漁業権に関する質問への回答(後編)

質問8 漁村共同体の崩壊を食い止めるために心得るべきこと、また社会に対してなにを訴えるべきでしょうか

 

 

(回答8-1)時代のはやりや空気にまどわされず、事実に基づき物事の本質を追及すること。

 

ロシアのアネクドート(小話)「こわれた街灯」

老人が街灯の下で何か探し物をしていた。ちょうどそこを通りかかった若者が老人に訪ねると時計を落としたという。一緒に探したがなかなか見つからない。「どこで落としたのですか」と聞くと、「向うの街灯の下で落としたが、こわれて暗くてよく見えないから、こちらの明るい街灯の下で探している」 若者「・・・」

 

週刊文春の新谷学編集長の話

いまのメディアは、批判をされない、安全なネタばかり報じる傾向が強まっている。評価が定まったものに対しては『悪い』『けしからん』と叩くが、定まっていないものは扱いたがらない。既存の大マスコミがリスクを取らなくなった。

 

日本だけでなく世界においても社会経済の低迷と混乱は、否定しがたい事実であるにもかかわらず、それを直視せず、相も変わらず同じ手法でその解決に当たろうとし、ますます深みにはまっていく。アベノミクスも、結果が出なかった過去の施策の焼き直しにもかかわらず「未だ道半ば」とし、1年半前「消費増税先送り」を掲げて衆院解散を表明し、この時「確実に実施する」と約束していた2017年4月の増税も先送り。

もう、そろそろ「壊れた街灯」のような経済政策から転換したらどうか。

 

農業への企業参入もオムロン、ユニクロなどの例を挙げるまでもなく過去何度も失敗し、企業向きの「植物工場」でさえも、その約7割が赤字経営もしくはトントンで、撤退や倒産する企業が相次いでいると聞く。しかし、マスコミはこのこと(壊れた街灯のもとにこそ真実がある)に目を向けず、明るい街灯の下でリスクも取らず、相も変わらず「補助金やめて農業を成長産業に」 新規参入・大規模化・効率化を促せ!と繰り返すだけ。おそらく、今回のイギリスのEU離脱を踏まえ、「あれ?壊れた街灯に灯が付いた」とばかり、マスコミお得意の手の平返しが始まるかもしれないが、ではどうするのかの主張もなく、ただ右往左往するだけではないだろうか。

 

刑事ドラマのセリフではないが、「迷った時には現場に戻れ」である。

事実を積み上げてその中から本質を見出す、桜本教授のように「おかしい」と思うことは、孤立無援で嘲笑されようが最後まで真実を追及する志が大切と思う。

 

 

(回答8-2)「幸せの方程式」的な視点を常に見失わないでほしい

 

・Kに住んでいた時に、わずか2キロ弱離れた隣に、林業と漁業を営む「半林・半漁」という珍しい形態の集落があったが、18軒のうち16軒が離村し、2軒のみが残る状態になっていた。しかし、そこには荒れ果て朽ちた家は一軒もなく、なぜか庭にも草が生えていない状況にあった。おそらく今も都会に出て行った住民が時々帰って来ては手入れをしているのであろう。逆に言えば、住民はこの地を離れたくなかったのである。

 

・その空家の庭に住民が植えただろう以下の一輪のユリが、けなげに咲き続けているのを見て、じっと主人を待ち続ける「忠犬ハチ公」ならぬ「忠花八ユリ」のごとくに感じられた。そのユリから「いったいこの家の主人は、このきれいな山と海に囲まれた環境を離れ、どうして都会に出て行ってしまったのだろうか」と語りかけられている気がした。

・その時に、地方にこのような状況を作り出してしまったこれまでの日本の経済政策は、「人間の幸せ」のあり方という観点から見て絶対に間違っていると確信するに至った。

 

 

ゆり

幸せの方程式

 

・上の幸せの方程式とは、資源管理型漁業の「付加価値の式」をもとにそのアプローチを政治(人間の幸せを追求する仕事)の世界に応用したもの。

・日本の漁業は戦後の長い間、資源に未だ余裕があり、高度経済成長下での魚価の向上、燃油価格が安かったという量、質、コストに恵まれた条件下で、とにかく多く獲ることが儲けにつながることでやってきた。そこに資源の限界が訪れ、オイルショックによる魚価の低迷や燃油の高騰も加わり、一気に赤字に転落しその打開策として、量、質、コストを総合的に見て経営(儲け)を維持する資源管理型漁業の推進が系統運動として開始された。

