EU問題から地域格差を考える 後編(その①)江戸時代に学ぶ制御システム  

後編のテーマは、経済活動に不可欠な「資本」という正常細胞に「主義」がつくと、制御機構が失われ「がん化」してしまい、国民の栄養がとられ格差が拡大することから、資本が「がん化」しないような制御システムをいかに導入していくかです。(後編は長くなりそうなのでまずその①をアップします)

 

偉い学者ですら「わかりません」といっているのに、素人の私がこうすればよいというのも大変おこがましいのですが、その制御システムのヒントが隠されていのが「江戸時代」と思います。

 

江戸時代に着目した理由は、意外にも先進的な市場経済が発達し、激しい市場競争が繰り広げられた時代であったにもかかわらず、260年という長い間において安定的経済が維持され国民の間に格差が広がらなかったという事実からです。なぜか資本が「がん化」しなかったのでしょうか。

 

結論を先に言いますと、それは江戸時代の社会・経済の制御システムとして、コモンズの悲劇の解決策の「第3の道」が機能していたからではないかと思います。

 

改めてノーベル経済学賞受賞者のエリノア・オストロム教授が定義したコモンズの悲劇の3つの解決策をおさらいすると、

 

第1の道「私的所有権を設定し市場分配に任せる」(「私」と略す)

第2の道「政府による管理」(「官」と略す)

第3の道「共有資源に利害関係を持つ当事者による自主管理」(「公」と略す)

 

となります。

この場合の「コモンズ」とは「成長の限界に達した市場(需要)」と捉えますが、この状況下において

 

第1の道「私」が前面に出ると、中心が周辺を蒐集し続け格差が拡大し、いずれ資本主義は死に至る。

第2の道「官」が前面に出ると、官を掌握する政治集団(共産党)が国民を蒐集し、旧ソ連と同じ社会主義の末路をたどる。

第3の道「公」が前面に出て「私」を取り込みつつ「官」を土台にしてその上に乗っかることで、資本を制御し低成長下でも格差が拡大しない安定的な社会経済が維持できる。

 

というのが私の結論です。

 

江戸時代とは、「私」と「官」と「公」が絶妙なバランスをとり、その中心に「公」があり、「私」と「私」のぶつかり合いを「公」という自主管理システムが調整し、それが「官」の裏付けを得て、効率性と公平性を両立させることで、資本ががん化しない社会を実現したといえるでしょう。

 

一方、いまのグローバル資本主義の時代は、「私」がドカッと真ん中に居座り、「官」がその座布団として僕(しもべ)化され、「公」がどこかに吹き飛ばされたような状態と例えられます。

 

以上が抽象過ぎてわかりにくい私の結論ですが、それを具体化しながら、なぜそのような結論に至ったかの経緯を述べていきたいと思います。

 

1 江戸時代が現代資本主義経済の参考になり得ることの確認

 

現在は資本主義であり、江戸時代は「遅れた封建主義」だったというイメージが強いので、それに学ぶこと自体に無理があるという疑問は当然あると思います。資本主義とは、以下の4つの条件

・私有財産制(民法体系による司法による財産権の法的保護、経済的自由権)

・私企業による生産

・労働市場を通じた雇用、労働

・市場における競争を通じた需要、供給、取り引き価格の調整、契約の自由

を満たすことが必要とのことです。(ウィキペディア)

 

 もちろん江戸時代は厳密には資本主義ではなかったでしょう。もし資本主義であったなら、260年間も天下泰平で格差の少ない時代が続くわけがありませんから。むしろ私にとって面白かったのは、ネットにあった江戸時代は資本主義ではなかった理由にあげられた

・私有財産制度が保障されず(幕府や藩が勝手に財産を取り上げる事がある。)、

・公平で公開された労働市場では無く、コネ採用が基本

・しばし価格や競争が幕府や藩に統制される。

こそが、資本の「がん化」を防ぐ制御システムの一部であったことでした。その理由は後で説明します。

 

