安倍長期政権とは一体なんだったのか(前編)

1 安倍晋三という人物の本質はなにか

 

 私は34年前、政治家になる前の安倍晋三総理大臣と二人だけで半日過ごしたことがあります。それは晋三氏の父親の安倍晋太郎外務大臣(当時)が1986年5月にモスクワを公式訪問したときに、大臣秘書官として随行されたからです。たまたま晋三氏のスケジュールが半日空いたので、当時大使館に勤務していた私が、上司の指示によりモスクワ郊外のコローメンスコエと呼ばれる地名のモスクワ河岸に立つ教会の見物にご案内したのです。

 

 外務省出身のプロパー職員でもない下っ端書記官の私が案内するということは、当時の晋三氏を大使館側は全く重要視していなかったということです。もちろん私も将来総理になるなど思いもしなかったので、写真を撮ることもなく(実は、後で1枚ぐらい撮っておけばと思いましたが、今となっては撮っていなくてよかったと思います:苦笑)、その時の記憶はあまりはっきりとは残っていませんが、初印象は、お父さん(晋太郎氏)より、同伴してきたお母さん(洋子氏、岸信介元総理の娘)似だなー、程度でした。それでも半日付き合った後、大使館に戻って「あの人は政治家の家に生まれないほうがよかったかも」という趣旨の感想を館員に言ったことは覚えています

 

その理由は、半日間にわたる会話で全く偉そうな態度をとることもなく、大変真面目な人だったため、その人柄に好感を抱き、その一方で、政治家に多い、あくの強さや俺は偉くなるぞーという傲慢さのようなものも全く感じられない、こんなに大人しくて本当に政治家が務まるのだろうかと思いました。たまたま輝かしい政治家の家系に生まれたが、本人は政治家になりたくないのではないか、なったとしても将来苦労するのではないか、と思ったからです。

 

 その後政治家として表舞台に登場したのは、小泉純一郎内閣での内閣官房副長官に就任した時でした。その時の北朝鮮に対する日本人拉致問題での毅然とした態度を見て、そのような一面があったのかと正直驚きました。私はその後の国政選挙で近くに晋三氏が応援演説に来た際も見に行き、人は変わるものだと感心しました。

 

そういう経緯もあったので、個人的には第1次安倍政権時代を通じて支援し、健康問題で辞任するときにも残念な思いをしました。そういえば、モスクワの郊外見物に出かけるときに、晋三氏が私に「自分はおなかが弱いのであまり遠方には・・・」と言われたことを覚えています。その時には気にしませんでしたが、後でそういう事情があったためかと思いました。その後民主党が政権交代を成し遂げましたが、国民の期待を裏切ったことから、再び自民党が政権に返り咲き、第2次政権内閣が発足したときにも好感をもって受け止めました。

 

 しかし、その後安倍政権が長期政権と化すにつれ、これがあの時の晋三氏と同一人物とは、到底思えない人物に変貌しました。内閣支持率調査などでは、安倍政権不支持の理由でもっとも多い回答が、常に「人柄が信用できないから」だそうです。ということはあの時その人柄に好感を抱いた私は、完全に見誤っていたのでしょうか

 

総理という地位にありながら、明らかにそうだとわかる嘘を平気でつくし、公文書の隠ぺい改ざんはお手の物、憲法・法律も過去の内閣の解釈をいとも簡単に変更するなど、違法行為もいとわないという政治家になってしまいました。森友・加計問題などは本来総理がかかわるべき国政レベルの事案とはおよそ縁遠い些末なことです。いわゆる「オトモダチ」のためなら下衆のせこい利権にまで手を染める。これではまるで江戸の将軍が、自ら悪代官のレベルに成り下がりオトモダチの越後屋と密談を交わすイメージです。みっともないとは思わないのでしょうか。

 

そういえば、出身の成蹊大学の加藤節名誉教授が、「安倍首相には、二つのムチがある、ignorantの『無知』とshamelessの『無恥』」と批判しているとのことです。後者の「無恥」については「オトモダチのためとはいえ、さすがに総理たるものがこんな利益供与をしては・・・」というリミッターが生まれつき備わっていない「底抜けの人の好さ」から来ているのでしょうか。とすれば、恥という概念に対しての自覚がないので、何度「李下に冠を正すな!」と忠告されても、また直近のアベノマスクにおいて名を聞いたこともないような業者が介在するなどの疑惑が生じ、毎回正しているのはそのためでしょうか。

 

このように憲政史上ダントツの不祥事続きの政治を行っても、選挙では衆参合わせて2/3以上を与党で占めるという大勝も含め連戦連勝で、憲政史上最長の内閣を維持できています。一体どういう政策や能力が評価されたためでしょうか。それとも分裂で弱体化するばかりの野党の自滅に助けられた悪運が強いだけでしょうか。全く理解に苦しむところです。誰か教えてくれー。