 

・これは日本や世界を取り巻く経済情勢にも共通するもの。既に先進国の経済成長は鈍化し、経済新興国の中国も陰りが見えている。これまでの「お金・もの」さえ求めればよかった時代は「成長の限界」により終焉を迎え、「環境」や「欲(道徳)」をも一体として「幸せ」を求めていく時代となったのではないか。

 

・その萌芽が今回のイギリスのEU離脱。それに賛成したイギリス人の理由の一つに「テーク・バック・コントロール(主権を取り戻そう)」があった。残留派による「離脱すると経済がどれだけ落ち込むかわからない」という脅しがあったにもかかわらず、なぜそういう選択をしたのだろうか。これこそ「幸せの方程式」をもって説明するにおいて最も適切な事例ではないだろうか。

 

質問9 コラム熊野灘編「いま1度、地域営漁計画を」は興味深い視点なのでご説明お願いします。

「まず新たな人間関係の構築が1歩目の課題となるかも知れない。」は私には非常に興味深いです。

 

 

 9-1 地域営漁計画の考え方

 

地域営漁計画の基本は「付加価値(所得)=量×質(魚価)-コスト」の式であり、これを地域の漁業種類ごと漁業者ごとの連立方程式において最も公平で効率的な組み合わせに移行しようとするものと言える。

 

(漁業者個人でも驚くほど量、質、コストを考えて操業している事例)

昨年のTのサワラ流し網漁業はかつてない大豊漁。サワラは釣り上げた後すぐに死ぬので、市場では「野〆(のじめ)」用の岸壁で水揚げされる。ところが、漁期の終わりになったころ、その漁船が「活魚」用の岸壁に来て、サワラ網に混獲されるワラサとスズキを活魚として水揚げし始めた。それまで、これら混獲魚はすべて「野〆」だったので、不思議に思い理由を聞くと「活魚」と「野〆」では倍の価格差になるときもあることから「少しでも魚価をあげるため」とのこと。では、なぜいつも活魚であげないのかと聞くと、燃費の節約のためとのこと。

 漁船は積み荷が多いほどその重みで喫水が深くなり抵抗が増すので、航行に必要な燃費が余計にかかる。特に、活魚槽には大量の海水が取り込まれ、これも船にとっては喫水を下げる意味を持つ。サワラが豊漁の日には水揚げ金額も多く、その重みに加えて活魚ともなると相当な負荷がかかるので、活魚槽を使わない。しかし、サワラが少なく、混獲魚が相対的に多く、かつ漁場が市場からそれほど遠くない条件が重なった日には、燃費節約よりも活かして持って帰るメリットの方が勝るとのこと。これこそ、量と質とコストの組み合わせから最適の解を見出す漁師の技と感心した次第。

 

なお、これを複数の漁業者間で最適解を求めようとすると以下の上の図のようなイメージとなる。また、これを実際に実施した例は以下の下の報告書の通り。

 

営漁計画イメージ

報告書

 

このような考え方は、頭の中では受け入れやすいが、当事者間ではそれまでの慣行として使用していた個々の漁場や漁労技術の優劣において、複雑な損得がからみ「俺が損をして他人を助けるのか」との感情問題が入り込み、なかなか実行できないのが現実。

しかし、漁業者の減少や資源や漁獲金額の増大は、逆にみれば既存の漁業者の所得も減少させることなく新たな資源や漁場の再配分へと移行できるチャンスであることから、漁業が底をうち反転に向かった今こそこれに取り組むべきと考える。

 

これはコモンズの管理にも通じるものであり、第一の道(市場取引)では格差の拡大が、第2の道(公的管理)では合意形成の困難性が伴うが、これには地域共同体の「共生」の価値観による第3の道(利害関係者の自主管理)による解決が最も有効であり、この点からも組合管理漁業権の優位性がうかがえる。

なお、漁協の持つ海の管理と経営の二つの機能を分離せよという一部からの主張は、資源(量)と経営(魚価、コスト)とは一体不可分というこの点からしても暴論と言わざるを得ない。

 

 

9-2「まず新たな人間関係の構築が1歩目の課題となるかも知れない」の意味

 

