この方だーれ?(後編)

「火垂るの墓」というスタジオジブリのアニメ映画があります。それは小説家野坂昭如氏の戦争原体験を題材にした作品で、戦火の下、親を亡くした14歳の兄(清太)と4歳の妹(節子)が終戦前後の混乱の中を必死で生き抜こうとするが、その思いも叶わずに栄養失調で悲劇的な死を迎えていく姿を描いた物語(ウィキペディア)です。

 

 この作品は、一度見た人を「二度と見たくない」と言わせるほどの名作といえます。名作なら何度も見たいはずなのになぜ。それはあまりにもかわいそうで、大の男でも涙が止まらず周りに家族でもいようなら「お父さんが泣いてるよ」と恰好悪いからです。それと鑑賞後に落ち込んだ気持ちからなかなか立ち直れないからです。節子が清太に言った最後の言葉「にいちゃん おおきに」のシーンを思い出すだけでもじわーときます。

 

 私は、この作品が初公開された時にモスクワ大使館勤務をしていました。その時に通産省(当時)から赴任してきていた参事官が、一時帰国休暇で日本に帰った際、ちょうど「となりのトトロ」との2本立て公開(今から思えばなんと贅沢!)されていたので、ご家族と一緒に見に行ったそうです。そうして「火垂るの墓」のほうに「ボロボロになって困った」と言っていたのが可笑しく、どんな映画だろうかと思ったのを覚えています。でも今度は私が帰国後、その忠告を忘れ家族のいるところでテレビで見てしまい「しまった!」と思ったのですが後の祭りでした。

 

いったいお前は何の話をしているのか、今回のテーマは同じ野坂でも昭如氏ではなく、美穂氏のことだったはず。WG座長の野坂美穂委員の共著「世の中の見え方がガラッと変わる経済学入門」の話じゃなかったのか、と思われるでしょう。しかし、実は関連があるのです。野坂委員が執筆したその本の第8章「地方創生と規制改革」において述べられていることが、この作品のある場面に出てくる医者の発言にそっくりなのです。

 

 

その場面とは、だんだんと衰弱する妹の節子を兄の清太が医者に連れていったところです。

(清太)

「もう何日も下痢が止まらないのです」

「湿疹もあせもやないみたいやし、塩水で洗うと滲みて痛がるだけなんです」

 

(医者)

「栄養失調からくる衰弱ですな」

「下痢もそのせいだ」

「はい、次の人」

 

(清太)

「何か 薬とか 注射とか」

 

(節子)

「注射 いやや」

 

(清太)

「とにかく何か手当てしてください」

「お願いします」

 

(医者)

「薬もなんも」

まあー 滋養をつけることですな

「それしかない」

 

(清太)

滋養といわれても

 

(医者) 無視して次の患者のほうに向かう

 

(清太)

(医者に向かい大声で)「滋養なんか どこにあるんですか!

 

第8章「地方創生と規制改革」を読んで感じた結論を先に言います。

 

以下で詳しく述べますが、野坂委員は第8章において、第一次産業や地方の中小企業に対し「生産性をあげよ」「賃金をあげよ」などと主張しています。そんなことは言われなくてもわかっています。今の日本はそれができないような経済構造になってしまっている。そこをどうして解決するかそれが問題なのです。まさに野坂委員の主張とは、この医者が清太に言った「滋養をつけよ」ということと同じだということです。

 

それでは、もう少し詳しく述べていきたいと思います。

 

1 本の構成と執筆者

 

この本は以下の9章からなっています。

第1章 価格の自動調整機能とその意味

第2章 市場の機能不全とそれを補う方策

第3章 経済の体調管理①財政政策、国民所得の決定

第4章   〃    ②金融政策、金利・物価の影響

第5章 経済の基礎体力を高める 経済成長のメカニズム

第6章 国の借金と財政再建

第7章 少子高齢化と社会保障・税一体改革

第8章 地方創生と規制改革

第9章 消費税、TPP協定、成長戦略

 

また、他の章の執筆者は以下の4名となっています。

川本明(慶應義塾大学経済学部特任教授)1章、2章、9章第3節 担当

矢尾板俊平(淑徳大学コミュニティ政策学部准教授)3章、4章、5章、9章第2節 担当

小林慶一郎(慶應義塾大学経済学部教授)第6章 担当

中里透(上智大学経済学部准教授)7章、9章第1節 担当

 

