EU問題から地域格差を考える(最終回1/3) 江戸時代に学ぶ制御システム

イギリスのEU離脱をきっかけに昨年9月から始めたこのシリーズも、途中であれやこれや現場の仕事が入ってきて、今年2月以降中断してきました。もういい加減に終わらないと、イギリスが再びEUに加盟しかねないぞ!・・・ということにはならないと思いますが、一応このシリーズは今回で最終回にしたいと思います。

 

それにしても今回はいろいろ詰め込みすぎて長文になりましたので3分割して掲載します。どうしても加計学園特区問題にも触れざるを得ませんでした。でもところどころに「閑話休題」的なものを挿入しましたので、休み休み読んでもらえれば幸いです。

 

ところで、昨年来のイギリスのEU離脱、トランプ大統領の誕生など、反グローバル化、反自由貿易の流れは、今年5月7日に行われたフランス大統領選挙の決選投票において、中道派独立候補のマクロン前経済相が、極右政党・国民戦線のル・ペン党首を破り、いったんその流れが止まったようにも受け止められます。しかし、私は基本的な流れは変わっておらず、それに向けての模索・混沌の時代の始まりではないかと思います。

 

まず、イギリスやアメリカのその後の政治の動きをみると「これまでの経済政策は間違っていた、変えなければならない」のスローガンで国民の支持を得たものの、では「どう変えていくのか」の具体的施策とそのスケジュールが見えてこないように思えます。正直、メイ首相もトランプ大統領もそれが分からず苦労しているのではないかと思わざるを得ません。

 

一方、マクロン新フランス大統領は、勝利集会で「私たちの長い歴史の新たなページがめくられた。希望と信頼を取り戻す」と演説したようですが、EUこそが未来への希望と政治への信頼を崩壊させたのではないでしょうか。にもかかわらず、そのEUに加盟したままで、いったいどのようなページがめくられ希望と信頼がとりもどせるというのでしょうか。これも抽象論にすぎず何が変わるのかさっぱり伝わってきません。

 

これは、資本主義を生みそれを拡大させてきた欧米の歴史では、ガン化した資本主義の帰結である格差拡大の治療方法は、トマ・ピケティが言ったように戦争か大恐慌によるリセット以外では見いだせていないからではないでしょうか。社会主義もダメ、資本主義もダメ、じゃーどうすればよいのか。偉い学者ですら「わかりません」といっているのですから、左翼・右翼の区別なく、資本家党であろうが労働者党であろうか、すべての既成政党が「格差の拡大と経済の低迷・社会の混乱」を前に、どうすればよいかわからない状況にあるといってよいでしょう。

 

このような現状においての解決策は、やはり過去と同じように戦争か大恐慌を待つしかないのでしょうか。どうも前者においては何かきな臭さが感じられます。相次ぐ北朝鮮のミサイル発射実験。北朝鮮がアメリカ本土を狙えるICBMクラスの実験に成功したようですが、アメリカはどうするのでしょうか。トランプ大統領が弾劾されるなど国内で窮地に立たされれば、目先を外国に向けさせるため、一気に打って出る可能性も否定できません。ガンの治療には「戦争か!大恐慌か!さーどちらを選ぶ?」しかないとすれば悲しい限りです。

 

しかし、そう悲観する必要もないと思います。その答えは簡単です。今こそ260年間にわたり商品経済が栄えた江戸時代において資本のガン化を抑制してきた政治経済システムに学ぶべきと思います。何度もこのブログで言ってきましたが、成長の限界下では競争してはいけないという「コモンズの悲劇」の最も有効な解決策である第3の道をたどればよいのです。

 

そこで、最終回は格差拡大の8つの要因のうち、以下の残り3つの要因について考えていきたいと思います。

 

6 資本に国家が隷属したのが格差の要因

「地理的・物的空間(実物投資空間)」で利潤をあげることができない先進国の資本は、「電子・金融空間」を創出し、そこで稼ぎ出した過剰資本を新興国市場に向けた。これにより、それまでの国家と資本の利益が一致していた資本主義が維持できなくなり、資本が国家を超越し、資本に国家が隷属する資本主義へと変貌した。

