をくわえるだけであった沿岸漁業者の出資により設立したマグロ養殖会社は全国でも三重県だけであろう。しかも、後発とはいえ、その会社の出荷したマグロの末端価格はなんと他の企業の養殖マグロの1.5倍という。それは初代社長が、漁連出身者で長年現場で買い付けをし中央市場に送る仕事をしていた魚を知り尽くしたプロ中のプロであったから。その秀でた戦略はマグロの赤身に着目したこと。マグロと言えば「トロ」であろうが、全体に占める重量は圧倒的に赤身が多い。その赤身をいかに美味しくするかで、そのマグロの価値が決まる。トロなど誰がやっても大して味は変わらない。何か企業は漁業者よりも優れているかの如く宣伝している素人がいるが、外から儲けのためにぽっと来た企業とそれで生きてきた漁業者とでは本気になれば勝負にならない。漁業者に足りないのは、県域レベルでの団結力。

・このように共存共栄とは、相互の力関係が均衡している時に成り立つものであり、決して企業は一方的な施しのための慈善事業で進出しているのではないということを忘れてはダメである。

 

質問7 佐藤様は「水産庁時代には想像がつかなかった・・」とお話されることが多いが、水産庁の職員には資源管理に意見する漁業者はどう見えたでしょうか?

組合員はどのように自分の正当性を伝えると理解してもらえるでしょうか?

⇒同じく「気まぐれな海の恵み」で「漁業者を前に「この数式が目に入らぬか」とやれば、自己愛性人格障害を患っているのではと受け止められ、逆効果となる。」

とあります。どう漁業者と合意を形成していけばいいでしょうか。

 

 (回答7-1) 桜本理論でようやくMSYの呪縛から解き放たれる

・Kにおける日々のイセエビ漁の水揚げの大きな違い、Aにおけるちょっとした漁場環境で大きく異なるカキの生育、Tにおけるサワラのかつてない大豊漁と、逆に数量管理の優等生であるはずのイカナゴのかつてない不漁(禁漁に)などを身近に見ると、人間は「お釈迦様の手の平の孫悟空」のようなもの。資源管理しているつもりであるが、自然の力はそれを大きく上回る。これが漁業者の資源変動への偽らざる感覚である。

・MSYを否定する桜本論文に着目したのは、資源変動に対するこの漁業者感覚に近いものであったため。しかし、資源学者間においては全く孤立無援の状況で、権威ある専門雑誌に論文を投稿しても受理してもらえないと聞く。これは物理学において、万物の法則を統一する最先端の「ひも理論」が最初に発表されたときの学会の評価(嘲笑)に似ている。

・しかし、最近発表された講演資料の中の以下のグラフを見て、この勝負は桜本理論の勝利で決着したと思った。

・これは、ISCも解明できなかった太平洋クロマグロの再生産関係を、見事なまでに説明している。

・環境が変動要因までは感覚的に理解できるものの、では何がその要因となっているかがわからないと思っていたが、以下の3要因を親魚量(St-1)にかけ合わせる資源変動モデルで、ここまで現実の加入変動と一致する理論を構築できたのは驚き。資源学の教科書を書き換えるものになると確信。ただし、資源学者の多くは絶対にそれを認めないだろうが。

 モデル

成功率

(回答7-2)「密度効果は見かけ上のものに過ぎない」をイソップの童話になぞらえると

 

イソップ童話の「北風と太陽」になぞらえ、MSYの基本をなす「密度効果は見せかけ」という桜本理論を以下のように比喩してみた。

 

厚いオーバーコートを着た旅人が村に来た。その後薄着のTシャツに着かえ、しばらくすると再びオーバーコートを来た。それを繰り返す旅人を見ていた村人は、あの旅人はオーバーコートを着たから暑くなり、我慢できなくなってTシャツに着かえた、そうしたら薄着になりすぎ寒くなったので、再びオーバーコートを着て、これを繰り返している。 と解釈し、オーバーコートとTシャツには一定の因果関係があると思ってそれを「服装の密度効果」と命名した。

そうして旅人のところに行き、自慢げにその法則性を説明したら、旅人(魚)は笑いながら、

いやいや、私は気温が低い時にオーバーコートを着て、気温が高い時にTシャツを着ているだけで、わたしが何を着る(資源が増えるか減るか)かは、温度(環境)次第であり、服装(資源密度)自体になんの関係もありません

ただし、エアコンが効いた例えば室温20度の一定の下では、オーバーコートでは暑すぎるし、Tシャツでは寒すぎるので、そこでは服の密度効果?がみられるかもしれませんね。

 

・なお、MSY理論と桜本理論の違いを、以下のようにニュートン力学(MSY)と量子力学(桜本)との違いになぞらえてもわかりやすい

 

地球上や宇宙空間でも光速とはかけ離れたロケット程度の速度の状況下では、初期値を与えれば一定の計算式どおりに物体の運動は予測できるが、電子などの光に近い速度の量子の世界での物体の運動法則は、確率論が支配しており、大きく見れば量子力学(桜本理論)とニュートン力学(MSY理論)とはそもそも物体の設定条件が違う。

つまり、桜本理論も環境が不変とすればMSYの理論と一致してくるのかもしれない。しかし、環境が大きく変動する現実の資源の変動をMSYに当てはめようとしても、ニュートン力学で電子の運動を予測できないのと同じく、大海の環境変動に大きく影響される資源の場合は(実際はそれがほとんど)変動傾向を説明できないということ。量子力学は確率論を導入することで完成されたというが、桜本理論も不確実な環境変動を導入することで、資源変動を説明できるようになった。

 

 

 

 (回答7-3)「MSYに基づかないTAC」て一体なんなの?