私はこれら学者がどの経済学派に属するのか承知していませんが、書かれている内容からするといわゆる「市場原理主義・新自由主義」の考え方に近い学者であると思われます。学者の世界は今もって「師弟制度」的な関係があるといわれており、野坂委員については、ご本人が第1回 規制改革推進会議で、あの水産特区を大絶賛した後、

そうした内容につきましては、慶應大学の川本先生、淑徳大学の矢尾板先生とともに議論をさせていただきながら、本年3月に上梓しました本の1章分に「地方創生と規制改革」としてまとめさせていただきました。規制改革をテーマにして、現在も勉強中でございますが、また先生方に御指導いただきながら、会議に貢献できるように、意見を述べさせていただきたいと思います。

と発言されていることから推測しますと、執筆者の一人である川本明氏が規制改革会議(当時)の「投資促進等ワーキング・グループ」の専門委員もされていたことあたりのつながりから、規制改革推進会議の委員に推薦されたのかもしれません。

 

2 最大の疑問についてどう書いてあるか

 

私の新自由主義的な経済学に対する素朴で最大の疑問は、「市場原理主義が進展するほどなぜ格差が拡大し、経済は低迷するのか」です。さらに簡潔に言えば「規制改革をするほど不幸な人間がどうして増えるのか」という現状認識からの疑問です。タクシー業界の規制緩和などはその典型です。その結果は運転手の減収と長い客待ちの車列を伸ばしただけで、再び政治主導で規制強化されました。にもかかわらず、どうしてこんな規制緩和路線が20年以上も続いているのでしょうか。「謎かけ」風にいえば以下のとおりです。

規制改革とかけてなんと解く

振り込め詐欺と解く

(その心は)

何度だまされても、被害者がなくなることはない

では、この本において「規制緩和⇒自由市場」がもたらす経済効果のことをどう説明しているでしょうか。この本は高校生にも理解できるように書かれているという分かりやすいものです。どこの教科書にもある「需要曲線」と「供給曲線」のと交わりのグラフなどから、自由市場では「消費者余剰」と「生産者余剰」を合計した「総余剰」が需要と供給の均衡点で最大となる。そこに規制が加わると社会全体の満足度が縮小する。だから規制緩和が進むほど消費者も生産者みんな幸せになる、簡単に言えばこういうことが書かれています

 

もうすこし詳しい記述内容を以下に掲げます。

(第1章 「価格の自動調整機能とその意味」より引用 一部要約)

・「多数の売手と買手が自由に交渉や取引ができる」という条件が満たされる限りは、消費者は、自由な取引によって支払額を超える価値を得ることができます。これが市場の大きなメリットです。

企業が生み出した価値は、企業の持ち主(株式会社の場合は株主である消費者)に配分され、他の財やサービスの消費に使われます。それ以外には、企業の将来の生産のための設備投資の原資(元手)になって、やはり将来の消費者のために使われます。つまり、生産者余剰も最終的には消費を拡大することにつながり、社会の満足感が増大すると考えることができます。

・消費者余剰と生産者余剰の合計である社会全体の満足感は、市場価格が成立し、需給が一致するとき(市場均衡)に最も大きくなります。

では、平成29年11月19日に配信された以下の記事と、上の記述との整合性はとれているでしょうか。

賃上げ・設備投資に消極的企業には法人税優遇取り消しも 政府・与党検討

 産経新聞 11/19(日) 7:55配信

 ■積極的企業には拡充

 政府・与党が、稼いだ利益を賃上げや設備投資に十分振り向けていない企業に対して、法人税の軽減措置を縮小したり、取り消したりする制度を検討していることが18日、分かった。一方、賃上げや設備投資を増やした企業の税負担を一段と軽くする措置も拡充する。企業がため込んだ内部留保を投資に回るよう促し消費拡大につなげる狙い。

 22日から本格化する与党の税制調査会で検討を始め、平成30年度税制改正大綱に盛り込むことを目指す。

 具体的な制度設計については今後詰めるが、企業の利益のうち労働者の取り分を示す労働分配率や、企業の国内設備投資額などを参考に、一定基準を設ける案などが検討項目になる見込み。新たに設ける基準に満たない場合、政策目的に沿って税の優遇を与える「租税特別措置(租特)」を縮小したり、除外したりする。租特には研究開発費の一定割合を法人税額から差し引く試験研究費控除などがある。