7 貧富の二極化が一国の中で現れ始めたのが格差の要因

グローバリジェーションで豊かな国と貧しい国という二極化が、国境を越えて国家の中に現れることになった。今までは2割の先進国が8割の途上国を貧しくさせたままで発展してきたため、先進国では国民全員が一定の豊かさを享受することができた。しかし、今は資本がやすやすと国境を超えるため貧富の二極化が一国の中で現れる。グローバリジェーションとは南北で仕切られていた格差を北側と南側にそれぞれ再配置するプロセスといえる。これから、近代化を推し進めていく新興国の場合、経済成長と国内での二分化が同時に進行していくことになる。そこが、これまでの先進国の近代化と大きく異なる点。

8 自由主義とは金持ち保護主義であったことが格差の要因

ウオーラーステインは「近代世界システムⅣ」で「自由貿易は、じっさい、もうひとつの保護主義でしかなかった。つまり、それは、その時点で経済効率に勝っていた国のための保護主義だった」「自由主義は、最弱の者と自由に競争でき、抗争の主役でなく犠牲者であるにすぎないか、弱い大衆を搾取できる完璧な力を、最強の者に与えたかったのである」としている。

この3つの要因を簡単に言えば、以下となるでしょう。

6 政治が、資本の僕(しもべ)となりコントロールできていない。

7 政治が、国内の貧富の格差を是正できていない。

8 政治が、金持ち(強者)にさらに力をつけてしまった。

国家(政治)という枠組みをグローバリゼーションで突き崩し、さらにITの活用で国家(政治)がコントロールしがたい「電子・金融空間」を作り出したことなどにより、本来、資本のガン化を防ぐべき立場にある政治の機能が喪失し、むしろガン化を促進する方向にその機能が使われはじめたのが現状ではないでしょうか。「官」が完全に「私(欲)」というがん細胞に侵されてしまったのです。

 

マスコミを騒がせ、都議会選挙で自民党惨敗の原因にもなった森友、加計学園がらみの問題などがその典型でしょう。規制改革というきれいごとの裏で、政治の中枢までが「お友達」の私欲の実現に手を染めるようになっては、さらに強力な大資本のガン化を抑制するなど到底既存の政治に期待できるとは思いません

 

そこで省略のし過ぎの感はありますが、残された3つの要因をひとまとめにして、江戸時代では政治(官)が資本をいかにコントロールしてきたかを考えていきたいと思います。

 

1 権力と財力の分離

 

 「越後屋おぬしも悪よのー、いやいやお代官様ほどは」

 

という有名な時代劇のセリフがあります。しかし、意外にも江戸時代には権力と財力の結びつきを牽制するシステムが備わっていたようです。誰が、どういう理由から以下のようなことを考え出したのかわかりませんが、考えようによっては、現在より当時の政治システムの方がはるかに進歩していたと感心せざるを得ません。「江戸商人の経営」(鈴木浩三著)には概要以下のような記述がありました。

 

<財力のある者が権限のある地位につけなかったこと>

 

 これは意外でした。老中(現在の総理大臣に相当)や若年寄という幕府の中枢権力者は、てっきり譜代大名の中でも石高の大きい大名が就任するものと思っていましたが、10万石以下の譜代大名に限られ、実際には4~5万石の譜代大名が就任するのが通例であったとのこと。これは、財力を持ったものは譜代筋の家臣でも権力の中枢から遠ざける不文律があったため、ということです。

 

もともと武士と百姓、町人で構成された江戸時代において、支配者階層である武士が、商人を政治から排除したのは理解できますが、同じ武士の間でも、しかも譜代大名の中でも財力を持った者を権力から遠ざけることを意識していたことには、感心せざるを得ません。いったいこの考え方はどこから来たのでしょうか。

 

例の「士農工商」というようにお金を扱う者(お金を持っているもの)を下に見る価値観あたりからきているのかと思いましたが、そうではないようです。もともと「士農工商」という言葉は中国から来た職業区分を表すもので、意味は「民全体」とか「みんな」を表す意味だったようです。「農士工商」や「士商農工」という順番の表現もあったとのこと。どうも江戸時代の「士農工商」を身分制度ととらえ始めたのは明治以降の歴史学者のようです。現に大名でさえお金を借りた商人には頭があがらなかったのが現実です。結局よくわかりませんが、権力と財力が結びつくとろくなことが起こらないということではないでしょうか。今もその「ろくでもないこと」が起こっているように。

 

なお、同じくウィキペディア「士農工商」からの引用ですが、そこに以下のような記述があったことには驚きました。

中国では伝統的に土地に基づかず利の集中をはかる「商・工」よりも土地に根ざし穀物を生み出す「農」が重視されてきた。商人や職人に自由に利潤追求を許せば、その経済力によって支配階級が脅かされ、農民が重労働である農業を嫌って商工に転身する事により穀物の生産が減少して飢饉が発生し、ひいては社会秩序が崩壊すると考えたのである。これを理論化したのが、孔子の儒教である。

