EU問題から地域格差を考える 後編その② 江戸時代に学ぶ制御システム  

今回は、中編で指摘した8つの格差拡大要因について江戸時代はどう対処してきたかを考えてみたいと思います。

 

なお、以下の江戸時代の諸情勢については、「江戸商人の経営」(鈴木浩三著 2008年7月8日発行 日本経済新聞出版社)からの引用ですが、その他からの引用の場合はその都度明記します。

 

1 「お金の変質が格差の要因」にどう対処したのか

 

1980年には実体経済対金融経済の比率は1:1.09に過ぎなかったのが、その後金融経済が急激な膨張をして現在では10倍以上。「ドルが金と切り離され、ペーパーマネーになった」ことで、お金の箍(たが:金属や竹で出来た輪)がはずれたのが格差の原因という説についてです。

 

江戸時代の貨幣は金、銀、銅(銭)であり、藩札は紙幣でしたが正貨との兌換性がありました。江戸時代も後期になると金や銀の純度が下がったことからその実質上の価値も下がったようですが、基本的にお金に箍(たが)がはまっていたと言えます。また、お金を増やすために、お金を商品と見なして売買する行為(金融経済)も両替商などの一部では行われていましたが、今のような規模ではなかったようです。

 

もちろん、お金がビックバンを起こしてしまった今の経済において、ニクソンショック前に戻り貨幣を金と交換できるようにするのは、素人が考えても無理ではないかと思いますが、バブルの発生と崩壊の繰り返しによる経済の混乱と格差拡大の防止のためには、金融経済の膨張に箍をはめ、実体経済規模とのバランスを維持する施策は、絶対的に必要思います。

 

<理解できないこと>

 

私は株はやりません。ギャンブルにも関心がありません。なぜかわかりませんが、遺伝かもしれません。だからそう思うのかもしれませんが、例えば膨張した金融経済の主体を占める株式についてその規模が実体経済と乖離して膨張するのがどうしても理解できないのです。

その理由はこうです。

株式の経済活動に必要な資金(資本)を市場から直接調達するという目的は理解できます。また、投資に見合ったその会社の利益からの配当も理解できます。しかし、その株から得られる利益は、その投資先の経済活動から得られる利益を上回ることはあり得ない、つまり株価とは実体経済の規模と一定の関係にあるはずなのに、どうして実体経済の何倍にも株式総額が増大するのかです。

 

土地バブルも同じです。たとえ銀座の一等地とはいえ、その土地を買ってどんな商売をするのかわかりませんが、そこから得られる利益では到底返済できないような価格で売買されるのか理解できないのです。道路そばの山の斜面が億円単位もするわけがありません、だからバブルがはじけたのは当然です。

 

いかにも立派な経済活動をしているかのような顔をしているが、その実態は単なるギャンブル(しかもなぜか参加者のほとんどが儲かる)ではないでしょうか。貨幣の本質は実体経済によって生産されるモノやサービスを交換する約束状です。ところが何一つ生産しない連中が、実存するモノやサービスの量以上に、勝手にその交換約束状を作りだしてよいのでしょうか。株式市場とは偽札製造市場と言ってもそう外れていないような気がします。実体経済が低迷しているのに、ただ株価が上がることを喜ぶ政権とは、偽札が世に出回ることを歓迎する政権ともいえます。これでは、偽札づくりに関与していないまともに働く人間が貧しくなるのは当然ではないでしょうか。。

 

 

       ブラックボックスわらしべ長者物語

 

海の向こうにある国で、金融工学を学んだという若者が村に帰ってきました。

道端に座り何か黒い箱を前に置いています。

「ちょっとそこを通るお方、この箱には彼の国の素晴らしいものが入っている。1万円でどうか。絶対2倍で売れるぞ。しかし中身を見てしまっては価値がなくなる」

「そうかそうか、それなら買おう」

こうして村人は次から次と転売を繰り返し、とうとうそのブラックボックスの値段は1億円にもなりました。

 

もちろん、この作り話の落ちは中身をどうしても見たくなった村人が、みんなの見る前でブラックボックスを開けると何も入っていなかったです。こうしてその最後の村人は1億円の借金を抱え夜逃げしたのですが、それ以上に困ったことは、その転売過程で儲けた1%の村人がその金で農地を買いまくり、村人の99%が貧乏な小作人になったということです。なお、その1億円の借金は村役場が肩代わりしたというおまけがつくと完璧なブラックおとぎ話です。

実体経済(中身)と乖離した金融経済がもたらす現状もこれと似ているような気がします。

 

 

<鼠小僧から小判をもらっても庶民は使えなかったという意外な真実>

 