 一方、賃上げや投資に積極的な企業の優遇措置を拡充する。安倍晋三首相が要請している3%程度の賃上げの実現に向け、賃上げ総額の一定割合を法人税から差し引ける「所得拡大促進税制」の29年度末の期限を延長した上で、減税幅を高める。また、生産性を高める設備投資を実施した企業に対しては、さらなる税制上の優遇措置を設ける方針だ。

 企業の利益の蓄積に当たる内部留保はここ数年、拡大を続け、28年度は406兆円を突破し過去最高を記録した。政府は、ため込んだ内部留保を社員の賃上げや設備投資に振り向けるよう求めており、これまでも与党内には内部留保に課税する案が検討されてきた。ただ、内部留保に対する課税は、法人税や配当金を支払った後の利益に税を課すため、二重課税にあたるとして経済界の反発が強い。

 このため政府・与党は、内部留保を積極的に投資に回す企業は優遇し、消極的な企業は冷遇する“アメとムチ”の政策を通じ、賃上げや設備投資の拡大が個人消費の拡大を生む「経済好循環」の実現につなげたい考えだ。

 

現実は、規制緩和による自由市場が拡大するほど、内部留保という「生産者余剰」は増大するものの、人件費が横ばいのままでは消費者には「消費者余剰」を手に入れるお金がそもそもないということです。本に書いてあることと現実は整合性が取れていません。ということは、この本には嘘が書かれているのでしょうか。

 

 必ずしもそうではなく、この本においても自由市場が万能であるとは言っていません。第2章「市場の機能不全とそれを補う方策」で、いわゆる「市場の失敗」について書かれています。ここでは、独占やカルテルが防止され、収益があがらない企業が市場から撤退するという規律が整い効率性を実現した市場においても、「もともとうまく市場が働かないケースもあります。消費者や企業が自由に生産や消費を決め、価格が需給を調整することによって社会的満足が最大になる-こうした市場の機能がなんらかの理由でそもそも働かないのです。これを経済学では『市場の失敗』と言います」としています。

 

 そうして、以下の3つをその例として挙げています。

市場の失敗①  市場取引から生じる「漏れ」 ―外部性―

 具体的事例として、公害や地球温暖化

市場の失敗②  市場が提供できない財やサービス ―公共財―

 具体的事例として、警察、消防、司法、国防、道路、道路、橋、公園

市場の失敗③  売手と買手の情報量に差がある場合 ―情報の非対称性―

 具体的事例として、買手が商品の品質を識別できず、品質にあった価格を払おうとしない場合、良質な商品の売手は市場から撤退

 

では、上の新聞記事はこの3つの「市場の失敗」のどれに当てはまるのでしょうか。どれにも当てはまりません。つまり、この本では、自由市場が拡大するほど「生産者余剰」が増大しても「消費者余剰」は横ばいのままの現実が説明できないとなります。私は、これは市場の失敗などの生易しいものではなく、行き過ぎた自由市場(規制緩和)が持つ根本的な欠陥であると思います。

 

自由市場が社会の満足感を増大させるというというのは嘘であるといえます。

自由市場とは強者・金持ちに有利な不公平市場であるといえます。

 

なお、「自由市場」のところを「規制緩和」「特区制度」に当てはめても全く同じです。

 

3 なぜ経済学者は生産構造こそが需要を決定づけることに関心がないのか

 

 上記の新聞記事では「賃上げ・設備投資に消極的企業には法人税優遇を取り消せ」と言っています。これは、拙著「コモンズの悲劇から脱皮せよ」(北斗書房 2013年11月28日)において私が主張したことと同じです。少し長くなりますが、該当部分を以下に掲げます。

⑥再生産資源管理型

 漁業資源は鉱物資源と異なり「親が子を産み、子が親になる」を繰り返す自己再生資源である。このため、当面の利益を優先するゆえに、親を獲りすぎてしまわないことは資源(供給)の持続的利用(安定)において最も重要なこと。

漁業資源学には、「SPR(Spawning Per Recruit): 加入当たり産卵資源量」という概念がある。これは生まれてきた子供の何%を親として残し、次の世代を生ませるかという指数である。全く漁獲がない時を100%とすると、おおむね30%以上になるように漁獲を制限すれば、持続的に資源を利用できるとされている。よって、資源が悪化している時には、親をより多く残すために%を高める(漁獲量を減らす)必要がある。