このアンダーラインを引いたところだけを取り出し現在風に置き換えれば、(途中経過が若干異なりますが)以下のようになります。括弧内が現在バージョンです。

商人(金融資本)や職人(製造業大企業)に自由に利益追求を許せば、その経済力によって支配階級(政治)が脅かされ、飢餓(貧困:格差拡大)が発生し、社会秩序が崩壊(テロが頻発)する。

孔子ははるか昔に、資本主義のガン化の本質を見抜いていたのでしょうか。偶然にしては今の状況にピッタリです。これも私の勝手な推測ですが、江戸時代の権力と財力の分離は儒教の教えから来ているのかもしれません。しかし、中国共産党幹部が隠し持つ莫大な海外資産の報道などを聞くと、本家では完全に忘れ去られたようです。

 

 

<権力と財力が完全融合した現在> 

 

それでは「権力と財力の分離」について、今はどうなっているかを見てみましょう。

今の権力者はなんといっても官邸・内閣府です。報道を見ていると、関係省庁はただその意向を忖度(そんたく)するだけの存在に成り下がってしまったかのようです。私も36年間一応中央省庁の役人をやっていました。内閣官房にも出向したこともあります。しかし私が知っている範囲では、官邸とは省庁間の意見が対立し最終的な調整を図るときにだけ出てくる仲裁役でした。森友、加計学園のような個別事案にまで口を出してくるなど私の知る範囲ではありませんでした。私が退職した後5年間で大変な変わりようです。

 

これでは裁判官が自ら町に出て行き「この岩盤規制ヤロー」と犯人を捕まえてきて、検察官役も兼ねて裁判をするようなやり方です。こんなことでは、はじめから公平な行政など期待できるはずがありません

 

「忖度」の反対語「面従腹背」を座右の銘にする前川・前事務次官のように「怪文書ではない、それは確かに存在した」と正しいことを言えば、問題の本質と何の関係もないゴシップネタをお抱え大新聞にリークされ個人攻撃の「印象操作」をされます。国政の中枢が、便所の落書き三流週刊誌と化した新聞と結託するようなこんな下賤な手を使う政権がかつてあったでしょうか

 

安倍総理は「私の意向かどうかは、確かめようと思えば確かめられる。次官であれば『どうなんですか』と大臣と一緒に私のところに来ればいい」「なんでそこで反対しなかったか、不思議でしようがない」とラジオ番組で発言したとの報道がありました。私はこれを聞いて無性に腹が立ちました。この発言は組織の長が、まして総理大臣たるべきものが言うセリフではありません。中央官庁にかかわらずどんな会社組織でもトップの意向とあれば、それは実質上の「命令」を意味します。それだけトップの意向は重いのです。もし「本当にトップの意向かどうか確認したらよかった」に従えば、官邸には朝らか晩まで各省庁の幹部が行列をなして仕事になりません。

 

私は、安倍総理の発言なるものを聞いた時、「あなたは暴力団の組長か!」と思いました。「抗争相手の組長のタマをとってこい」と取り巻き幹部の口から命令を受けたヒットマンの裁判での組長の言い訳と同じです。組員が勝手にやった「俺はそんなことを言っていない。おかしいと思うなら直接聞きに来ればよかったのに」と同じです。そんなこと無理を承知でよく言えたものです。なお、前川・前事務次官が安倍総理のところに行かなかったのは「お友達好きな安倍総理であればそういうことを言いかねない」と思われたからでしょう。つまり信頼に足りない総理だから聞きにいかなかったのです。

 

やましいことがなければ最初から全資料を提出し真実を話せばよいのです。戦略特区会議は、あった資料をなかったといわせる「黒を白といわせる」官邸による岩盤情報規制にこそ穴をあけよといわなければなりません。ワーキンググループの委員が国会で「議事録を読んでもらえばわかる」など答えにならない答えしかできないようでは、岩盤規制を語る資格は全くないと思います。

規制は岩盤でなければならない】

私は前々から疑問に思うことがあります。いったい誰がいつごろから「岩盤規制」という言葉を流行させたのでしょう。規制とはもともと岩盤でなければなりません。「軟弱砂質規制」ではルールがあっても誰もが好き放題・勝手放題となります。そろそろ建設業界関連の規制緩和が話題にならないでしょうか。そうすると建設業者はビルのオーナーである建て主に「岩盤規制」撤廃のおかげで、今後は軟弱な土地にも建物ができるようになったのでお客さん良かったですね、とでも答えるのでしょうか。