 

・どうも分が悪くなったTAC真理教徒から「MSYに基づかいないTACあり」との声が聞こえてくるようになった。TACとは国連海洋法条約において「最大持続生産量を実現することのできる水準に漁獲される種の資源量を維持し又は回復すること」を目的としており、この「最大持続生産量」こそがMSY理論から導かれるもの。

・つまり、MSY理論が破たんしていることが科学的に証明された魚種(親子関係が存在しない)については、TACはあり得ないことから、「MSYに基づかないTAC」とは「あんこが入っていないアンパン」のようなもので詐欺である。

・そのようなTACは、TAC制度が開始される以前から日本にある「漁業法に基づく漁獲量制限」という資源管理手法と同じであり、正確には「MSYに基づかいない漁獲量制限」と呼ぶべきであろう。それなら、むしろ日本型漁業管理への回帰というべきもので、漁業者がインプットコントロールなどの手法と比較し地域の事情に基づき導入すればよいこと。国が推進する新たな施策とはいえない。

・なお、マダラには親子関係が見られない(環境が変動要因)というのが水産研究所の評価であり、桜本論文が発表されても未だ水産庁が「マダラにTAC」とこだわるとすれば、そのMSYに基づくABC算出の科学的根拠を示すべきである。(示すことは絶対にできない)

 

 

(回答7-4) 桜本理論の曲解、誤解に注意しよう

 

(曲解)

・すでに、TAC真理教研究者は、桜本理論を「資源は環境が決める=資源保護不要論」と曲解し宣伝しはじめている。桜本理論では加入量は、「親魚量」×環境であり、「無」×環境とは言っていない。東シナ海での中国漁船の「爆漁?」の事例をあげ、あれも環境のせいかという極端論も論理のすり替え。

・桜本理論は、親を残せばかならず子が増えるという「とにかくとるな」資源管理論のインチキさの部分を指摘している。例えば、親の資源量を100残すか、50にするか、10にするかは、実際に漁業を行っている者からすると大問題。ところが、100残しても100しか加入しない時と、10しか残さないのに1000加入することが確率的に存在するのが現実とすれば、漁業経営の維持を考えて、残す親の数を減らすことも一時的にはあり得る。もちろん極端に減らすのはダメであるが、現にそんなに漁が薄いときに燃費をかけて漁獲努力を維持するバカな漁師はいない。ほうっておいても、漁獲努力量は減少する。現に、燃油は高い、魚価は安いの流れの中で最近の傾向はCPUEが増加しても漁獲量は減少している魚種が増えている。

 

(誤解)

 そうはいっても、漁業者には「やはり獲りすぎで資源が減っている」という感覚があるのは否定できないであろう。そこで、その漁業者に聞きたい。その資源の減少とは、分配論(例えば、巻き網が獲ってしまうから沿岸漁船が獲れない)の事ではないか、またそうではないにしても、成長乱獲又は加入乱獲のいずれで引き起こされているのかと。

桜本理論と成長乱獲は別問題であり、これは混同しないことが重要

・資源が環境に大きく影響されるとはいえ、桜本理論は親の数を無視しているわけではない。せっかく多く加入した稚魚を一度に取ってしまうのは、魚の数の問題ではなく「成長乱獲」という魚の重さの問題。まさに、これこそが取り組むべき資源管理であり、日本の漁業者がずーと取り組んできた小型魚保護運動そのもの

・太平洋マサバ系群の資源回復計画を始めるときの私の考え方が、桜本理論に近いので参考までに次に挙げる。

 

・小さいマサバを断続的休漁で取り控え、大きくすれば漁獲量も増えるし、生き残りも少しは増えるだろう。そうすれば4年に一度発生する確率の高い卓越年に当たれば、魚は増え始める。それを繰り返し段階的に資源を増やして行こう。(私は現場感覚とほど遠い、MSY理論など全く信頼してなかったので)「取らねば必ず増える」などと一言も漁業者に言わなかったが、それでも結果が出た。

 

ようするに、MSYなど知らなくても、成長乱獲防止と確率論を組み合わせれば資源は回復する。

・これからの資源管理は「脱MSY(TAC)」であり、次期水産基本計画における資源管理のキャッチフレーズは「脱MSY(TAC)で日本型資源管理の再評価」又は「TACIQ,ITQの虚構からの脱却」などがピッタリといえよう。「TACとは役人と研究者の飯の種」でもいいかも。

・ウソがばれてしまったMSYに代わる新たな資源管理手法は、桜本教授が主張するように、日本における資源学の権威であった田中昌一先生が提唱した「フィードバック管理方式」であり、まさに日本型資源管理への回帰ではないか。

 

 

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