イソップ童話にある「ガチョウと黄金の卵」の教訓の「欲張り過ぎて一度に大きな効果を得ようとすると、その効果を生み出す資源を失ってしまうことがある」と同じである。

企業の1年間の売上を「加入」とすると、翌年も同じように商品を買ってもらうためには、その売上の何割かをお客に還元しなければならない。なぜなら、企業が成り立っている根源は、商品を作っているからではなく、お客がそれを買うお金(需要)を持っているから

ではその金はどこからきているのかというと、お客自身が他の企業で働いて得たものである。自社の還元が翌年の他社を潤わせ、他社の還元が翌年の自社を潤わす相互循環系になっている。よって、儲けの一定比率を必ず雇用賃金又は国内投資により還元しなければならない。(中略)

資源悪化は、親の獲りすぎが原因であるように、デフレ不況は有効需要を生むガチョウを減らしたことが原因である。(中略)

一般経済が「加入資源管理型」に学ぶとすれば、

売上の一定割合以上を雇用賃金と国内投資に充て、将来の需要の再生産に責任を持つことである。それを義務づけすれば、内部留保の抑制、過大な株主配当や役員報酬のカットも必然となり格差の拡大も是正される。(中略)

また、法人税もこの還元度の低い企業に対しては、累進制を課すなどを行うべきであろう。必死に雇用を支えている企業と、労働分配率が低く、株主や役員の儲け第一主義の企業に、同じ税率を適用するのは絶対おかしい

このようになれば1対99に象徴されるような強欲型のグローバル経済から、公平な格差の少ない需要再生産型の世界経済へと移行できると思うが、どうであろうか。

さすがの安倍内閣も企業の強欲さに嫌気がさしたのでしょうか。私と同じことを言い始めました。4年遅れていますが。

 

前々回のブログで、水産WGが「漁業の成長産業化」を前面に出しながら、その審議事項には「需要」の視点が抜けていると指摘しました。これは、この本の第5章「経済の基礎体力を高める 経済成長のメカニズム」においても同じで、以下のとおりすべて供給(生産)サイドに関することだけで、需要サイドからの要件が見当たりません

 

(経済成長に必要な要件)

①労働生産性を上げる。

②資本生産性を上げる。

③技術進歩

④インフラストラクチャーと制度

⑤規制改革

⑥海外の「成長力」を取り込む

⑦法人税改革(下げる)

⑧変化に対応できる力を養う「教育」

 

 だから、こんなことしても、産出される財やサービスを買う人がお金を持っていなければ成長などするはずがありません

 

私が読んだ経済関係の本ではこの「生産構造が需要を決定する」に焦点を当てた本は未だ見たことがなく、ほとんどが「セイの法則(作れば売れる)」に近いものでした。しかし、現状は「需要が減るように供給している」「買えないように作っている」としかいえません。こんな簡単な疑問にどうして経済学者は関心を持たないのか、不思議で仕方ありませんでした。

 

 ところが、さすがトマ・ピケティです。最近「TED」という講演会でのプレゼンテーションを紹介するネット番組で、資源管理におけるSPRに近い概念のことをちょっとだけ言っているのを知りました。(といってもすでに2年半も前の講演ですが)

 

ただし、残念ながらその内容は格差是正というよりも、今の格差を維持するために資産家が資本収益から再投資に回す割合でしたが、参考までに当該部分を抜粋し以下に引用します。

トマ・ピケティ 21世紀の資本論についての新たな考察(抜粋)

TED  2015/6/4(木) 10:13配信

 

富の格差が均衡するレベルは 急激に増加する r-g の関数で表されます。 直感的に財産による資本収益率と経済成長率との違いが大切だという理由は 最初の富の格差がより大きな r-gの為に加速して成長して行くからです。これを単純な例で見てみましょう。 rが5%でgが1%だとします。 すると資産家が 資本収益の1/5だけを再投資すれば 彼らの資産は経済の規模と同じ速度で増して行きます。これは大きな財を築き永続させるのに好都合です。なぜなら税を加味しなければ残りの4/5を消費でき 1/5のみを 再投資すれば良い訳だからです。

