EU問題から地域格差を考える(最終回2/3) 江戸時代に学ぶ制御システム

2 棄捐令(きえんれい)と闕所(けっしょ)

 

「棄捐令」とはあまり聞きなれない言葉ですが、江戸時代以前にあった「徳政令」のようなもので、簡単に言えば借金の帳消し(債権放棄)、または返済期間を長期に延ばす(債務繰り延べ)などを内容とする旗本・御家人の救済令です。

 

「闕所」とは、元々所有者・権利者を欠いた土地などを指しており、必ずしも犯罪による没収に由来したものではなかったとのことですが、江戸時代には、闕所は死刑と追放刑(所払い)に処せられた者を対象として行われた財産刑の一つだそうです。簡単に言えば「財産没収」です。

 

この二つは、いずれも現在の常識からすると、資本主義うんぬんの前に、一般国民の日常生活を支える金融や商取引など信用や契約履行をもとにして成り立つ経済システムの根底をも揺るがすもので、到底現在に導入すべき制度であるとは思えません。

 

しかし、一方で「世界のトップ62人の大富豪が、全人類の下位半分、すなわち36億人と同額の資産を持っている」という常識的にはあり得ない富の格差が現実にあり、しかもそれがますます酷くなってなすすべがないことに着目すれば、「非常識には非常識」でよいかもしれません。

 

なぜなら、戦争か大恐慌という方法でしか格差が是正されず、人類が幸せになれないとすれば、まだ対象者が限定されたこの方法の方が、ずっと現実的ではないかとも思われるからです。戦争や大恐慌とは国や経済の破滅です。ガンの治療に例えれば、死によってガンを退治するようなもの。治療手段として選択するものとは言えないでしょう。

 

ところがもっと深刻なことは、その選択肢さえ選択できない時代になってしまっているのではないかということ。核兵器の時代では戦争も大規模に起こすことはできません。大恐慌も戦前と異なり各国政府・中央銀行間での協調的な財政出動、市場介入で「小恐慌」程度で納めてしまいます。大きな戦争も大恐慌も起こらない知恵を人類が身に着けたことはある意味すばらしいことです。しかし、これは人類が実質上格差是正の手段を失ったことを意味するのかもしれません。

 

それに対し「棄捐令」「闕所」はガン患部の切除(富の偏在のリセット)にあたり、周辺正常細胞にも痛みが生じ、また再発の恐れも残っていますが、まだ治療法として現実的手段といってよいと思います。というか、もうこれしか手段がないとも言えます。

 

もしかすると、江戸時代260年間、戦争や大恐慌に相当する経済崩壊もなかったのに、格差が広がらず安定経済を維持できたのは、「①武家による恒常的需要創出」「②経済独立性下での非対称性維持」「③問屋株仲間制度による競争と協調の調整」とならんで、この「④富の偏在のリセット」が効果を発揮したためかもしれません。

 

ということで、以下「棄捐令」と「闕所」が格差拡大の是正と資本のガン化防止に役立ったという視点から二つの効果をあげて考えていきたいと思います。

 

(1)産業間の成長格差の是正効果

 

 棄捐令は、江戸時代を通じ3回行われています。徳政令と棄捐令との違いは、前者が天皇や将軍の代替わりの時に行われる徳政の中の一つであった「借金帳消し」ですが、後者は旗本と御家人を救済するために行われたものです。ではなぜ旗本と御家人は借金漬けになったのでしょうか。身分不相応な贅沢な生活を送ったためでしょうか。

 

そうではなく、もともと石高が低いうえに江戸居住が義務付けられ必然的に消費者にならざるを得ず、時を追うにつれて札差(ふださし:旗本・御家人に支給されるコメの仲介を業とした者)からの借金が年々膨らむ一方であったとのことです。おそらくコメ本位経済と貨幣(商品)経済が併存したことで、コメに収入を頼るしかない武士が、江戸時代における「米価安の諸色高」という産業間の成長格差の影響を受け、慢性的に貧乏であったことが根底にあったのではないでしょうか。

 

これは現在における第一次産業とグローバル産業間の格差のようなものでしょうか。成長を続けた諸色(商品)取引からの徴税制度が発達していなかったので、このような形でしか格差の是正ができなかったでしょうか。ネットで拾い集めた情報なので正確性はわかりませんが、その棒引きとなった額は120万両(幕府歳入は約80万両:1730年)とのことなので、今の政府の税収(50兆円)と単純比較すればざっと75兆円となり、かなりの額であったようです。

 