漁業現場にいると、こうすればよくなる、ああすればよくなる、などのアイデアはたくさんあるが、その前に立ちはだかる問題は、そのために必要な人そのものが漁村部にいないこと。一方都市部には退職した高齢者が多くおり比較的簡易な漁業作業にその活用は誰もが考える。しかし、理屈上はそれが良いと思っていても現実にその通りいかない。それは人間が感情の動物であり、見ず知らずの人間が身近に来ることに対する忌避感があるため。

 

この3月に都市部の高齢者に試験的漁業体験としてワカメ養殖の陸上作業を手伝ってもらったが、受け入れた漁家の奥さんは精神的な負担を感じたとか。一方、漁業者は自分では感じていないが、外から見れば漁村は農村以上に閉鎖的であると受け止められたと思う。

Tに住んで感じることは、住民全部が顔見知りで家族のような感覚。自分のマンションの隣の人に外で会っても気が付かないこととは、大きな違い。もともと人間は顔見知りの地域共同体において生きてきた。それが明治以降、都市部への労働力として移動し始めてからは、会社など職場がそれに代わったものの、退職後にはごくわずかの近所付き合いを除くと多くの人間は社会で孤立した状況にあると思う。

 

いかなる経済活動であっても、それは人間と人間の結びつき・共同作業であり、部品と部品を合体させるようにはいかない。募集すればいつでも人が集まる大会社や都市部の企業ならいざ知らず、地方の第一次産業において新たな経済活動を立ち上げようとすれば、まず外部との人間関係を新たに構築することから始めなければならないように感じる。

 

漁村に永住する必要はないが、繁忙期に来て顔見知りの漁家を手伝うといった活動は、都市部高齢者から見るとまさに「故郷再生」でもあり、日本人が近代化の過程で失ったものを取り戻す社会運動にもなると考える。

 

質問10 規制改革会議の意をくんだ漁業法の見直しに関する主張が、水産系M新聞で連載されていましたが、それに対する見解をお聞かせください。

 

 

(回答10-1) 「漁業法の漁業調整機能とは、科学的根拠を欠く人間の力関係による恣意的な機能を意味する」(2016年2月12日付M紙)について

 

漁業者間の利害関係を調整する「科学的根拠」とは一体何なのか。この社会一般において種々の利害関係があり、それを法律に基づき解決(調停・裁定)するのが、司法制度であり具体的には裁判所である。しかし、これまで裁判所の判決に「不当である」とか「偏向している」とかのセリフは聞いたことがあるが、「科学的根拠に基づいていない」という批判は聞いたことがない。何がいいたいのかわからないが、いつものTAC批判の常套文句の「TAC」の部分を「漁業法」に置き換えただけではないかと思われる。これではいつもすぐだまされる素人さえも理解できないであろう。

 

むしろ「規制改革会議の意図するところの漁業調整機能とは、科学的根拠を欠く政治(官邸)の力をかさに着た、利益追求企業の強権的な参入を意味する」の方がぴったりする。

 

 さらによく読むと「外国の法律は、漁業者が儲けることを目的としているから、保有数に一定の制限を設け、譲渡可能にしているが、日本は許可の権利化の弊害を除くべきとの議論に終始し、資源の維持と経営の安定が軽視され中途半端な一斉更新に制度で終わった。」としている。

こんな文章では詰めが甘い。即座に、日本においても隻数上限はある、許可は実質上売買されてきている、経営の安定を重視するからこそ実績を重んじた一斉更新を行ってきている、資源の維持を軽視しているというが、それであればどんどん許可隻数を(抽選にでもして)一方的に減らせばよいのであるが、それでは経営安定どころの話ではなくなる、と反論されて終わりであろう。

要するにコモンズの悲劇の解決を市場取引(第一の道)に委ねよといいたいのであろうが、それならそう明確に書けばよい。そうすれば、これは、漁業法の漁業調整機能が科学的であるかどうかの問題ではなく、漁業の世界に格差拡大を持ち込む施策が正しいのか、間違っているかを世に問うだけの話である。下手な屁理屈をこねるからわかりにくくなる。

 

なお、2016年2月12付M紙見出しは「時代に遅れた漁業法 今も適切な管理できず」となっているが、中身はいつものTAC,IQ、ITQは外国に学べであり、これは漁業法と関係ない。漁業法と海洋生物資源保存管理法との区別もついていない幼稚なレベルの話である。

 

 

