EU問題から地域格差を考える 後編その④ 江戸時代に学ぶ制御システム 

今回は格差を拡大する要因の5番目について考えていきます。

5 新興国の発展が格差の要因

グローバリジェーションとは、「中心」と「周辺」を結びつけるイデオロギーであり、「中心」と「周辺」を組みかえる作業でもある。資本主義は「周辺」の存在が不可欠なので、途上国が新興国に転じれば新たな「周辺」をつくる必要があり、それがアメリカではサブプライム・ローン問題であり、日本では非正規社員

これはいったい何を意味するのでしょうか。

私はまずこう考えました。例えば日本のA地域にあった工場が、安い人件費を求めて外国のB地域に移転すると、今まではA地域(中心)がB地域(周辺)にその製品を売ることで富の蒐集が行われていたが、逆にBがAに売るようになりAがBに組み替えられたということではないかと。

この場合、経営者はA地域でもB地域でも儲けは維持できます。一方、労働者からみれば賃金の高かったAの労働者は失業し、その分B地域の雇用は増えるでしょうが、Bの賃金はAより低いのですから、同じ製品をつくるために必要な賃金は低くなっているので、経営者と労働者の格差は当然拡大します。

 

次に「日本では非正規社員」を考えてみます。日本に非正規社員が増えた理由は、1990年代初めのバブル経済崩壊がきっかけとなり、正社員Cをリストラして、低賃金のパートや派遣社員Dを増やしたからです。つまり、同じ仕事ではあるが、より賃金の安い労働者としてCがDに組み替えられたということでしょうか。同じ仕事をさせるために必要な賃金は低くなっているので、経営者と労働者の格差は当然拡大します。

 

この二つの解釈は、地域と人というところが一致しませんが、その根底にあるものは、日本のA地域で作っていた製品が簡単に外国のB地域で作れるようになったこと、正社員Cの仕事が簡単に派遣社員Dでもできるようになったこと、つまり「いつでも、どこでも、だれとでも」モノを作ったりサービスを提供できるようになった「組み換えが容易になった」と解釈すれば一致するのではないでしょうか。

つまりグローバリジェーションとは、今まで国境や国内規制が守ってきた地域や労働者の組み替えの困難性の壁を、自由貿易の促進や国内規制の緩和で突き崩したことから「いつでも、どこでも、だれとでも」同じモノを作ったり、サービスを提供できるようにしたといえると思います。

 

これは一見素晴らしいことです。日本では栽培できなかったバナナやコーヒーが北海道で作られるようになったり、その一方で日本の得意とするハイテク工業製品がアフリカのジャングルの中で製造できるようなものですから。

しかし、これでは今までそれを作っていた生産者やサービスを提供してた会社から見れば、たまったものではありません。いつ奈落の底に落されるかわからないのですから。一方、消費者にとっても「いつでも、どこでも、だれとでも」の世界とは、どこに行っても同じモノやサービスしかないのですからちっとも面白くないですね。

 

私は、今回の課題である「新興国の発展が格差の要因」とは、中央による周辺の蒐集の過程で起こる「中心と地方の組み換えが」世界の等質化を生じさせ、資本主義が終焉を迎えるひとつの要因となっているのではないかという視点から考えました。では、江戸時代はそれをどう抑制したのか見ていきましょう。

 

1 「非対称性」という江戸のキーワード

 

鈴木浩三氏の江戸時代の経済関連本を読んで、最も説得力を感じたのは江戸の経済は「非対称性」により支えられたという説明でした。まさに、この「非対称性」こそが、江戸260年の経済安定のキーワードであるといっても過言ではないと思います。

これを具体的に言えば「地域経済の多様性の維持」です。それと真逆にある世界共通の価値観の下で市場競争を促す「グローバル化」こそが、経済の発展に貢献すると信じている人々においては、にわかに信じがたいものでしょうが、わたしには大変共感できるものでした。

 

その概念は、各地域が「非対称性を保った」逆に言えば「等質化しなかった」からこそ各地で特産品が作り出され、自分にないモノへの需要が相互に生じ、その交換で利益を得る経済活動が盛んにおこなわれたというものと理解されます。江戸時代は、外国貿易はごく限られており主体は藩際貿易ですが、これこそ互いにないモノを交換するという本来の貿易(交換)の姿ではなかったでしょうか。

 

一方、グローバル化とはヒト、モノ、カネが国境を自由に越えることから、共通市場における寡占競争の結果、どこの地域や国においても同じようなモノやサービスに等質化され、それを交換することで利益を得ようとする経済活動のインセンティブが失われてしまうでしょう。グローバル化が進展するほど貿易は低迷してきているという現実を見ても説得力を感じます。

 

このことを生態学的な観点からとらえれば、等質化により地域差がなくなるということは、多様な生命をはぐくんできた自然界での高い・低い、暑い・寒い、濃い・薄いなどの相反する(非対称な)物理的現象が溶け合うことで等質化し、どこも同じの薄っぺらい生態系になってしまうことは容易にイメージできます。日本の有名な生態学者今西錦司氏が唱えた以下の「棲み分け理論」という一種の進化論も趣旨は同じです。

種社会は様々な契機によって分裂し、別の種社会を形成するようになる。分裂した種社会はそれぞれ「棲み分ける」ことによって、可能ならば競争を避けつつ、適切な環境に移動することができたとき、生物個体と種社会はそれぞれ自己完結型・自立的な働きを示す。その結果生じる生理・生態・形態の変化が進化である。

これは、身近な感覚としても外国旅行をしたときに感じられます。確かに景色は違っても、どこに行っても同じような看板が目立ち、食事はスターバックスかマック、買い物はウォルマートかカルフール、お土産はすべて「Made in China」では旅行の魅力も失われ、グローバル化が進展するほど「どこもあまり変わらないねー」と外国人旅行客も減るでしょう。