なお、棄捐令には大きな副作用があり、決して旗本も御家人もこれを手放しで歓迎していたのではないようです。その時はよいが、その後札差から借金を断られ一層困窮することになったとのこと。格差が生じる経済構造までは解決できなかったわけですが、金を持つ者と持たざる者の間での際限のない格差の拡大を防いだ効果はあったのではないでしょうか。

 

棄捐令の申渡書の序文で、

旗本・御家人達が借金によって難渋しているにも関わらず、札差達が利下げもせず利息を取り立て続けて利潤を得ている事や、奢侈にふけり贅を極めて風俗を乱し、武家に対して無礼な振る舞いが多い

という文面があります。

 

これをそのまま今に置き換えると

国民の給与は下がって貧困家庭や結婚もできない若者が増えているというのに、資本家や大企業役員だけが大儲けしやがって、いい加減にせよ、調子に乗るな!(だから借金踏み倒しても文句は言えないよな)

ということかと思います。これこそ今の政治に求められている役割ではないでしょうか。

 

また、これは棄捐令ではありませんが、それに近い「相対済令(あいたいすましれい)」(評定所では借金をめぐるトラブルは受け付けません)というものもありました。これは借金を踏み倒して良いことを認めるものではなかったようですが、お上による裁定が行われないとなると、踏み倒しが増加したようです。そこで、以下のような「借金返せー」が起こったとのこと。面白かったので引用します。

実際に返済を渋った幕臣がいたものの、それに対し貸主たちは江戸城の門前で待ち構え、債務者である旗本・御家人が業務を終えて下城すると旗を振りながら「借金を返せ」とわめきたて、それを無視して帰ろうとする者には、その屋敷までついていき、門や玄関の前に座り込んで催促し続けるという手段に出た。町奉行の大岡忠相(おおおかただすけ)は、「これは武士の体面を無視したやり口であり、捕えて牢屋に入れるべき」と同役の諏訪頼篤と連名で吉宗に上申したが、「悪いのは借金を返さない旗本たちなので町人を罰するには及ばない」と却下している。(ウキペディア「相対済令」より)

私は上の記述を見て、江戸時代の旗本・御家人(今でいえば中央省庁の役人)に生まれなくて良かったとつくづく思いました。借金取りに「さとうー、借金返せー」と農水省の玄関で旗を立てて叫ばれ、家までついてこられたらたまりません。人事院勧告もなかった当時の武士は本当に大変だったと思います。薄給でもその仕事を辞めることもできなかった。その一方で武士としての体面も保たねばならなかった。江戸時代の武士を尊敬せざるを得ません。それにしても将軍吉宗様は冷た過ぎる。もう少し何とかしてやればよいのに。江戸時代とは、お金の面では「商工農士」の順番ではなかったでしょうか。

 

棄捐令が受け入れられたのは、借金取りに追いかけられる清貧な人間が権力についていたことと、その一方で金満商人に対する「ざまーみろ」と思う庶民感情の理解があったからかもかもしれません。今の日本も後者においては条件が整いつつあると思います。

 

(2)偽札(金融資産)消滅効果

 

 闕所処分を受けた例で、最も有名(大規模)な事例は「淀屋辰五郎」であり、以下ネットから拾い集めたその概要を列記します。

・淀屋辰五郎とは通称で正式には淀屋5代目の淀屋廣當(よどやこうとう)

・淀屋は、江戸時代の大坂で繁栄を極めた豪商。

・全国の米相場の基準となる米市を設立し、大坂が「天下の台所」と呼ばれる商都へ発展する事に大きく寄与。

・米市のある中之島に渡るための橋を自費で川に架け、それが地名「淀屋橋」に残る。

・淀屋の米市で行われた帳合米取引は世界の先物取引の起源

・淀屋の米市は2代目~4代目の時代に莫大な富を淀屋にもたらした。

・5代目は、豪奢な生活をし,ガラス天井をつくって金魚を放ち涼を楽しんだという。

・その驕奢な生活が幕府の質素倹約令(1704年)に反するという理由で、1705年に闕所 、所払に処せられた。

・闕所時に没収された財産は、金12万両、銀12万5000貫(小判に換算して約214万両)、北浜の家屋1万坪と土地2万坪、その他材木、船舶、多数の美術工芸品など。また諸大名へ貸し付けていた金額は銀1億貫(膨大に膨れ上がった利子によるものであるが、現代の金額に換算しておよそ100兆円)にも上った。

・闕所の公式な理由は「町人の分限を超え、贅沢な生活が目に余る」というものだったが、諸大名に対する莫大な金額の貸し付けが本当の理由であろうとされている。

大名に貸し付けていた金額が100兆円とは驚きです。

 

