日本学術会議と漁業調整委員会の似たところ

一昨年12月8日に国会で成立した改正漁業法(以下「新漁業法」)の施行がいよいよ12月1日に近づいてまいりました。最近、私の身の回りにもそのことを感じさせるある出来事がありました。先般開催された漁協の理事会で、今まで見たこともなかった議案「三重海区漁業調整委員会の委員の推薦について」が提出されたのです。

 

 新漁業法第138条(委員の任命)では、これまでの海区漁業調整委員会(以下「海区委」)の委員選出において選挙制度を廃止し、知事が任命する権力的制度へと変更され、第139条において漁業者が組織する団体から推薦を求める方式になりました。もちろん漁業者はこの制度改悪に強く反対しましたが、あらゆる分野における権力の強権的行使を容易にする前時代的制度改正(悪)を政策の1丁目1番地に掲げた前安倍政権によって強行されたのです。

 

これまでは、選挙という浜の漁師の誰もが文句の言いようのない民主的な制度であったことから、漁協理事会がそれに関与する必要はありませんでした。しかし、今後はそうはいきません。「誰が勝手に○○を推薦したのか!」ということになりますので、その推薦においてできる限り浜の民意を反映するために、法的必要性はありませんが、あえて理事会の承認事項としたのです。

 

その結果組合長が委員候補に推薦されました。そこで私が組合長に対しこう言いました。

 

組合長!注意しておいていた方が良いですよ。組合長はよく知事に直接電話して文句を言っていますね。だから日本学術会議の会員のように、総理(知事)の意向を忖度した取り巻き役人によりいつの間にか推薦名簿から削除されますよ。あとで知事に「なんで組合から推薦された俺を任命拒否したのか!」と文句を言っても「総合的、俯瞰的活動を確保する観点から判断をした」と言われて終わりですね。

 

組合長は笑っていましたが、冗談でなくそうなりかねません。実は、日本学術会議(以下「学術会議」)も1984年の制度改正前は、会員選出は自由立候補制によって研究者が登録し選挙を行う方式だったのです。その後、「学術会議の推薦に基づいて内閣総理大臣が任命する」方式に変更されたのです。学術会議と海区委は似たところがありますね。

 

海区委の選挙制度の廃止に漁業者が強く反対した理由は、知事の任命制になれば「知事の政治的な意向による恣意的な判断により、知事に異を唱えない御用委員ばかりになる」ことを危惧したからです。それを今回の日本学術会議委員任命拒否(以下「任命拒否事件」)が見事に実証してくれました。これがお手本となり、今後海区委の委員任命でも同じことが起こる可能性が高いことに備えなければなりません

 

よって、今回の任命拒否事件がどのような流れの中で起きたのかを分析することは、新漁業法の運用においても生じうる同様の事象に対処するために大いに参考になるものがあると思います。結論から言いますと、このブログの「安倍長期政権とは一体なんだったのか(中編)」や「国のガイドライン(技術的助言)に地方は従う義務はない」において指摘しましたが、前安倍政権を継承した菅政権(以下「番頭政権」)も、「解釈という名のもとに憲法も法律もいくらでも改変する政権」だということです。もっとわかりやすく言えば「無法政権」です。

 

法律はそれを解釈する者が性善説でできていますが、その解釈権を握るものが性悪だとどんな法律を作っても意味を持たないということです。ある意味法律の欠陥(といえるかどうか、欠陥は法律ではなく現政権の方だ!と法律が怒るでしょうが)をこれほどうまく悪用した政権も珍しいでしょう。

 

その代表例が、憲法は全く変わっていないのに、過去の歴代政権が明確に否定してきた国のあり方の根幹をなす集団的自衛権の解釈をいとも簡単に変更したことです。また、黒川弘務東京高検検事長の定年を、国家公務員法は検察官には適用されないとの従来の政府解釈を変更し、閣議決定により延長しました。しかも法解釈の変更は法務省内の口頭決済でといういとも簡単なものでした。

 

今回の「任命拒否事件」も同じです。1983年の国会答弁で首相の任命権について「形だけの推薦制であって、推薦していただいた者は拒否はしない。形だけの任命をしていく」とした政府見解をいつの間にか変更したのです。しかも、加藤勝信官房長官は10月6日の記者会見で、法解釈の変更はなく、過去の国会答弁とも齟齬がないとの認識を強調。文書をこれまで公開しなかった理由について「解釈に変更を加えたものではないので、直ちに公表する必要はなかった」と主張した、とのことです。

 

正直、めちゃくちゃです。番頭内閣によれば、憲法も法律も役所の中で誰かが「今日からこうしよう!そうだ!そうだ!それがいい!」と口頭でいえば文書すらなく変えられるようです。立法府など存在価値がないのです。しかも、明らかに過去の政府説明と異なるにもかかわらず、「法解釈の変更はない」からと国民に説明する必要さえないというのです。皆さん、どう思いますか。こんな政権の下で安心して暮らせるのでしょうか。日本国民は「解釈という名のウイルス」にこの8年間だんだんと侵されてきたようです。それが就任直後の安倍政権番頭総理により早くも露骨に現れました。

 

今回は、ここまでとしますが、次回以降なんでこんなめちゃくちゃができるのか、ではどうすればよいのか、などを考察していきたいと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です