 一方で「資本主義は江戸で生まれた 」(鈴木浩三著 2002年5月 日経ビジネス人文庫) という本もあるくらいで、すでに先進的な市場経済システムが存在したということは確かなようです。江戸時代の経済に関する本をいろいろ読んだ中で、最も詳しく、しかもわかりやすく説明してくれたのは、この鈴木浩三氏(なんと東京都現職職員)の本でした。

 

 その中でも「江戸商人の経営」(2008年7月8日発行 日本経済新聞出版社)は、私の知りたかった資本の「がん化」を防止する制御システムの事例がふんだんに盛り込まれていました。そこで知った当時の市場を巡る競争の凄まじさには、それまでの江戸時代への思い込みが全く変るほどに驚きました。もし江戸時代の経済を勉強したいと思われる方がおられるなら、ぜひこの一冊をお薦めします。

 

 その本の「はじめに」に以下のような記述(抜粋)があります。

 

・江戸時代は、金、銀、銭の変動相場制、為替の発達、米の先物取引、市場メカニズムが決めていた金利水準など、「封建時代」というイメージとは裏腹に、資本主義的な市場経済システムが十二分に機能していた時代だった。

・創業者の家業を頑なに守るというのではなく、市場の変化に応じて商家=企業組織は変化することが多かった。競争を有利に運ぶための事業の再編と集中、多角化のほか、産地形成のための資本やノウハウの投下なども盛んだった。現在のM&Aや提携に相当する行為さえ一般的だった。

江戸時代の経営システムや経営行動には、現代とまったく異なるものが当然みられる一方で、外見は違っていても基本的に変わらない性格のものも多い。それゆえ260年にわたって安定して成長を続けた「江戸時代の成功」のなかに、現代の資本主義の修正に向けた視座が埋もれている可能性がある

 これは、現在の資本の「がん化」時代において、江戸時代に学ぶべき点が十分にあると受け止めても良いということではないでしょうか。

 

 なお、これから江戸時代の話を進めいていくにあたり、以下の二つの点を確認しておく必要があると思います。

 

①江戸時代とは本当に格差が小さい社会であったのか

②江戸時代の経済は本当に安定したものだったのか

 

でないと、資本主義の次の時代に望まれる社会・経済のあるべき姿に欠かせない格差の少ない安定経済を実現してくれるかどうかわからないからです。

 

まず①について

定量的なものは見つけることができませんでした。

しかし、米本位経済にたつ支配者階層である武士が、貨幣経済の拡大のなかでいつも商人からの借金に追われていたこと、一方金貸し側である商人もたびたび出された幕府による棄捐令(きえんれい:債権放棄・債務繰延べ)などにより、幕末まで残った商家は多くなかったことなどからすると、今の世よりは格差は少なかったと推測されます。

 

また、格差が少なかったことは幕末に来日した外国人の共通する感想です。その代表的なものがアメリカの初代駐日公使タウンゼント・ハリスの「日本滞在記」にある以下の記述でしょう。

見物人の数が増してきた。彼らは皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。一見したところ、富者も貧者もない・・・、これが恐らく人民の本当の幸福の姿というものだろう。私は時として、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以(ゆえん)であるか、どうか、疑わしくなる。

 

次に②です。参考になるのは以下の表ではないかと思います。

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(出典)「江戸の市場経済」(岡崎哲二著 講談社選書メチエ155)

 

江戸時代の人口は、始めの100年間で倍増しており、その後はほぼ3000万人で推移していますので、高度成長から低成長へと移行した260年間を通じてみると安定経済の時代といっても良いと思います。今のように給与が安く長時間こき使われ、結婚できない若者が多い人口減少の経済情勢ではなかったということでしょう。それにしても、この山ばかりの狭い国土で化学肥料も農薬も耕運機もなかった時代に輸入にも頼ることなく3000万人を安定的に養ったというのには驚くべきことです。

 

以上から、江戸時代の経済は現代の資本主義経済との比較対象となり得ると判断しました。

 

なお、江戸時代から資本の「がん化」を制御する方法を学ぶにおいて、

現代の格差拡大の要因はここにある

⇒では江戸時代はそれをどう制御していたのか

⇒よって現在のここを直すべき

というふうに進めていきたいと思います。

 