しかし、上の金額を比較し、何かおかしいと思ったことは、没収された現物資産、金12万両(1両=10万円として120億円)、銀12万5000貫(1貫=125万円として1兆5600億円)は、現在の価値としては1兆6千億円程度であることです。もちろんこれも決して少なくはありませんが、諸大名への貸付金額と比較すると少ないような気がします。そこで、気が付いたのはこの100兆円は上の記述の中にある「膨大に膨れ上がった利子(当時の公定利子が18パーセント)によるもの」のとおり、現在の大富豪が持つ実体経済と乖離した「電子・金融空間」で作り上げた株式などの金融資産のようなものではないかということです。利子とは雪だるま式に「金が金を生む」ものなのでこんな巨額な借金となり、しかも実体経済(コメ)からしか収益のない武士には到底返済不可能となったのでしょう。

 

もうひとつ疑問に思うことは、このような巨額の借金の踏み倒しが、当時の経済を大混乱に貶(おとし)めたという記述が見当たらないことです。当時の経済規模(GDP)に占める比率は分かりませんが、現在の感覚でいうと実体経済への悪影響が避けられないと思われるのに、この点も理解できません。

 

実はここは極めて重要な点ではないかと思います。というのは、棄捐令の中身を見ると、どの程度の債権を放棄させるかが、慎重に検討されていることです。当時の幕府の賢明さの一つかもしれませんが、その債権放棄改革案を幕臣ではなく、札差の経営内容に詳しい町年寄の樽屋与左衛門という人物に作成させたことです。

 

彼は、旧債の処分について、当時の金利(年18パーセント)を考慮し利子の合計額が元本を超えた6年以上前の債権は元本は回収したとみなし放棄させ、それ以降の最近の債権については利子を6パーセントに下げること。また、札差の旗本金融だけを対象とし、他の一般金融には適用しない事を町触で徹底させ、市中のパニックを最小限に押えるという改革案を提案し、幕府によって受け入れられたのです。すなわち元本については返済を保証するが、金利からの利益分について債権放棄させたということです。これはこのブログの最後でも触れますがが、金利を認めなかったという点で非常に意味深いものと思います。

 

また、幕府は棄捐令発布後、札差の新規貸付資金として2万両を貸し付ける措置も行っており、札差の株の価格は大いに下落したものの、廃業者が続出するような事はなかったということです。あの淀屋ですら、事前に闕所を察知し番頭に暖簾分けをして淀屋を再興し、幕末にはそのすべての財産を討幕のために朝廷に寄贈し、幕府に対する怨念を晴らしたのです。

 

私は、以前「お金がお金を生む」金融商品取引市場で生み出されるお金は、実体経済におけるモノやサービスとの兌換性の裏付けのない「偽札」のようなものと申し上げました。まさに「棄捐令」「闕所」の措置は、実体経済にとって必要な「真券」とそれに悪影響を与える「偽札」とを分離し「偽札」を消滅させる効果を持ったと思います。

 

しつこいですが、もう一つ事例をあげます。

 

これは幕末の薩摩藩の家老「調所広郷(ずしょひろさと)」が行った財政改革です。薩摩藩が維新の時に大量の武器を保有できたのは、500万両に及ぶ借金を踏み倒した彼のお蔭と言えるとのことです。500万両という借金は、年間利息だけで年80万両を超え、薩摩藩の年収(12~14万両)を超えており、返済不可能つまり破産状態に陥っていた。そこで彼は商人を脅迫し「無利子250年払い」という実質借金の踏み倒しと同じことをしたのですが、実際に明治政府によって債務の無効が宣言される明治5年(1872年)までの35年間は律儀に返済され、また商人には密貿易品を扱わせ利益を上げさせるといった代替措置もとっていたとのことです。

 

ここでもいえることですが、借金を踏み倒されながらも商人がその後も経営を持続できているのです。調所広郷は債権者の商人の経営実態を良く調べ、債権放棄額がその商人の経営を破綻させることにならないぎりぎりの範囲に収めたというのが、財政改革に成功した秘訣ではなかったかと思います。

 

ここにおいて江戸時代に学ぶとすれば、「お金がお金を生む」金利で膨れ上がった債権は、実体経済から生まれたものではなく「偽札」のようなものなので、この分を債権者に放棄させ、または没収したとしても実体経済には大きな影響を及ぼさないということではないでしょうか。これは次に述べる「格差の是正」と「国債残高1000兆円の解決方法」においても大いに参考になるものと考えられます。

 

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