この1/5は低すぎですが、では格差を是正し安定経済を持続させるための「比率」はどの程度となるのが適切なのでしょうか。この観点から、経済指標としての「需要再生産還元率」は今後の経済学にとって極めて重要な概念に思えます。しかもその「比率」は、産業特性によってもその時々の景気動向によっても異なってくるでしょう。例えば、高度成長期には低くてもよいが、低成長期には高くすることを義務付ける必要があるなどです。このことに経済学者が関心を有し、その分野の研究が進展し具体的経済政策に取り入れられる日が一日でも早く来ることを願わずにはおれません。

 

4 第8章「地方創生と規制改革」を読んで

 

野坂委員が執筆した8章の冒頭に内容の要約があり、それを以下に転記します。

地方創生とは、「地方を元気にするための方策や仕組み作り」であり、まずは「生産性」を高めることが最も重要である。

 

 地方経済が弱っている原因のひとつに、生産性の低い「ゾンビ企業」の蔓延がある。地方経済を元気にするには、ゾンビ企業を市場から撤退させ、「新陳代謝」することが必要である。

 

 ①生産性を高める、②企業の収益を増大させる、③実質賃金を上げる、というリサイクルを作りあげることで、産業全体の生産性が向上し、やがて地方経済は元気を取り戻すことができる。

 

 生産性を高める方策として、①地域資源を活用した高付加価値化(例:六次産業化)、規制改革(例:特区制度)が有効である。

 

 「規制改革」(規制緩和)は、生産性を高めるうえで重要であるが、「市場の失敗」を生み出すこともあり、常に正しい選択であるとは限らない。

 

 「地方創生」において重要なことは、①それぞれの地域のよさを活かした独自の方法を見つけ出すこと、②国民一人ひとりが当事者意識を持つことである。

以下で意見を述べる部分を除いて、ここに書いてあることができれば大いに結構だとおもいます。しかし地方に住む人々がこれを読んでどう思うでしょうか。おそらく冒頭で、清太が医者に言い放った「滋養なんか どこにあるんですか!」の通り、「そんなことは言われなくてもわかっています。今の日本はそれができないような経済構造になってしまっている。そこをどうして解決するかそれが問題なのです。」となるでしょう。

 

(1)根本原因と対策の現実性について言及していない

 

 第8章では、いきなり地方を元気にするには・・・から始まっています。しかし、そもそも地方の第一次次産業や中小企業が、元気でなくなったマクロ的な根本原因は何でしょうか。その分析なくして、その対策を議論しても、生産性を高めることはできず「地方創生」にならないと思います。

 

第一次産業の就業者が減ったことは、戦後、全就業者の約半数がそれに従事していたことを考慮すれば、過剰な就業者が都市部における第2次、第3次産業へと転出していったことを意味し、一人当たりの生産性向上の観点から必ずしも否定することではなかったと思います。

 

 問題は、その後引き続き第一次産業に従事した者が、元気でなくなったその原因です。本来であれば、都市部の人口が増加し高度経済成長で所得も向上したなら、需要の増大で国内食料価格も上昇し第一次産業は元気であったはずです。それが、そうでなくなったのは、貿易の自由化により増大した輸入農産物・木材・水産物により国内市場を奪われたからと思います。

 

 また、地方の中小企業は大手企業の下請け的な仕事で生きていたが、これもグローバル化の進展で多くの大手企業の工場がコストの安い外国に移転し、その一方でその海外工場からの輸入製品が増加したことで、地元を離れることができない中小企業はダブルパンチをくらい、それが元気でなくなった要因でしょう。第2次産業就業者がわずか15年間で30%も激減(1995年:2000万人⇒2010年:1400万人)し、600万人もの職場が失われたのですから、地方の中小企業に与えた影響は深刻だったと思います。

 

このように、大手輸出企業の利益のための貿易自由化やグローバル化により引き起こされた産業構造全体の変化が、地方産業から元気を奪った根本原因であり、地方は国の産業政策の犠牲者といえます。もちろん、地方においても常に産業の効率化に努力する必要はありますが、この急激な産業構造の大きな変化にどこまで対応できるかの現実における限界は当然あります。しかも今現在も更なる自由貿易化が進捗し、その経営環境は悪化する一方なのです。

 