それでは、前編と中編において指摘した「格差拡大の原因」ごとに、江戸時代にはそれをどう制御したのかをひとつひとつ考えていきたいと思います。

 

2  経済単位を分割した幕藩制という制御システム

 

では、始めに前編での私の勝手な結論

経済単位を大きくすることには地域間格差を拡大する欠陥がある

日本を分割してそれを独立的経済単位にすれば、地域経済は良くなる

について、江戸時代はどう対応していたかを見てみましょう。

 

(1)藩(周辺)が幕府(中央)に対し強い経済的独立性を有していたこと

 

江戸時代とは、幕府を全ての武士の頂点とし、最高の統治機関としながらも、各大名がそれぞれの領地においてある程度独立した統治機構(藩)を形成していた「幕藩体制」下にあったことが大きな特徴です。今風に言えば、徹底した地方の時代でした。なお、「藩」という言葉が使われるようになったのは明治時代からのことで、当時の国とは日本国のことではなく「おらがクニ」であり精神的にも独立した地方の時代と言えるでしょう。

 

 藩の数は、途中で改易や転封による増減があったものの幕末では約270ありました。またその規模も100万石から1万石までまちまちでしたが、今の都道府県(47)や市町村(1741)の数と比較すると、その中間に位置する随分小さな経済単位であったと思います。しかし、原則として自給自足している国であり、自己完結型の経済単位でした。

 

 

このことは、中央が自由貿易の促進と国内規制緩和を強行採決しても、知事には「わが県は第一次産業と中小企業が産業の主体であり、参加しません」という拒否権が認められていたわけです。この高い独立性は、経済単位を大きくさせない資本のがん化の抑制にきわめて大きな役割を果たしたと思います。

 

なお、ネット「廃県置藩のすすめ」にあった解説では

中国は中央集権的・同心円的な権力構造を持ち、広大な領土と多数の国民を支配していた。日本の場合は細かい自己完結的なユニットに分割して、中心への資源の集中を防ぎ、結果的に国全体のパフォーマンスを上げていた

と私が言いたいことをより的確に表現してくれていました。

<では現在に当てはめたらどうなるか>

 

中心が周辺を蒐集するためには、領土と国民を直接支配できる中央集権制度の方が絶対的に有利です。なぜなら、各国中央政府(日本においては官邸だけで十分)を1%の利益を代表する民間委員だけで構成された専門家会議(アメリカでは民間企業の利益を代表する500人の米国政府の貿易アドバイザーがそれに相当)で操(あやつ)ることができれば、国内の規制緩和はもちろん、外国との間でもヒト、モノ、カネ、サービスが自由に国境を超える自由貿易協定を結ばせ、経済単位を拡大させることで、グローバル規模で周辺を蒐集できるようになるからです。

 

よって、それを阻止するためには、再び地方に強い経済的独立性を与えることが必要となります。しかしそれでうまくやっていけるでしょうか。ここまで地方が蒐集され衰退してしまった現在では、簡単にはいかないでしょう。最大のネックは、地方自治体は地方税では歳入の3割程度しかまかなえないという事情からです。

 

だからいくら「地方の時代」とは言っても中央にお金を頼らざるを得ず、中央に逆らえないことから、地方をより貧しくする中央主導の貿易自由化にも反対できなかったと思います。鶏が先か卵が先かわかりませんが、バブル崩壊後の低成長下における地方衰退⇒国への依存度高まる⇒国による自由貿易促進⇒さらに地方衰退の繰り返しでした。

 

この過程で市町村数が3232から1821に減少した平成の大合併が行われ、それでも増田寛也元総務大臣がまとめた「896の自治体が消滅しかねない」という報告書になるのですが、これでよいのでしょうか。地方は座して死を待つのではなく、一時的に貧しくなっても独立するしか生きる道はないと思います。

 

周辺が貧しくなるほど中心にすがりさらに蒐集される、この悪循環を断ち切るには、まず日本を分割して地方が独自に貿易協定を結べるようにすることです。その時の経済単位を仮に道州制にするイメージとすれば、欧州の各国と同等の面積や人口規模を有していることから、決して非現実的なものではないと思います。

 