私は、博打(ばくち)化した金融経済が実体経済に及ぼす悪影響を阻止するためには、お金の種類を分けることではないかと思います。例えば、子供がままごとに使うのは子供銀行券です。これを持ってお店で「アイスください」とはさすがの子供も言いません。しかし、博打経済で儲けた者は平気な顔でそのお金をもって買い物をするのです。これはおかしいと思います。パチンコですら景品との交換しか認められていないのに。

 

そこで、子供銀行券もままごとに使うのであれば役に立つように、博打経済において得られた貨幣は「博打銀行券」として博打経済でのみ使用できるように限定するのです。しかし、投資したお金が実体経済において得られた出所がしっかりしたお金であれば、投資先の企業の成長率を上まわる増加分について減額して(これを「博打効果調整率」という)実体経済における使用を認めることです。

 

「博打銀行券」を定義するとすれば「実体経済でのモノやサービスとの兌換性の裏付けがないにもかかわらず、1%の富裕層が大量に発行し、99%の国民を貧困化させるお金」でしょうか。

 

トマ・ピケティは、格差拡大の力を「不等式:r>g」であらわしています。rは「資本年間収益率」で、gは「経済成長率」です。rがgを大幅に上回ると、資本からの所得(不労所得)のほうが労働から得る所得より圧倒的に大きくなり、働かなくても資本を持った人間の方がますます豊かになるとしています。よって、この「博打効果調整率」を導入すれば「不等式:r>g」が「等式:r=g」となり、格差の拡大が抑制されます。

 

さらに私の直感でモノを言えば、この不等式こそがマルクスが言った「資本主義は持続性のない自滅的なシステム」すなわち、資本を「がん化」させる根本的原因ではないかと思います。これを生態学的に捉えれば「循環が切れている」であり、仏教的な考え方では「因果応報」になるのではないでしょうか。

 

話を戻しますが「博打効果調整率」を導入すれば金融経済の規模が実体経済の何百倍になろうが、子供がままごとで1億円単位で買い物をしているようなもので、ご勝手にしてくださいとなります。でもそんなことをして大丈夫か? 株で儲けた金をその額面では、実体経済で使えないとなると株を買う人がいなくなる、これは資本主義の根本を否定するのではないか、という意見があるかもしれません。しかし素人の私はそう思いません。

 

そもそも実体経済は日々の人間の営みの積み重ねです。一夜で激変するようなことはあり得ません。ではなぜ世界大恐慌時のように株価が一夜で大暴落するのでしょうか。そもそもここが間違っているのです。

 

株はその会社の経営権を手に入れる手段であり、また配当は企業業績という実体経済からもたらされるものです。投機的利益がないと投資しないなどはおかしいと思います。よって「博打効果調整率」を導入しても株式の本質は失われません。株式を悪用した博打による利益(濡れ手に粟、浮利を得る)のみがカットされるだけです。

 

金融経済(しっぽ)は実体経済(犬)のためにあり、実体経済への投資利益はその業績に応じ得られる本来の姿に戻るだけです。なお、江戸時代にも問屋株仲間の株取引が行われましたが、その目的には投機的なものはなく、あくまで事業に参入するためのものだったそうです。

 

ところで、身分によって使えるお金が実質上区分されていたという意外な江戸時代の事情をご紹介します。同じく鈴木浩三氏の著書ですが「江戸のお金物語」(日経プレミアシリーズ115 2011年3月8日発行 日本経済新聞出版社)に以下のような記述がありました。

・3代将軍家光の頃から、身分・階層によってお金の使い方にはっきりとした区分がつけられるようになった。

・大名や幕臣の中でも将軍に拝謁できる身分以上の旗本は金貨、それ以下の御家人は銀貨、百姓・町人は銭という区分

・鼠小僧に小判を投げ入れられても、もらった方はそのまま使えなかった。庶民が購入する少額品は銭で支払うものだった。身分不相応な小判を両替商に持ち込めば一発で足がついてしまう。怪しまれずにすんでも、不利な交換比率で買い叩かれた。

 

博打経済で儲けた博打銀行券が、鼠小僧の小判のように、そのままでは実体経済で使えないようにできればよいですね。こっそり持ち込んできたらすぐに警察に連絡するか、徹底的に買い叩いてやればよいと思います。

 

2 「マネー創出のメカニズムの変化が格差の要因」にどう対応したのか

 