よって、地方を元気にするためには、反自由貿易、反グローバル化へと従来の施策からの転換が必要となりますが、この本では一切このことに触れていません。しかし、いったんそれを横に置いておいても、例えば100人の経営者がいれば、それぞれの能力や置かれた状況が異なるのですから、何人がそれに対応でき、何人がそれができないのかを見定め、そのレベルに応じた現実的で実行可能な方策を用意すべきではないかと思います。

 

そのためには現場を熟知した専門知識が不可欠です。よって規制改革推進会議のド素人の方々には、はじめから「地方を元気にする提言」をするような能力が備わっていないということです。もともと貿易自由化を進めながら、同時に地方創生を政策に掲げること自体が矛盾しており、調子がよすぎます。ブレーキとアクセルを同時に踏むようなもので、成果が上がるはずがありません。

 

(2)「ゾンビ」はそちらだ

 

野坂委員は以下のように記述しています。

皆さんは、世界中で大ヒットしている「ウォーキング・デッド」というアメリカのテレビドラマを見たことがありますか?「ウォーキング・デッド」とは、「歩く屍(しかばね)」、つまり「ゾンビ」のことですが、このドラマは、街に大発生したゾンビ、「ウォーカー」から逃れ、自分たちが生き残るために安住できる場所を探し求めて旅するストーリーです。ゾンビの発生によって、本来住む権利のある人間が街から追いやられ、ゾンビがあふれた街は荒廃していきます。そうしたゾンビは、現実の市場にも存在しています。

としたうえで「地方経済が弱っている原因のひとつに、生産性の低い「ゾンビ企業」の蔓延がある。地方経済を元気にするには、ゾンビ企業を市場から撤退させ、「新陳代謝」することが必要」と主張しています。

 

これは余りにもひどい比喩です。上の(1)で述べたように地方産業は大手企業優先の経済政策の犠牲者なのです。その中でも、地方において懸命に残っているその中小企業を「ゾンビ」と称しているのです。物事の本質に目を向けないから、このように加害者と被害者を逆転させたひどい話を平然と書けるのです。

 

ゾンビはそちらです。ゾンビが登場するドラマや映画では、生きた人間がゾンビを襲い貪り食うシーンは一度も見たことがありません。第一次産業や中小企業が大企業を襲いその市場を奪っている状況は残念ながら知りません。逆に中央による地方の際限ない蒐集という資本主義の手先である規制改革推進会議を使って、地方の富をむさぼり食い尽くそうとしているのが今の状況です。まさに資本主義の終焉が近づき、次々と残ったフロンティアを貪り食い尽くしつつある「規制改革」の姿こそがゾンビそのものです。

 

そこで、野坂委員の記述の「ゾンビ」を「規制改革」に、「人間」を「地方産業」に置き換えるとどうなるでしょう。

このドラマは、街に大発生した規制改革、「ウォーカー」から逃れ、自分たちが生き残るために安住できる場所を探し求めて旅する地方産業のストーリーです。規制改革の発生によって、本来地方に住む権利のある第一次産業や中小企業が地方から追いやられ、規制改革があふれた地方は荒廃していきます。

ドンピシャですね。そこで、もっと面白いドラマ仕立てにすることも可能です。野坂委員の記述をそのまま生かし、どんでん返し映画ナンバー1といわれるサスペンス・ホラー映画「シックス・センス」の落ちに習うのです。つまり、「ウォーキング・デッド」の主人公の保安官(規制改革)が、病院のベットで目を覚ますと、世界は文明が崩壊しており、生ける屍(地方産業)「ウォーカー」が歩き回るようになっていた。ところが、次々と「ウォーカー」を倒していくうちに、「ウォーカー」の方が逃げるようになった。何か変だと思いつつあった頃、橋の上から川面を見下ろすと、そこに「ウォーカー」が映っていた。なんと自分のほうが「ウォーカー」で「ウォーカー」と思い込んでいたのが「人間」だった。

 

次に野坂委員が改訂版を出すときには、ぜひこのどんでん返しのストーリーにしたらよいと思います。今までになかったジャンルの「サスペンス・ホラー経済学」として、ベストセラーになるかもしれませんよ。

 

なお、この際正しい「ゾンビ」の使い方について、参考となる使用例をご紹介したいと思います。以下は、東京大学教授鈴木宣弘氏の「なぜ協同組合が必要なのか 共生システムとして、拮抗力としての協同組合」(私信)からの引用です。