これにより、貿易の自由化で衰退した第一次産業や中小企業を復活できます。もちろん、地域によっては輸出産業が主体のところもあるのですから、その地域ごとにどういう貿易が良いのか判断すればよいのです。なにも鎖国するわけではありません。ゼロか100かの選択をせよというわけではありません。その地方にとって域内の産業を衰退させ、雇用奪ってきた相手国との間でのヒト、モノ、カネ、サービスの出入りを制限すればよいのです。おそらくイギリスでもイングランド、スコットランド、アイルランドはそれぞれの地方にとってよりよい独自の方向に進むのではないでしょうか。

 

トランプ次期大統領が、雇用を奪い1%を富ませるだけの無原則な多国間の貿易自由化から、再び国内に雇用を呼び戻す2国間貿易協定の交渉を開始すると主張しているのも同じと思います。これまでの貿易自由化がもたらした格差拡大の現実を見れば、それにより困る人は少数派であり、明らかに多くの人は今より豊かになると思います。「自由貿易」とは金持ちを保護する貿易です。「保護貿易」とは国民を保護する貿易です。金持ち保護貿易か国民保護貿易かの選択の問題です。

 

(2)国税がなく地方税だけであったこと 

 

江戸時代における地方(周辺)の経済的独立性は今から思えば徹底していました。

幕府は大名に税金を課すことはしませんでした。もちろん、それにかわる「天下普請」や「参勤交代」の義務は課しましたが、これは有効需要効果の極めて高い施策で、決して周辺を貧しくするものではありませんでした。幕府自身も含めて自分の歳入は自分の直轄地からしかなかったのです。独立性の見返りに厳しい自己責任が課せられていた時代といえるでしょう。

 

<では現在に当てはめたらどうなるか>

 

今これを実行すると、地方交付税による都道府県間の富の再分配がなくなり、東京都などの歳入の豊かなところは別にして、そうでない自治体は国税分の歳入が増える程度ではやっていけなくないでしょう。自力では生きていけない、これが多くの市町村が簡単に合併に応じた理由でしょう。これでは、地方は永遠に自立できず、周辺は中心に蒐集され続けるしかない気がします。

 

急には無理でも、地方が国から自立するためには、「国と地方の支出の比率は2対3、税収入の比率は逆に3対2」の見直しは避けられないと思います。しかし、このことは国に甘えられない、逃げ道がふさがれることを意味します。しかしその時にこそ、背水の陣を敷いた死ぬか生きるかの本当の地方創生が始まると思います。

 

例えば地方創生のモデルと言われている島根県海士町の山内道雄町長の取り組みは「財政破綻を目前にした離島の小さな町が、名物町長と“日本一安い給料で日本一働く町職員”を中心に、“奇跡の復活”を目指す」というものです。

 

「日本一安い給料で日本一働く町職員」には、ブラック企業の社長もタジタジですが、中身には決定的な違いがあります。明日は確実にもっと苦しくなるがんの末期症状での苦しさと、これを乗り越えると未来が開ける苦しさの違いです。あの夕張市と肩を並べるくらいの財政苦から逃げず、貧乏してでも自分たちで生きる道を探ろうとする必死さ、そこから絞り出した「島おこし」のアイデアが、借金を減らし島外からの若い移住者を多数呼び込むなどの成果を上げたような気がします。

 

かつての小泉純一郎元首相が国民を大いに煽った「ある程度の痛みに耐えないと明るい展望が開けることはありえない。改革なくして(経済)成長なし」や「痛みに耐えてよくがんばった! 感動した! 」の「痛み」とはまさしく「末期がんの痛み」だったのです。そんな痛みに耐えても何の明るい展望も開けなかったのは現状が証明しています。

 

国にすがっていても、自由貿易や規制緩和が強行採決される中では「896の自治体が消滅しかねない」のです。地方はどちらの痛みを選択すべきでしょうか。国税だろうが地方税だろうが足せば日本としては同じです。消滅するくらいなら国税を順次地方税化し身の丈(歳入)に合った自立した地方として生き残る選択肢しかないのではと思います。

 

(3)地方に通貨発行権(藩札)があったこと

 