改めて「資本主義の終焉と歴史の危機」水野和夫著(集英社新書 2014年3月19日発行)の該当部分を以下に引用します。

1995年に銀行業務と証券業務の兼業を認められたことで、マネー創出のメカニズムを根本から変えてしまった。それまでのマネーは銀行の信用創造機能によってつくられ、その時の主役は労働者であり、商業銀行。ところが、「金融市場空間」でマネーを作ろうとすれば、主役は商業銀行ではなく投資銀行。こうして、貯蓄行為を行う家計は「地理的・物的空間」から主役の座を降り、その座を「電子・金融空間」において巨額の資金をボタンひとつで、国境を越えて自由に動かすことのできる資本家に譲り渡した。

この「電子・金融空間」という実態経済と遊離した博打経済がお金を作り出し、労働者が得られるはずであった利益を遮断したことが、格差拡大の要因となった点では上記1とおなじですので、その対処方法も同じく「電子・金融空間」において創出されたお金を実体経済から遮断することではないかと思います。

 

そこで、ここでは視点を変え「お金の創出」メカニズムから労働者が排除されたことが、そのお金の使い道、すなわち労働者により生み出されていた「需要の創出」メカニズムという本来一対の関係にあるべきものを壊してしまったという需要サイドの観点から考えていきたいと思います。

 

例えば、OECDは「格差が拡大すると経済成長が低迷する」という報告書を発表しましたが、これはお金(しっぽ)を創出しても、需要(犬)を創出していないから経済は低迷する、しっぽと犬のバランスが壊れ犬がまともに歩けずふらついている、と解釈する視点です。日銀の金融緩和もしっぽをさらに太くする効果しかないので、成果が上がらないのは「猿(犬)でもわかる」ということです。

 

そこで、今の経済に決定的に欠けている「需要の創出」において、江戸時代に学ぶことは多くあると思います。私は、知れば知るほど江戸幕府は天才的な経済センスを持っていたのではないかと思わざるを得ません。だから260年間も格差が拡大せず安定的経済を成し遂げられたのではないでしょうか。ケインズよりはるか昔から「経済とは有効需要の創出である」ということを理解していたのは驚きです。

 

<天下普請と参勤交代による有効需要創出システム>

 

江戸時代の市場経済発展を支えた骨格は、

・需要と供給との関係が日本列島とアジア大陸の太平洋岸を含めて確立したこと。

・統一的通貨により貨幣経済が全国に普及したこと。

・物資を輸送する水運網が確立したこと。

とされ、有効需要の創出システムとして「天下普請」と「参勤交代」があげられています。

 

             天下普請とは

・江戸幕府が全国の諸大名に命令し、行わせた土木工事のこと。

・幕府発足から70年間は特に江戸に普請が集中した。

・基本的に軍役としての扱いで失敗すればお取り潰しもあった。

・織田信長、豊臣秀吉の時代からあった。

・有効需要を刺激し続けただけでなく、同時に戦闘集団を民生転化させ余剰人員を経営資源として活用した。

・反乱要因の回避ができた。

・大名間で工事の種類における得意・不得意があり、それを市場原理のもとに取引して分担した。

 

             参勤交代とは

・各藩の藩主を定期的に江戸に出仕させる江戸幕府の法令

・天下普請と同じく軍役扱い。

・これに要する経費は大名の実収入の半分以上を占めた。

・このため、大名は大商人から多額の借金をした。

・耕作適地の開発が限界に達した後は、質素倹約に勤めたが大名は借金返済に苦慮した。

天下普請とあわせ国富の5-6割が江戸に集中した。

 

江戸を中心に行われたという天下普請(インフラ整備)の乗数効果は高いものであったと思います。なぜなら、江戸(首都)の人口は諸説あるものの、当初は15~20万人程度であったものが、100万人以上(一説では地方からの一時的滞在者も含めると150~200万人)まで増加したからです。それだけの人口を支えるためには上水道が不可欠であり、神田上水や玉川上水などの整備がそれを可能としたのでしょう。

 

それにしても世界の端の極東にある小さな島国で、どうして当時としては世界最大の大消費都市(有効需要)を作り上げることができたのか、需要不足のデフレ不況に悩む現代社会は江戸時代に学ぶことが多いと思います。

 

 

<富の集中の中身の違い>

 

私は、天下普請と参勤交代をあわせ国富の5-6割が江戸に集中には驚きました。それなら今と同じく江戸に地方(藩)が蒐集され、地方は衰退したのでないかと思いましたが、以下の事例のように地方の人口も増加しているのです。

金沢藩  1664年 515千人 ⇒  1852年 696千人

仙台藩  1668年 429千人 ⇒  1867年 557千人

熊本藩  1633年 204千人 ⇒  1858年 623千人

長州藩  1663年 204千人 ⇒  1867年 487千人

土佐藩  1681年 328千人 ⇒  1774年 433千人

(ウィキペディア:江戸時代の日本の人口統計より)