米国民が否定したTPP(環太平洋連携協定)をTPP11で推進し、TPP型の協定を「TPPプラス」(TPP以上)にして、日欧EPA(経済連携協定)やRCEP(東アジア地域包括的経済連携) にも広げようと日本政府は「TPPゾンビ」の増殖に何故に邁進するのか。

 

(3)優良事例の積み上げでは地方は元気にならない

 

ごく一部の優良事例を挙げて「ほら、こんなに頑張って結果を出している経営者がいるじゃないか」というのが一番ダメです。戦争に行っても生き残って帰ってくる人がいるように、どんな状況下でも生き残る人がいます。しかし、その事例をあげみんな生き残れるようなことを言うのは詐欺です。

 

政治家による地方創生の話を聞いたことがあります。そこでは全国の優良事例を「立て板に水」のごとくしゃべられていました。しかし、産業全体を俯瞰的に見れば、その優良事例とは、他の多くがそれをできないゆえに優位性を保っているのです。仮に各地方がみんなそれができたとしても、互いの優位性を打ち消しあう「集合の誤謬」から共倒れになるだけです。スケート教室に入った子供全員が「羽生結弦」クラスの実力をつけても、金メダル(需要)は一つなので決して金メダリストにはなれないと同じです。よって、地方創生の議論においてもまず国内の需要そのものを増大させる全産業の構造改革とセットでなければ、単に優良事例を積み上げただけでは、決して地方は元気にならないと思います。

 

(4)水産特区会社を成功事例とした責任は免れない

 

 野坂委員は、本で以下のように水産特区会社について記述しています。

・民間企業が参入したことで、漁業の集約という大規模化がなされ、生産の効率化が高まりました。

・技術の進歩(経営改革・機械導入による省力化)、雇用の増加(従業員数の増加)、資本の増加(大規模設備投資)、といったチャンスが生まれたことも、生産性を増加させました。

・ここでも、民間企業の商品開発やブランド化のノウハウ、取引先の活用などによって、さきほど説明した6次産業化が円滑に行われ、付加価値を高めるころで収益性を確保することができています

・以上の水産業復興特区の事例は、規制緩和による民間企業の参入により、生産性の向上が実現された成功事例です。

 あの宮城県の水産特区会社が成功事例だそうです。ここに豊田真由子前議員がいたら「違うだろー!」「頭がおかしいよ! 一度診てもらったら」と言いかねません。私は言いませんが。

 

 水産特区会社については、このブログ「他地区カキ流用は違法性はないが不適切? 宮城県水産特区会社(前編)(後編)」でも指摘しましたが、儲け優先主義のためか以下のような状況でした。

①県の税金5億円を自分の会社の設備や機械のために投入させた。

②品質の維持などのために業界が決めた出荷解禁日を守らず、自分だけ初物の高値のメリットを得ようと先行販売した。

③他地区カキ流用問題を引き起こし、宮城県カキ全体に対する消費者の信頼を傷つけた。

にもかかわらず、宮城海区漁業調整委員会において報告のあった平成28年度の特区会社の収支は、3800万円の赤字となった。(とすれば、おそらく設立以降の累積赤字は、1億円近いものになっているのではないかと推察され、しかもこれは特区会社による不祥事がマスコミで明らかとなる前の決算です。)

 

 これらの事実に照らせば、「成功事例」という記述は絶対にあり得るはずかありません。どうしてこのような赤字会社を「収益性を確保することができています」と言えるのでしょうか。特区に関する野坂委員の記述は明確に事実に反しています

 

いや、この出版は不祥事が明るみになる以前だったので・・・という言い逃れもできません。ここでは「特区会社は・・・となることが期待されています」との表現ではありません。明確に「(特区会社は)生産の効率化が高まり、収益性を確保することができています」と事実に基づいた表現となっています。

 

 今も高校生も含め多くの読者はこの本を読んで「水産特区会社は成功事例」だと信じています。ましてや、その章の執筆者は規制改革推進会議水産WGの座長という重要な役職を務められております。「まさかそんな方が嘘を書くなんて」と誰も思わないでしょう。

 

 まだお若く、将来のある野坂委員に提案したいと思います。このまま知らんぷりで、嘘を世に垂れ流しては、社会的責任は免れません直ちに規制改革推進会議の委員を辞任し、この本の改訂版の執筆に取り組まれることをお勧めします

 

5 規制改革全体について

 

(1)規制改革路線そのものの結果(是非)を検証する第3者機関が存在しない

 