藩札とは

江戸時代に諸藩政府が原則として領内通用を目的とし、各藩の財政部(=勝手方)および藩用達商人(=札元)、またはその何かに発行させ、正貨への兌換を約束した紙幣

(日本銀行金融研究所「金融研究」第8巻第1号 藩札の果たした役割と問題点 桧垣紀雄)と定義されています。

一国の中にありながら、藩札という地方に独自の通貨発行権(幕府の許可は必要)を認めるとは、EUの共通通貨「ユーロ」導入の方向性と全く逆です。

 

幕府は、金・銀・銭(銅)の3種の貨幣からなる全国統一の貨幣制度を導入しました。

(雑談)

おもしろいことにこれらの貨幣は独立したものであり、それらの交換比率が頻繁に変動したことです。例えば、両替商で1000円札を100円硬貨にすると今日は10個手に入るが、明日になると9個しか手に入らないようなものです。「東の金使い、西の銀使い」といわれるように、円レートの変動に一喜一憂する外貨交換の気分が外国旅行に行かなくても国内での金と銀の交換で味わえるとは、なかなか粋な時代でしたね。

江戸時代に貨幣経済が大きく発展したのは、この全国統一貨幣制度ゆえですが、なぜ藩札というその藩内にしか通用しない貨幣が必要となったのでしょうか。それは、幕府が正貨の鋳造権を独占しており、自領内の通貨不足を来しても、これらの需要を満たすことができなかったことから、幕府の許可を得て補完貨幣として藩札を発行する必要があったからだそうです。

 

もちろんそれにはメリットとデメリットがありました。上記論文に以下のような内容が記載されています。

 

まず、デメリットです。

当時の各藩は今の日本政府と同じく大変な財政難にありましたので、藩札は濫発されがちとなり、インフレが生じ、取り付け騒ぎが頻発するという事態となり、これに対し藩当局は正貨との兌換を停止したり(兌換比率の)大幅切り下げに追い込まれるケースが少なくなかったとのことです。幕府は、途中で藩札の発行・使用を全面的に禁止したこともあったそうですが、それにより逆にデフレと藩財政の一層の窮乏化を招いたことから藩札禁止令を解除し、再び各藩はその増札に踏み切ったとのことです。

 

 

一方、藩札のメリットとして藩財政再建、藩内産業育成のため、藩札による藩内生産物の買い上げ、生活資金の貸し付けが行われ、殖産興業との抱き合わせで藩内産業の発展に貢献した例も少なくないとしています。特に、生産・運転資金の供給、すなわち資本として発行された場合には生産の拡大による正貨の増加を伴った結果、藩札が「健全通貨」として機能したとされています。

 

このように藩札を巡る情勢は安定しておらずガタピシ続きだったものの、幕末まで藩札を抱えた通貨体制が維持されたのです。これは江戸幕府の3大改革などにも共通することですが、禁止したり解除したりと経済施策における試行錯誤がよく見られます。

 

過去に失敗した施策を、ちょっと化粧直しして繰り返すだけの現在のような「馬鹿のひとつ覚え」経済施策ではない、現実に応じて政策を逆方向にでも転換するフィードバック管理経済施策が、江戸時代が種々の問題を抱えながらも、深刻な事態に至ることもなく、安定した社会経済を維持できた秘訣ではなかったかと思います。

 

<では現在に当てはめたらどうなるか>

 

さすがに、今のままの状態ではあり得ないでしょう。いまも、起債という借金の道はありますが、これはあくまでお金を借りるのであり、無から有を生む通貨発行権とは根本的に違います。

 

しかし、地方が強い経済的独立性を持ち、独自で外国と貿易協定を締結できるようになれば、独自の通貨と発行権を持つことになるのは当然ではないかと思います。そうなると、日本国内間でも北海道円、東北円、関東(東京)円、・・・九州・沖縄円など各種の円が存在し、それぞれの交換比率が日々の相場で変動するようになります。これは江戸時代には常識であったことですが、なにかワクワクしてきますね。

 