(回答10-2) 「民主化目的の漁業法により、多くの有為で有能な経営者が排除され、小平等主義と不透明な漁協主導の運用がはびこる」(2016年2月26日付M紙)について

 

 この投稿者は、自著で「資源回復計画」を批判しながら、水産庁の会議では「私は資源回復計画を見たことがない」と言った方なので、まず書かれていることが本当か嘘かを確認すべきであろう。例えば、

・有為で有能な経営者が排除された事例を具体的に。

・潜在的な意味とすれば、今その経営者はどこにいるのか。

・また、なぜその経営者を有為で有能と判断した具体的理由は。

・小平等主義の具体的事例

・不透明な漁協主導の運用の具体的事例

 

以上を明確にしてはじめて、この主張は根拠があるものとなるが、ここではその具体的証拠が一つも示されていないので、これ以上コメントしようがない。

 

なお、現実的に考えても、農業においてすら参入企業はほとんど成果が上げられず撤退しており、まして漁業おやである。あの世界最大のサーモン養殖企業は、鳴り物入りで愛媛県ハマチ養殖に参入したものの、ほうほうの体で撤退したと聞く。また、宮城県の水産特区への参入企業はなぜ県からの5億円近い補助金を必要としたのか。「有為で有能な経営者」であればそんな多額の補助金は不要であったはず。

 

そもそも言っていることが矛盾していないか。仮に「有為で有能な経営者」がマグロ養殖業に参入したければ、日本の海は広くて大きいので、邪魔にならない沖合域や人の住んでいない離島周辺で養殖を行えばよい。例えば、沖の鳥島などでやれば排他的経済水域の基線として中国の難癖に苦労している外務省からも大いに称賛されよう。しかし、現実にはその能力に欠けるので、既存の利用されている漁場に割り込もうとしているだけ。自分の儲けのために零細漁業者を排除するそのどこが「有為で有能な経営者」といえようか。

 

漁業は農業と異なり、グループ企業を含めると1兆円を超す売り上げをあげる水産大手企業が昔から子会社を通じ全国各地に参入している。本当に「有為で有能な経営者」による企業は、すでに地元との共存・共栄関係を築いている。むしろ漁業者の反対を力づくで押し切り、漁業法を改正してからしか参入できない浜の秩序に無理解な「無為で無能な経営者」による新規参入企業こそを、既存の企業は迷惑がっているのが現実ではないか。

 

(回答10-3) ABCの法的定めない日本 モニターは漁業者に委ねる(2016年3月4日付M紙)について

 

 化けの皮がはがれたMSYに基づくABCは論外として、投稿者はここにおいて「TAC管理は漁獲量の正確な把握が最も重要。諸外国の場合モニターは政府が責任をもってやっているが、日本では漁協に委ねており、これでは正確な情報か確証が得られていない」としている。これこそ大嘘である。

 

 K漁協の市場で4か月、T支所の市場で1年間手伝いを行ってきてこれほど漁協の水揚げ量の管理が正確であることには驚いた。それはなぜか。仮に、その計量値が実際よりも多いと「めぎれ」が生じ仲買人から猛烈なクレームが来る、一方それが実際よりも少ないと今度は漁業者から猛烈な抗議が来る。それにしても漁業者はそのに日どのくらいの重量の魚を何尾市場にあげたかをよく覚えているものである。よって、計量に当たっては水切れをしっかりするなどしてから、漁業者に聞こえるように大きな声で読み上げて計量・記載する。

 

 さらに、市場でのセリが終わったら直ちに女性職員が、野帳に記載されたデータ(水揚げした漁業者名、魚種名(サイズ別の銘柄で表記されている場合もある)、尾数、重量、活魚か野〆の区分、セリ価格、セリ落とした仲買人氏名の7種類の情報)をパソコンに入力し、その日の午後4時には漁業者や仲買人の漁協内のポストに投函される。T市場では午前11時、午後12時半、午後2時、午後3時半の4回競りが行われるが、最後のセリの情報もわずか30分内で入力される。

 

 なぜこのような正確なデータが得られるのか。それはTACやIQなどという簡単に数量をごまかせ、違反を誘発する資源管理制度を日本が限定的にしか導入していないからである。それに比べ、EUなどあらゆる魚種をTACの対象にしている国での重量のごまかしは昔から有名な話であり、先般は、TAC真理教徒がTAC管理の理想の国と称するNZですら漁獲量の過少申告が内部告発で明らかになったという。