私が一番の問題と思っていることは、これまでの20年間を通じて規制改革路線の結果検証を行う第3者機関が存在しないことです。

 

かつてはお手盛り風の「規制改革白書」なるものがありましたが、成果が出ないためかやめました。自分たちのやっている政策自体についての検証はどこからも受けない一方で、当事者抜きで勝手に決めた施策について関係省庁に目標や年次ごとの数値達成目標を設定させ、厳しくその進捗状況をヒアリングしています。例えば、タクシー業界の規制緩和による散々な結果の責任をとった委員はいるのでしょうか。いません。だから、振り込め詐欺と同じようにいつまでたっても規制改革の誤った政策による被害者がなくならないのです。

 

 よって、例えば国会において「規制改革結果検証特別委員会」を設置し、その提言を行った当時の規制改革委員と、その改革の対象となった業界関係者の双方を国会に呼び出し、徹底した結果検証を行うことが必要と思います。国家戦略特区部会などには国会議員が殺到するのでしょう。「俺に加計学園の結果を検証させよ」と。そうすれば、「ド素人の上から目線の無責任言い放題」規制改革にもブレーキがかかると思います。

 

(2)規制改革における議論と提言における根本的欠陥

 

野坂委員が書いておられることにかぎらず、新自由主義的考え方の委員のみで構成された規制改革推進会議における議論とその提言に共通して言える根本的欠陥を、すでに述べたことも含め、以下に整理して掲げてみたいと思います。カッコ内は「火垂るの墓の医者」との類似性です。

 

①中央(企業)の蒐集対象としか見ていない地方産業が有する社会・経済的位置づけや使命など全体的産業論からの議論に関心がないこと。(他人の子の命など医師にとってはどうでもよい)

 

その産業がなぜそのような状況に至ったのかという、産業構造全体との関係についての分析をしないこと。(節子がどういう環境下にあって衰弱したのかに関心がない)

 

極めて例外的な優良事例を盾に、その提言を当事者が実行できるかどうかにかかわりなく、一方的に押し付けること。(戦時下でも元気な子供もいるではないかと、清太が節子のために滋養を手に入れることができるかどうかに関係なく、言いたいことを言うだけ)

 

その提言が対象産業にもたらす結果について責任を持たないこと。(節子が滋養をとれず死のうとも、それは自己責任であり医者に責任がないこと)

 

という根本的欠陥があると思います。

 

どこの産業も時代の変化に応じた必要となる改革そのものを否定してはいません。まるで、規制改革に係る会議ができるまで「既得権益にどっぷりつかり」何もしなかったように言われていますが、そんなことはありません。この上から目線で、現場を知らない素人が強者に有利な施策を突き付け、しかも結果責任も取らない。そのような規制改革推進会議からの提言に対しては以下のような不満が述べられています。

卸売市場改革に関する規制改革推進会議提言を受け豊洲未来会議による緊急声明

(平成29年12月8日 水産経済新聞掲載)より抜粋

 

規制改革推進会議農業ワーキンググループでは、委員、専門委員を通じて卸売市場当事者不在のまま議論が進められ、我々として一切意見を表明する機会がないまま制度改正の方向性が示されることになった。本来改革とは、政治のリーダーシップの下で、現場の当事者と様々な知見を有する学者等の有識者と、制度を責任もって運営する省庁が議論をすり合わせ、立場を超えて志を一つにして進めるもののはずである。それにも関わらず、規制改革推進会議の議論は肝心の当事者を排除した形で進められたのは極めて残念と言わざるを得ない。このような強引な手法で改革を進めようとしては、例えその内容が正しいものであったとしても、現場の反発を招きいかなる改革も機能しなくなってしまう

この「たとえその提言が正しくても、あいつらが言うなら絶対受け入れない」と、当事者の憎悪むき出しによる反発を招いてしまっては、むしろ当事者が納得できる改革すら遅らせている「規制改革上面推進・実質抑制会議」と化しているのが現実ではないでしょうか。「規制改革推進会議の即刻廃止推進会議」の設置が待たれます。

 

「火垂るの墓」の最後は、魂となった清太と節子とが仲良く並び、六甲山から経済発展した現在の神戸の街並みを見下ろすシーンで終わります。人間にとって何が一番大切か、それを無言のうちに私たちに教えてくれているような気がします。

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