前編のEUのところで触れましたが、独自通貨を持つことで、金利もその地域にあったレベルに設定できるとともに、地域の経済力に応じた為替レートとなり、その上輸入規制もできるようになれば、地方においては外から入ってくるモノは確実に高くなりますが、その一方で地域内の産業が復活し、雇用は間違いなく増えるでしょう。

 

<質問に答えた演習問題:いったい何が起こるか>

 

それでは、その時に何が起こるか、前編に対し読者から以下の質問が寄せられていますので、ちょうどよい演習問題として考えてみたいと思います。

一つ疑問がございます。

「日本を分割してそれを独立的経済単位にすれば、地域経済は良くなる」と書かれておりますが、もしそれを実践したとしたら、レートの安い地域で買って、高い地域で売る、といったような商売が多発して、経済格差から物量格差問題(物がない地域と余っている地域が出たり、売り惜しみしたり)を引き起こすのではないかと考えました。

佐藤さんはどのようにお考えでしょうか。

 

日本分割後の都会円(対ドルレートが現状維持:100円/ドル)と田舎円(対ドルレートが200円/ドルに円安移行)を仮定し、分割した地方間での貿易(モノの移動)がどのように変化するのか、具体的に品目をあげて考えてみましょう。なお、単純な外国との貿易において地域円導入で為替レートが変動するとどうなるかは、今と同じですから省略します。例えば田舎円地域では200円/ドルとなれば外国人旅行者がどかーんと増えるなどです。

 

①日本では生産できないモノ:原油などをイメージ

 

現状とさほど為替の変化がない都会円地域では今と変わりませんが、田舎円地域では対ドルレートが確実に円安(1/2の価値に低下)となるので、原油は確実に値上がりしガソリン代は税金分を考えないとすれば2倍になるとおもいます。しかし、このことで北海道人が関東に行って1/2の値段のガソリンを買い北海道で売るとしても、北海道円100円は関東円50円にしか替えられないことで相殺され儲けはないと思います。

 

②日本でしか生産されず都会円地域に偏っているモノ:日本車をイメージ

 

ピッタリとはいきませんが、都会周辺に多い工場で生産される自動車をイメージします。田舎円地域にとっては、外から入ってくるモノはすべて高くなるのでこれは困ります。安い車にするか、替え替え時期を先延ばして対策を講じるしかありません。都会円地域にとっては現状維持です。

 

③日本のいたるところで生産されているモノ:コメをイメージ

 

 都会円地域の農家に大きな打撃を与えるでしょう。同じ100円で売っていたコメが田舎円地域から一気に50円になって搬入されてくるので。もちろん実際の販売価格は50円以上100円以下となるでしょうが、田舎円地域の農家はこれで儲かることは間違いないでしょう。ご質問にあるように為替差益を目的として田舎円地域のコメを買って都会円地域で売る業者が出てきても不思議ではありません。そのために田舎円地域の人々がコメが高くなり困るというのは一時的にはあるかもしれません。

しかしそもそもコメは減反しているので、いずれ作付け面積も増え価格は低下してくるし、なによりも田舎の農家の所得が増えることで人が住み続けることができるのです。それで、田舎が消滅から免れるのであればその程度のことは気にしないのではないでしょう。例えば、野菜など異常気象による大不作では産地でも高くて買えないほど高騰することは今でもあることですから。もちろん主食のコメが食べられなくなるほど輸出が増加する極端な状況になれば、どこの地方でも緊急輸出制限を課すと思います。

 

④狙いは輸入品からの国内市場の奪還

 地方分割で、同じ日本の地域間競争を激化させようというのが目的ではありません。一番の狙いは日本でも外国でも作られているモノの工場と国内市場の奪還です。突出した一部輸出産業によりもたらされた異常な円高により、国内生産での競争力を失い外国に出て行った工場が、再び田舎円地域に回帰してくることです。ユニクロで日本製の下着が買えるようになるかもしれません。これで地方の雇用が増えます。また、都会円地域の消費者が、為替との関係で輸入品との価格競争力がついてきた田舎円地域の第一次製品を買ってくれるようになることです。

 