 

また、強欲丸出しの外部企業が喜ぶだけの企業参入のための規制緩和に反対しようとすれば「岩盤規制に守られた既得権益者」のレッテル一枚で弱者であろうが袋叩きにされて終わりです。いったん目をつけられたら当事者が猛反対しようが、「反対があればあるほどやる意義がある」と、反対している理由などは一切関係ないのです。これでは、官邸の意向を背景に、その分野に何の知恵もない素人お抱え学者の言いたい放題がまかり通るのも当然です。JA改革などまるで魔女狩りでした。やっているほうは楽しくてしょうがないでしょう。逆の立場になって考えてみると、以下の夢物語のように。

【夢物語:私が特区会議の議員になったらすぐやりたい改革】

(経団連の廃止)

・経団連は、株主と会社役員への高額配当・報酬という既得権益保護の岩盤規制にドップリつかった存在なのでこれを廃止し、JA全中に吸収合併されること。

(格差是正特区)

・格差是正のため、特区内の株式会社は1年以内に解散。事業を継続したければ従業員と消費者を組合員及び準組合員にした協同組合に移行すること。

この改革には理屈などいりません。経済界が反対さえすれば「反対するからこそやる価値がある」が十分な理屈になるのですから。では、反対されなければどうする? もちろん「反対がないのでやります」となります。どうですか、楽しくて仕方がないでしょ。

 

【加計学園特区国会参考人質疑で一番面白かったところ】

前川・前事務次官ほかが参考人として出席した7月10日の国会質疑で一番面白かったところは、特区推進側が「文科省は規制の必要性についての説明・挙証責任を果たせなかった、だから獣医学部新設特区は正しい判断」的なことを言ったことに対し、「国民にとってはどこの省庁が挙証責任を果たせなかったかどうかなど、何の関係もない。政府全体として規制緩和の説明責任が問われるのであり、それは理由にならない」との回答でした。あまりにも見事な回答で笑ってしまいました。確かに、それでは規制緩和の必要性の説明にはなりません。

おそらく今後始まる漁業権についても水産庁がいくら説明しようが「よくわからない」で終わりになるでしょう。始めから理解する気はなく、そもそも素人なので理解する能力もない。何回会議を開こうが、議論がかみ合わない水掛け論。だから「結論が出なかった」ではなく「担当省庁は挙証責任を果たせなかった」と強弁するしかない。「特区」の議論は、はじめから裁判官と検察官が結託した結論ありきの出来レース。検察側の主張は「規制は悪、この紋所が目に入らぬか」以上の理屈なし、証拠もなし。裁判官の判決理由も「弁護側は反論できなかった」だけですみ、裁判官がどの争点をどう判断したかという判決文など書かなくてよい。特区は向かうところ敵なしですね。

 

「特区」とはなんといっても権力と私欲の癒着政治の象徴です。村井嘉浩宮城県知事ごり押しの水産特区会社も、多額の補助金付きという政治の特別配慮を背景にした驕りと儲け優先主義のためか、他地区カキ流用問題を起こしました。加えて今回の加計学園問題は、国民の「特区」に対する印象を徹底的に下げたといえます。ただしこれは、「印象操作」ではなく「事実露見」ですので、ここは間違わないようにしなければなりません。

 

それにしても何ぜ、こんなに私利私欲が官邸に食い込み、好き勝手にできる政治の世界になったのでしょうか。

それは、以下の政府の産業競争力会議と国家戦略特区会議のメンバーを見れば一目瞭然でしょう。

産業競争力会議 議員名簿(官邸HPより)

 

議 長 安倍 晋三 内閣総理大臣

議長代理 麻生 太郎 副総理

副 議 長 石原 伸晃   経済再生担当大臣 兼 内閣府特命担当大臣(経済財政政策)

同   菅 義偉   内閣官房長官

同   林 幹雄   経済産業大臣

議 員 馳 浩   文部科学大臣

同   河野 太郎   内閣府特命担当大臣(規制改革)

同   島尻 安伊子   内閣府特命担当大臣(科学技術政策)