 

国内でも同じ傾向があります。私が帰省したときに必ず食べていた大分駅構内の地元うどん屋が駅舎の新装に伴いなくなり、その代わりになんと全国チエーンの「さぬきうどん屋」が出店していてがっくりしたようなものです。もちろんその店のうどんが不味いとか値段が高いという不満ではありません。全国的に見れば明らかにその店の方が競争力があるでしょう。しかし、そこでしか食べられなかったものがなくなり、どこにでもあるものがどこにおいても食べられる等質化(非対称性が喪失)した「うどん社会」で本当に「うどん経済」が発展するのか、むしろ逆ではないかという基本的な疑問を抱かざるを得ません。

 

2 革新は非対称性の再生という解釈

 

まったく勝手な素人的な解釈ですが、マルクスの「資本主義はその欠陥ゆえに崩壊する」と結論は同じでも、理由が正反対のシュンペーターが言った「資本主義はその成功ゆえに崩壊する」は、非対称性を埋める過程で経済が発展し、その結果生じる等質化で経済が衰退することを言っているような気がします。

彼の説を前向きにとらえると、資本主義の宿命ともいえる蒐集を通じた等質化を打破するため、絶え間ないイノベーションによる革新が必要とし、それが経済発展に不可欠な「非対称性」の再生と解釈できるのかもしれません。しかし、新自由主義者から見たらマンネリ化し非対称性を失った社会経済体制を壊すのは簡単でも、あらたに創造するには相当の年月を要するものと思います。

なぜなら、シュンペーターの「革新とは創造的破壊なり」は、創造と破壊の許容される時間差と差し引き量が示されておらず、破壊は1年で創造は100年後でもOK、破壊は99で創造は1でもOKという無責任な解釈も可能なものだからです。現に規制改革会議の餌食になったタクシー業界の犠牲により、創造された産業など聞いたことがありません。

このように、新自由主義者のよく唱える「創造的破壊」とは、自分以外の他人の生産基盤を突き崩す(破壊)することで、底辺への「非対称性」ともいうべき結果を招いているような気がします。彼らが実際にやっていることは、改革の名のもとに自由貿易推進と国内規制緩和で、経済の一層の等質化を促進しているのです。これでは、貧負の格差という「非対称性」の再生には成功したのかもしれませんが、正しい意味での「非対称性」の再生はまったく見当たりません

 

なお、すでに指摘した「経済単位を大きくすることで格差が拡大」も同じく「非対称性の喪失」の観点から解釈することができると思います。経済単位が大きくなるほど、そこでの寡占競争を通じた少数勝ち組の商品への需要の集中がおこり、当然その生産も少数特定企業に集中し、需要と生産の両面での等質化が起こるからです。よって、この非対称性が維持されたからこそ、江戸時代は長年にわたり格差が拡大せず、経済が安定したのではないかと思います。

 

3 江戸時代に非対称性はなぜ維持されたのか

そもそも非対称性とは、地域ごとの経済の特異性が存在することが前提となります。江戸時代の経済基盤とは江戸時代になって形成されたのではなく、それ以前の戦国時代において、群雄割拠した戦国大名が「富国強兵」のための領国経営における特産品や独特の技術の開発により、それぞれの地域に特有の経済的資源が育っていたことにあったとされています。

その多様性ゆえに、各地域ごとの経済資源の差異、すなわちヒト・モノ・カネ・情報に関する地域差を交易・取引によって埋めることを通じて、経済的利益を獲得する潜在的なポンテンシャルが高まっていたのが当時の日本やその周辺の状況だったそうです。

そこに水運の技術水準が高まり、徳川政権の確立により「距離的にも時間的にも広すぎない地域的な広がり」すなわち制御可能な範囲の中にこれが取り込まれ、地域差を調整することで経済的利益を継続的かつ一定規模で獲得できる条件が整った。それが江戸時代に高度な経済システムが成立する条件となったとのことです。

地域差があるからそれを埋めようする調整(交易)で経済が発達するが、同時にそのことが地域差をなくし経済を停滞させることもある。この地域差の調整(交易)と地域差の維持のバランスをどうとるか。ここに資本主義ががん化しない抑制策の重要なポイントがあるような気がします。

 

鈴木浩三氏は、江戸時代が地域差を失わなかった理由として、以下の3点を指摘しています。

(1)江戸時代の統治機構

徳川家による天下統一とはいえ、領土経営は各大名に委任された。その結果、日本列島内には独立国家的な性格を持つことを保障された大名領が出現し、それぞれの大名が自己責任で領国経営を行った結果、多様性を持った多くの地域が形成された。

(2)民間部門における自治と委任

経済活動に従事する者は、自治と委任によって事業経営を行う方式が定着した。商工業者に対しては、公儀は直接的な規制は行わないのが原則だった。そのため、穏やかな規制の下で自由競争の余地が拡大した。地域的な差異としては、日本国内に金銀銭の3貨制の混合を残したこと。米本位制度と貨幣制度が幕末まで併存するといった多様性も残された。

(3)日本列島の地理的多様性

南北に長く、しかも脊梁山脈が走るといった地理的な条件から、気候の変化とそれに伴う産物や文化のローカル性が見られたこと。

 

改めて上の(3)を見て、かつてモスクワ勤務時代にヨーロッパ各地を旅行した時のことを想い出しました。日本は地理的には小さな国ですが、北海道から九州・沖縄までの広がりの中で、決して全ヨーロッパに劣らない食や文化の多様性を持っていると思います。グローバル化などを追い求めなくても、日本列島には日本人を感動させる十分な地域の多様性があり、それをしっかり守ること、それこそが日本経済を安定させる基本ではないかとつくづくそう思います。

 

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