そうすると日本の中の地域間での生産と需要の循環が高まり、一見矛盾していますが、分割することで外国への依存度が低下し、日本人同士の依存度が高まるこれが狙いです。これにより輸出・輸入に頼らなくても真の意味のGDPの増大効果「雇用ある経済成長」がもたらされると思います。(経済成長という言葉は私は大嫌いですが、ここでは正しい意味で使いました)

 

このことは、EUからのイギリスの離脱や、トランプ次期大統領のいう「米国の内需拡大や雇用創出、景気回復のために、日本や中国といったアジア諸国から生産や雇用を米国に取り戻す」という「反グローバリリズム」の流れの中での今後の日本のあり方に備えたものになるのではないかと思います。

 

(頭の体操)

サンマ漁船はどこで水揚げするようになるか

サンマ漁船は北海道から銚子沖までを漁場にしています。ここには北海道、東北、関東の3つの地域円が存在します。それぞれの対ドルレートを200円、150円、100円としましょう。それぞれの地域のスーパーでは1尾を同じ100円で売っています。

さて、あなたが北海道に住むサンマ船の船頭であったらどこで水揚げしますか?

 

(4)民主主義でなく封建主義であったこと

 

ついに頭がおかしくなったのか、民主主義より封建主義の方が良かったとでもいうのかと。

しかし、あることを知って「なるほど、これが江戸時代において地方が自立していた理由ではないか」と思わざるを得なくなったのです。

それは、江戸幕府が大名に対し、これを守らないと「改易」(大名から身分を剥奪し所領と城・屋敷を没収すること:聞きなれた言葉で言えば「お取り潰し」)するぞ!と定めた「武家諸法度」の中にある

知行所務清廉ニコレヲ沙汰シ、非法致サズ、国郡衰弊セシムベカラザル事。

訳:領地での政務は清廉に行い、違法なことをせず、国郡を衰えさせてはならない

 

です。

 

大名改易の理由の多くは、武家諸法度の明確な違反を理由としたものは少なく、一般的に大名が統治能力を失っていると見られた場合が多かったそうです。その代表的なものが、島原の乱を引き起こした松倉・寺沢両大名とのこと。島原の乱はキリシタン弾圧が原因という見方が定着していますが、じつは反乱の原因は年貢の取りすぎであったという「内政の不手際・過酷さ」を責められて改易されたのが真相のようです。

 

内政に失敗し、過酷な年貢を課すと農民は一揆に打って出るか、夜逃げせざるを得ず、さらにそれが年貢の減少となる。そのような「国郡を衰えさせてはならない」に反する状況が幕府に知られるとその藩の大名は「お取り潰し」になる。

 

そうなると大名は、何代も続く名家を没落させてしまいご先祖様に死んでもお詫びしきれない。だから必死になって藩の経営を図ろうと、貨幣(商品)経済に移行する中で生き残りをかけ領民と共に特産品の開発に力を入れた。のではないでしょうか。

 

では、今の政治家(首長)はどうでしょうか。これだけ地方が疲弊し人口減少が続き、農民が昼間に堂々と離村し限界集落が多発し「国郡を衰えさせている」のに、誰一人「お取り潰し」にされた政治家(首長)はいません

 

それだけではありません。「政務は清廉に行い、違法なことをせず」まで含めると、まさにお取り潰しになってよい政治家(首長)が山のようにいるのではないでしょうか。2代続けて途中退任した東京都知事などはその典型です。

 

この町(村)が合併せざるを得なくなれば「船と運命を共にする艦長」のように首を釣って命を絶つというくらいの覚悟を持つ政治家(首長)は、なぜいなくなってしまったのでしょうか。上で触れた島根県海士町の山内道雄町長は珍しくそれに近い人でしょう。

 

このように考えると、民主主義で選ばれたその任期限りの政治家(首長)より、封建主義における大名(領主)のほうが、より地域の事を長期的視点からまさに命がけで考えてくれたのではないかと思わざるを得ません。だから常識に反する「民主主義より封建主義が良かった」の見出しにしたのです。

 

<「公」なき民主主義の欠陥>

 

私は最近つくづく「民主主義とは本当に良い制度なのか」と考え込まざるを得ないことがよくあります。その理由を以下に列記します。

 