 

投稿者の「うそつき」は今に始まったことではなく、他人を嘘つき呼ばわりする立場にない。このような者に学位を授けた大学はその資格をはく奪すべきであろう。

 

(回答10-4) 科学的管理と無縁の海区漁調(2016年5月20日付M紙)について

 

農業委員会もすでにそう改正されたが、選挙によって選出される企業参入に反対の漁業者代表を(無投票が多いことを理由に)排除し、企業・法人優先の知事の意のままに委員を決まられるという、信じがたい時代を逆行させる独裁制への回帰となりかねない。そこまで選挙が嫌いなら、ついでに県会議員も全員知事任命制に移行したらどうか。もっと徹底して戦前のように知事自体も中央が任命する官選知事にしないと不公平である。

おそらく、今の与党では漁業者の反対があっても、農業委員会もそうしたと、力づくで海区漁調の改正を行う可能性は極めて高い。しかし、水争い程度の農業の紛争では済まない、場合にあっては相手漁船を囲み自分の港に拉致し、船に火を放つ漁業紛争をどうやって解決するのか、海保も警察も尻込みする漁業紛争の解決において、排除された漁業者は一切の仲裁役を買わないので、知事選任委員のお手並み拝見としかいえない。

 

なお、海区漁業調整員会の選挙において無投票が多いことは、確かに私も何か談合でもしているのではないかと受け止めていた。しかし、浜で何かを決める時のやり方を見ていて、必ずしも多数決が良いという訳ではないと思い始めた。浜での話し合いは「さようなら民主主義」である。そもそも「さようなら」の語源は、昔、寄り合いで意見をまとめるときに、反対をしていた者が最後に「左様(然様)ならいたしかたない、今回は同意しよう」という言葉を使ったので「さようなら・・・」が話し合いの終わり、別れの挨拶の意味を持ったという説である。

最近の政治情勢を見ていると、多数を占めた方がその利害関係者がこぞって反対しても好き勝手にしても良いというお墨付きを与える「51対49民主主義」になってきている気がする。一方、全会一致や拒否権を与えると今度は何も決まらないという弊害もある。

ではどうすればよいのか。それは、おそらく聖徳太子が説いた「和」の精神に行き着くと思う。選挙をすれば必ず誰かが敗者になる。そのしこりを避けるために、無投票となったとしても、それが間違っていると決めつけることはできないのではないかと思うようになった。

 

(回答10-5) 続く沖合、沿岸の紛争(2016年6月10日付M紙)について

 

最も警戒すべきなのが内紛介入の彼らの手口である。

これはかつての欧米列強が植民地支配において使った民族・宗教間の対立をあおり互いに憎悪させ、自らの支配をやりやすくする「分割統治」の手段と同じである。そのことが独立後においても尾を引き、今も地域紛争の大きな要因となって残っている。

このような見え透いた手口にもかかわらず、「あいつらが資源減少の原因だ―、あなたたちは被害者だー」という甘言にそそのかされて、すでに、沿岸と沖合の紛争が激化したところがある。

漁業紛争とは何も沖合と沿岸の対立だけではなく、沿岸同士の対立もある。動き回る魚を獲る漁業者にとっては、自分以外はすべて敵ともいえる。「宿毛の100年戦争」ではないが漁業紛争は未来永劫続くもので、だから日ごろからの当事者間による話し合いが大切なのである。決して外部の関与で紛争が解決したためしはない、むしろ感情の対立をあおるだけで、あとはよろしくで終わる。無責任な甘言に決してのせられてはならない。

なぜかというと、彼らの真の狙いは沖合漁業ではなく、儲け優先の外部資本(場合にあっては外国資本も)に、資源と漁場を解放させることにある。だから、まず沖合漁場から解放させたあと、必ず次の標的を沿岸漁業に向けてくる。彼らを零細漁業者の味方と思うのは大間違いである。残念ながら宮城県の水産特区は漁業者間の隙間をうまく利用されてしまったのではないか。一致団結しておれば絶対に跳ね返せたと思う。おそらくこれで、長年培ってきた地域共同体が崩壊していくと思う。これを強行した村井嘉浩知事はいずれ去っても、その後に残るものは漁業者間のいやしがたい憎しみ合いだけではないか。米軍が去った後のイラク国内のように。彼らのやることはあまりにもひどい。

 

 

 

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