 

そこでこの二つの大きな疑問

あの時の晋三氏がなぜこのような政治家になってしまったのか。

②特筆すべき政治的成果もなく、不祥事続きの安倍内閣がなぜ憲政史上最長の政権を維持できているのか。

がどうしても湧いてきます。私は、このテーマを扱えるほど政治分野に関しての勉強もしていませんが、安倍総理に対する世間の評価も参考にして、たまたま政治家になる前の晋三氏を半日お世話した経験のある私の個人的視点も踏まえ考えてみたいと思います。

 

またこの考察の中で、漁業者を完全に無視し、素人で構成された規制改革の意見に盲従した前代未聞の漁業法改悪がどのような彼の思考の中で行われたのかも考えてみたいと思います。安倍政権なかりせば、漁業法改悪もなかったことは明らかです。この改悪漁業法の具体化を現場で阻止し、必ずや来る安倍政権の終焉をとらえ改悪漁業法を元に戻すための方策を考えるにおいても、ここを分析しておくことが重要かと思います。

 

2 安倍政権評価のキーワードは「空(くう)」と「業(ごう)」

もちろん人によって評価が異なってきますが、戦後の名総理といえば、吉田茂、池田勇人、佐藤栄作、田中角栄などがあげられるのではないかと思います。彼らには、ほかの総理では及ばない強烈な政治的信念と非凡な力量があったからと思います。では、その名総理達を上回る長期政権を成し遂げた晋三氏にもそのような資質があったのでしょうか。そう思う人はいないでしょう。しかし、政治は結果という点からすれば、戦後の名総理を上回る何かがあったことは違いありません。まさに逆説的な言い方ですが、それが晋三氏の「凡庸さ」だったのではないでしょうか。歴代の総理にはなかったその「凡庸さ」こそが、不祥事続発と長期政権という相反するものを見事に両立させたというのが私なりの解釈です。

 

 彼の若いころを知る人は、以下のように言ったそうです。

大学卒業後に就職した神戸製鋼の元副社長の証言

「会社員時代の晋三から政治的な情熱を感じたことはないとした上で、今の政治スタンスは、子犬が狼の子と群れているうち、あんなふうになってしまった。僕はそう思っています」

(「安部3代」青木理著より)

かなり辛辣な証言ですね。しかし、私がモスクワでの晋三氏から受け止めた「大変真面目な人」「傲慢さがない」「政治家になりたくないのでは」「政治家が務まるか」などの印象と上の証言は似たものがあると思いました。このほかにも、「周りばかりを気にする臆病政治家」「世襲議員の悲劇」「大人に囲まれて育った凡庸ないい子が総理を演じている姿は、なんだかかわいそう」などの評価もネットにありましたが、晋三氏の本質に関して共通するものは、決してギラギラした悪人ではない普通の人という評価ではないでしょうか。

 

 このように政治家になる前は「大変真面目な人」だったのに、第2次安倍政権発足後の政治姿勢からくる印象は、その真逆の「まれにみる悪総理」に変化。一見結びつかないこの関係について、その謎の解明に大変興味が湧いてきました。そこで、参考になる事例があるのかと調べてみると、哲学者・ハンナ・アーレントの著作「エルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告」がそれらしきことを説明しているように感じました。

 

 その著作はネットにあった「9割の悪事を『教養がない凡人』が起こすワケ 歴史と哲学が教える『悪の陳腐さ』の恐怖」(山口周、東洋経済オンライン、2018年8月4日)という記事において引用されていたものです。なお、この記事は、日本を代表する一流企業で続出するコンプライアンス違反について考察したもので、安倍総理のことは一切出てきません。

 

要約すると以下の通りです。 

 

ナチスドイツによるユダヤ人600万人虐殺計画において主導的な役割を果たしたアドルフ・アイヒマンは、戦後アルゼンチンで逃亡生活を送っていたところをイスラエルの秘密警察によって拿捕され、エルサレムで裁判を受け、処刑された。このとき、連行されたアイヒマンの風貌を見て関係者は大きなショックを受けた。それは彼があまりにも「普通の人」だったから。「ナチス親衛隊の中佐でユダヤ人虐殺計画を指揮したトップ」というプロファイルから「冷徹で屈強なゲルマンの戦士」を想像していたが、実際の彼は小柄で気の弱そうな、ごく普通の人物だったから。

 

なぜ、ごく「普通の人」がこの悪事を。ここが最大のポイントなのですが、それについてアーレントは、要約すると以下のように述べているのです。

 

アイヒマンが、ユダヤ民族に対する憎悪といったものではなく、ただ純粋にナチス党で出世するために、与えられた任務を一生懸命にこなそうとして、この恐るべき犯罪を犯すに至った経緯を傍聴し、「悪とは、システムを無批判に受け入れること」すなわち「陳腐(凡庸)」として誰もが犯すことになってもおかしくない。通常、「悪」というのは能動的になされるものだと考えられているが、むしろ、それを意図することなく受動的になされることにこそ「悪」の本質がある。