同   加藤 勝信 一億総活躍担当大臣

同   石破 茂   まち・ひと・しごと創生担当大臣

同   岡 素之   住友商事株式会社 相談役

同   金丸 恭文   フューチャー株式会社 代表取締役会長兼社長 グループCEO

同   小林 喜光   株式会社三菱ケミカルホールディングス 取締役会長

同   小室 淑恵   株式会社ワーク・ライフバランス 代表取締役社長

同   竹中 平蔵   東洋大学教授、慶應義塾大学名誉教授

同   野原 佐和子 イプシ・マーケティング研究所代表取締役社長

同   橋本 和仁   国立研究開発法人物質・材料研究機構理事長

同   三木谷浩史   楽天株式会社 代表取締役会長兼社長

同   三村 明夫   新日鐵住金株式会社 相談役名誉会長 日本商工会議所 会頭

 

 

国家戦略特別区域諮問会議 議員名簿 (首相官邸HPより)

 

議 長 安倍 晋三  内閣総理大臣

議 員 麻生 太郎   財務大臣 兼 副総理

同 山本 幸三    内閣府特命担当大臣(地方創生、規制改革)

同 菅 義偉    内閣官房長官

同 石原 伸晃    内閣府特命担当大臣(経済財政政策) 兼 経済再生担当大臣

 

有識者議員    秋池 玲子 ボストンコンサルティンググループ シニア・パートナー&マネージング・ディレクター

同       坂根 正弘 株式会社小松製作所相談役

同       坂村 健   東洋大学情報連携学部 INIAD学部長

同       竹中 平蔵 東洋大学教授 慶應義塾大学名誉教授

同           八田 達夫 アジア成長研究所所長 大阪大学名誉教授

まさに「お代官様、越後屋、お抱え学者」だけで構成されている会議といえます。権力と財力の分離の全く逆、ベタベタに溶け合って岩盤どころか超合金のようにガチガチに固まってます。本来、ここにこそ穴をあけたいところですが、どんなドリルをもってしても無理かもしれません。

とりわけ特区というこんなにおいしい既得権益はほかにないからです。他にはやらせず、お友達だけにやらせることができる、しかも多額の補助金が付き、場合にあっては国有地の格安払い下げまでトッピングされるのですから笑いが止まりません。

 

そもそも特区会議の頭に「国家」と銘打つのは「印象操作」の極みです。国家というなら議員には「士農工商」がそろっていなければなりませんが、「農」など影も形もありません。これでは「国家戦略特区」のところを「政商戦略特区」と言い換えなければなりません政治が資本の僕(しもべ)となっているのをこれほど象徴している会議はないでしょう。

 

毎度おなじみの竹中平蔵氏などは、どちらにも顔を出しています。恥ずかしくないのでしょうか。彼は自分の出身大学においてすら論文内容が「あまりに初歩的すぎる」という理由から学位が取れなかったという学者としての能力にも、はてなマークが付くうえに、なんといっても自分が進めた規制緩和で利益を得た人材派遣会社の会長にちゃっかり収まり、規制緩和を私欲のために臆面もなく利用した人物です。

 

どうしてこのような者が議員に起用されるのでしょうか。「お友達なら特区に参入してはいけないというのか!それの方が問題だ!」と悪びれるところもなく開き直った安倍総理と相通ずるものがあるからでしょう。「お友達なら李下で冠をどんどんただそうなどの格言は聞いたことがありませんが、今の政治にはこれがピッタリといえましょう。それからもう一つ「奢れる者久しからず」。

 

つい興奮して随分横道にそれてしまいましたが、なぜか遅れた封建制時代の江戸時代の方が現在よりはるかに政治の道徳観というか倫理観が高く、私欲に染まらず資本をコントロールしていたと思います。より正確に言えれば、資本が政治をコントロールできないようにしていたというほうが適切かもしれません。

 

いつものように「官」「公」「私」の切り口でいえば、江戸時代における経済問題は「問屋株仲間」という「公」の自主管理に任せていた。この「公」が一部の「私」の突出へのキャップ役を務めていた。しかし、今はその中の一部の「私」が「官」を僕(しもべ)にし「公」という枠組みを破壊し始めた。それが「特区」ではないでしょうか。加計学園特区問題などは、私欲まみれのお友達の越後屋がお代官様の力で、「公」である獣医師会の仲間定法を「岩盤規制だー!」と嘘ぶき破壊していく。私にはそのように見えます。

 

そもそも、規制改革推進会議をのさばらせた根本原因は、「官」が「私」を直接コントロールする欧米由来の遅れた政治制度にあります。だから、規制権限を「官」から引き離すところだけをとらえれば、私も賛成です。