 

これは、現在と比較して不思議に思わざるを得ません。現在の日本においても高度成長期以降、高速道路や新幹線など全国各地で公共事業をやってきたのに、東京の人口は確かに増えましたが、地方の人口は減少の一途だったからです。

 

国富の5~6割が江戸に集中したのになぜ地方も成長したのか? 不思議です。おそらく、これは江戸への「富の集中」の中身が、例えば62人の大富豪への「世界人口の半分の富が集中」の中身とは全く違うからではないかと思います。

 

つまり江戸に集中したのは「実体経済で使われる富=有効需要を創出」であって、今の時代で大富豪に集中している「使われないペーパーマネーという富=需要を減退」という経済において全く逆の効果をもたらす「集中」であったからではないかと思います。

 

江戸への富の集中とは、全国各地の産品が菱垣廻船や樽廻船により上方経由で江戸に運ばれるという有効需要創出の集中であって、むしろ地方にとっては「江戸がどんどん買ってくれることで儲かる」と大いに歓迎されたのではないでしょうか。

 

もし、天下普請も参勤交代もなかったら江戸時代は決してあそこまで市場経済が発展していなかったことだけは、素人の私にも想像がつきます。おそらくほかの国のように支配者階層は、自分に富を溜め込み有効需要を生まない、いわゆる「金持ち」になっていたでしょうが、軍役という形での有無を言わせぬ強制で「金使い」にされ、いつも借金に追われていたのが江戸時代ではなかったでしょうか。つまり「金持ちを作らず金使いを作る社会」であったから、金巡りの良い格差の少ない安定経済を長期にわたって維持できたような気がします。

 

これを現在に置き換えてみましょう。

例えば、ビル・ゲイツ氏が実体経済から稼いだ金で大金持ちになっても(労働分配率のことはとりあえず横において)批判すべきではありません。また彼が自分の資産を慈善事業に寄付することも立派なことです。しかし、問題は死後50年以内に財団の資産を使い切って活動を終えるとしていることです。これでは格差は埋まりませんし経済も良くなりません。その年に儲けたお金は、翌年中に実体経済で使い果たすことを義務付ける、たったこれだけでよいのです。簡単な話であり富裕層も増税されるより喜ぶでしょう。

 

 

<参勤交代に似たソフト事業を今に活かせないか>

 

参勤交代という有効需要を持続的にかつ全国の街道沿いに幅広く生み出す制度を考え出したことには本当に感心します。というのは、現在の景気刺激策の代表はハード面での公共事業か、ソフト面では地域振興券のようなモノしかないからです。しかも、その財源は税金という貧乏人からも集めたお金であることから、これでは火をつけながら水をかけるようなもので持続性にかけ、かつやればやるほど財政赤字が積み上がり増税となって戻ってくるので、かえって需要を減少させ格差是正にもつながらないような気がします。

 

そこで、東京に集中した使われないお金を地方で実体経済に使わせるために、金持ちや内部留保をため込んだ大企業に「逆参勤交代」を義務付けてはどうでしょうか。つまり、1年おきに東京本社と田舎本社との間で職員も含め移転させることです。さすがに工場は無理でしょうがいわゆるホワイトカラー(証券会社などがその典型)の仕事であればネットが発達した今では不可能ではないでしょう。

 

1年おきに都会と田舎の間を行き来するなど「無駄だー」という轟轟たる大反対が起こるでしょう。確かに参勤交代も無駄の典型でした。譜代大名でさえ「こんな無駄なことはやめるべきだ」と公言したといいます。しかし20年以上有効需要の創出ができなかった現在の日本経済は、無駄なことによって有効需要を創出した江戸時代に学ぶしかないのではないでしょうか。意外と子供や家族は「田舎の方がいい、お父さんだけが東京に帰って」となりかねませんね。

 

無駄と言えば「ピラミッド」もそうですが、これは雨季にナイル川の水位が上がり、農耕作業ができない時の有効需要創出という効果があったと思います。もし古代エジプトの王様が無駄だからやめようといったらむしろ庶民は仕事がなくなり困ったのではないでしょうか。

 

日本の課題は生産能力があるのに需要が少ないから起こるデフレ不況への対策です。ということは、最も効率的な有効需要創出を江戸時代に学べば徹底的に無駄なことにお金を使うことではないでしょうか。無駄とは、見る立場の人間から判断が異なります。金持ちから見ると自分のお金が減ることはあっても増えることがないものにお金を使うことを「無駄」というのですから、その無駄にこそお金を使わせることが有効需要創出になるということです。

 

 

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