 

これを私なりに安倍総理に置き換えると少し長くなりますが、以下になろうかと思います。

 

晋三氏は、特段の政治的信念を持つわけでもないごく普通の凡庸な人物であった。たまたま母方の祖父と大叔父が総理大臣経験者で、父方も2代にわたる名政治家だった。そうそうたる政治家の家系に生まれた子息の多くがその道をたどるように世襲政治家となった。晋三氏が総理になる前に、国会に子供たちを呼んで話をする企画があったとき、子供たちが晋三氏に何故政治家になろうと思ったのかと聞かれた時に晋三氏は、「お爺ちゃんも国会議員、お父さんも国会議員、だから私も政治家になったんだよ」と語ったとのこと。晋三氏は家名を汚さぬように一生懸命に政治の世界で努力した。

 

晋三氏が政治家として登場した平成の時代においては、小泉純一郎元総理によりそれまでのボトムアップ政治からトップダウン政治への転換がはかられた。それが「官邸主導体制の確立」であり、まず政策面において各省庁からその権限を取り上げ、官邸内に「経済財政諮問会議」等を設置し、自ら具体的な政策案を立案できる組織とし、内閣総理大臣補佐官(内閣総理大臣のスタッフとして、内閣の特定の重要政策の企画・立案に当たることを職務)制度を強化した。さらに、第2次安倍政権下で「内閣人事局」を設置し、その政策の執行機関である各省庁の官僚の人事権を一元的に掌握した。そこには警察・検察という違法行為の摘発機関も含まれていた。これにより政策立案と執行機関人事権の両方を掌握した官邸の権限は強大なものとなった

 

さらに、その権限行使をチェックすべき立法府において、小選挙区制への移行による立候補者選定権を握る自民党総裁(総理)の機嫌を損ねぬよう、官邸の政策に異議を唱えない与党議員を生み出した。また、少ない得票率でも多くの議席を占め得る小選挙区制度の特性を利用した巨大与党体制が確立した。これにより、行政府のみならず立法府も実質上手中に収めた「官邸1強体制」の政治システムが完成し、そのトップに凡庸な人物が偶然にも立つことになった

 

凡庸ゆえに晋三氏には、特段の政治信条はなく、その時々の国民受けする施策の寄せ集め政治(よく言えば柔軟性、悪く言えば一貫性の欠如)をもたらし、これが意外と国民による評価を得た。これを例えれば、空港で札幌行きと那覇行きの搭乗口は分かれていたが、乗ったら同じ飛行機だったのに乗客(国民)はそれに気が付かついていない状態。TPP参加と地方創生を同時に打ち出すのがそれ。

 

その一方で、凡庸ゆえに家系に恥じぬ政治家たらんとし、さらに第1次安倍政権を不本意のうちにやめざるを得なかったことのトラウマが、総理の座を二度と失うものかという執念を異常に高め手段を選ばないようになった。これにより、仏教的に言えば、生来の「空(くう)」に「業(ごう)」が追加された善悪を超越した人格に変貌させたといえる。

 

ゆえに、政策にはこだわりがなく、どちらにもいい顔を向ける矛盾した政策を同時に打ち出し、簡単に変更し、成果が出なければ「道半ば」で片づける。その一方、自分に対する攻撃にはむきになって反発する。自らの位置を脅かしかねない不祥事については、嘘を隠ぺいするために職員に自殺者が生じても意に介せず、自分に逆らう役人への攻撃では、下ネタを全国紙にリークするという唖然とする手段もいとわなかった。これは、皮肉ではなく過去の総理では到底為しえなかった卑劣な手段をも全く意に介さないという凡庸ゆえのまれにみる強力な総理といえる。過去になかった「官邸1強体制」の確立と、これまた過去の常識が通じない総理に対しては、現行の政治システムではなすすべがなかった

 

安倍総理にとっては、名門政治家の家名を汚さぬよう総理の任務を一生懸命にこなそうと、また自分の味方であるオトモダチを大切にしようと、与えられた「官邸1強」の政治システムを最大限に活用したことが、前代未聞のスキャンダルの続発と長期政権の両立を可能とした。しかし、本人には「悪」を行ってきた自覚がおそらくない。まさにこれこそアイヒマンにも通じた「凡庸」の怖さというものではなかろうか。

 

以上が私の考察です。これが冒頭の疑問

①あの時の晋三氏がなぜこのような政治家になってしまったのか。

②特筆すべき政治的成果もなく、不祥事続きの安倍内閣がなぜ憲政史上最長の政権を維持できているのか。

への答えが、凡庸さから生まれた空(くう)と業(ごう)ではないかと推測しました。

 

中編に続く

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