しかし、そのあとがいけません。規制は悪という考え方だけのその先には、一部の「私」の好き勝手を「官」が規制緩和という名の下で放任する無秩序な社会が待っているからです。規制権限の移行先は「公」でなければなりません。

ところが、その「公」を徹底的につぶしにかかるのが今の規制改革推進会議なのです。なぜなら、「公」に権限を移行しては私欲の追及ができないからです。その企みが露骨に現れたのが「農協は株式会社になれ」です。

 

このように「特区」の化けの皮がはがれても、あいも変わらず規制改革推進会議は、今後2年かけてまた水産分野で「公(漁業権)」の機能を破壊し、私欲ガン細胞の浸潤を図ろうとする悪だくみを予定しています。自分のやってきたことを振り返り反省など決してしない。増殖し始めたら死に至るまでとどまることを知らない。規制改革推進会議とは、がん細胞の化身そのものです。

【今話題のT暴言議員のパロディーで】

規制改革推進会議議員(以下K)と某中央団体の職員(以下Z)のやりとり

K「この漁業権ヤロー、開放しろー」

「ボコ」

Z「あのー 水産も回復基調なので邪魔はしないで・・・」

K 「バカか水産は」

「ボコ」

Z「あのー 宮城県だけでも十分迷惑をかけられているのでこれ以上たたくのは・・」

K「違うだろー」「違うだろー」

「ボコ」「ボコ」

Z「あのー ご意向は役所が新水産基本計画で忖度しておりますので・・・」

K「この規制改革様の言うことがきけないというのー(ミュージカル調)」

 「水産は頭がおかしいよ! 一度診てもらったら」

Z「あのー せっかくですが私は後で、規制改革様の方がお先にどうぞ」

K「このボケー(絶叫調)」

テンションをもとに戻します。

 

私は今の安倍政権をマスコミが「1強多弱」と称していることに違和感を覚えます。それを言うのなら、「1弱多弱弱」(ひとつも弱いが他の多くはもっともっと弱い)であろうかと思います。自民党は民主党があまりにもひどかったので政権復帰し、その後も野党に政権批判の受け皿となる政党がなかったゆえに「まだまし」で党勢を拡大しただけと思います。

 

私には自民党最大の応援団が、政権交代を実現しながら国民に大きな失望を与えた民主党(現民進党)と思います。国民に選択肢がなかったこの5年間の「まだまし選挙」で「1弱多弱弱」体制ができあがり、さらに官邸に右向け右の自民党国会議員だらけになり、その官邸が役所の人事権を握ったことから忖度役人が出世するようになった。

 

つまり、その政策が支持された政権の安定性とは違い、「まだまし」多数安定ゆえに政治が劣化し、私利私欲の輩が容易に中枢に食い込み、何でもありの政治になったと思います。森友学園は、今はその実態が明らかとなりめちゃくちゃにたたかれていますが、ついこのあいだまで安倍総理のお友達だったのです。一人でも多い方に多数の専制を許す欧米由来の民主主義が招いた欠陥といえましょう。今こそ日本伝来の「和」の政治の復活が求められていると思います。

 

繰り返しになりますが、遅れた封建時代と進んだ民主主義時代というイメージに反し、「官」が独裁政権化し一部の「私」に左右される現状を見ると、「私」を包含した「公」を中心に据えた「官」による間接統治システムだった江戸時代の方がはるかに民主的ではなかったかと思わざるを得ません。

【役人の忖度病には月番制度が効果的】

「月番制度」とは、経済問題を担当する町奉行所だけでなく、幕府の官僚組織に共通して備わっていた権力分散のシステムです。同じ職に二人以上の者が就任して1か月交代で勤務する方式で、原則として一人が月番として任務に就き、ほかは非番とされたが重要案件は両者の合議で決したそうです。月番制度の最大の効果は、複数の同役に権限が分散される点と、同じ役職に就いた者同士による相互チェックが作用することだった、とのこと。これを知るとあの時代劇に出てくる、悪代官と越後屋の関係が可能だったのかと疑いたくなります。

たしかに、これは良い方法です。今の金融機関にも不正防止のために一定期間の「職場離脱」制度が義務付けられています。今、中央官庁の役人に蔓延している「忖度(そんたく)病」対策にも効果があるでしょう。「お主(ぬし)出世のために忖度し行政をゆがめているな、いやお主ほどでは」と役人間での相互牽制がきき、勝手に「忖度」できにくくなるからです。それともさらなる忖度競争が始まり逆効果かも。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です