・なぜ1%を富ませ99%を不幸にする経済施策を推進する政党が選挙になると多数を占めるのか。

・なぜ選挙で「TPP断固反対」といいながら選挙後には「強行採決」する公約違反の政党が選挙になると多数を占めるのか。

・なぜ地方を選挙基盤とする政治家でありながら、TPPに反対して離党しないのか。

・なぜ先の郵政民営化選挙の時に反対して離党したような政治家が選挙で当選しなくなったのか。

・なぜマスコミへの露出度の多い人物が、政治家としての資質にかかわりなく選挙になると当選するのか。

・なぜ他人の追及には厳しいのに、逆の立場となると逃げまわる政治家が選挙で当選するのか。

・なぜ国政や地方議会において政務調査費を不正使用する政治家がこんなに多く当選できるのか・・・

 

 

なぜ、なぜ、なぜ

民主主義という欧米由来のご立派な制度において選ばれた政治家がこうなるのでしょうか。民主主義という制度にどこか欠陥があると考えざるを得ません。最近よく民主主義に疑問を投げかける本が散見されますが、以下私なりの考え方を述べてみたいと思います。

 

 

これも切り口は、「コモンズの悲劇」の3つの解決方法の「私」「官」「公」です。

 

投票による多数に従うという民主主義は、一見理想的な制度と受け止められますが、もともと私欲のぶつかりあいを、数の多さで決するための「私欲集団の決闘手段」のようなものではないかと思います。

 

以前私が、タイ国の漁業省の役人の方に「なぜ、あなたたちは選挙の結果を尊重しないのですか」と質問した時の答え、「選挙すればタクシン派が勝つに決まっており、彼らは支持基盤の農村部向けの政策しかしない。だから初めから選挙を否定するのだ」がまさにそれではないでしょうか。よって軍部による政権でしか国政が成り立たないのでしょう。

「アラブの春」の失敗も民主主義の限界を示していると思います。

 

あくなき私欲を追及することで成り立つ資本主義にとって、民主主義は都合が良いものと思います。なぜかというと、いくら格差の少ない公平な社会を希求しようと言っても、すべての政党が実際には個々の国民の私欲を喚起する利益誘導政策しか唱えていないように思えるからです。私欲追求は資本主義の最も得意とするところなので「あなた成長しますよ」と誘惑されると誰もがそう信じます。民主主義とは誇大広告で欠陥商品をいかにうまく売りつけるかの商売人のコンテストかもしれません。

 

そう考えない限り、明らかに99%の者が貧しくなるのがわかっていても、1%の富裕層の利益追求を優先する政党になぜその99%の者が自殺行為のような投票をするのか、それ以外説明がつかないからです。また、本来99%の人民による独裁(究極の民主主義?)であったはずの共産主義革命が、1%の共産党員の私欲追及の結果しか招かず、食料品店に長い行列を作っただけで破綻したのかも説明がつかないからです。

 

その私欲の調整、言い換えれば調和の「和」に近い機能は、選挙で選ばれた私欲代表の政治家「官」には無理で、私欲(利害)関係者の集まりである「公」の自主的管理にあるのではないかと思います。後で詳しく説明しますがこの「公」が社会経済の中心にあったのが江戸時代で、だから格差が拡大しなかったと理解します。聖徳太子以来の日本の美徳である「和」とはコモンズの悲劇の解決策の第3の道「公」に近い概念ではないかと思います。

 

一方、ヨーロッパ発祥の民主主義は、「人間」が如何にして互いの個立と自己所有とを人間的共存において求め得るかという思想の中で生まれてきたことから、「私」と「官」で成り立っていると思います。よって格差拡大が避けられず、幕末の日本を見た外国人が格差の少ない日本に驚いたのではないでしょうか。その日本においても格差拡大を止めることができなくなったのは、民主主義の欠陥を補う役割を果たす「公」が、「私」と「官」のダッグによりつき壊されてきたからではないでしょうか。

 

以上、前編の結論に関し資本のがん化抑制システムについて江戸時代に学ぶべき点について考えてきました。

次回「後編その②」以降では、中編で指摘した8つの格差拡大要因について江戸時代はどう対処してきたかを考えていきたいと思います。

 

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