日本学術会議委員任命拒否事件の元凶は三権分立の無視にあり

今回の任命拒否事件についてネットでいろいろ調べていて、思わず笑いが出てしまうほど面白い過去の国会でのやり取りがありました。それは、2010年2月5日の衆院予算委員会で、当時野党であった自民党のA議員と、政権を奪取した民主党の鳩山由紀夫総理との間でのやりとりです。

 

A議員

最後に総理に申し上げますけれども、総理は非常に洞察力のある政治家だと私は思いました。申し上げます。総理は、自自連立政権ができるその直前に、夕刊フジのコラムにこう書いているんです。御記憶にあるかもしれません。

 

小沢氏の発想は、明文化された法律でも内閣次第でどのようにでも運用可能というもの。独裁者の思考なのです。「自自連立」政権が続いて小沢首相が誕生することになれば、「オレは法律だ」「オレに従え」と振る舞われるつもりなのか? とても、法治国家の政治家の発言とは思えません。戦時中の統制国家が復活する危機感を感じますよ。

 

これは総理が署名入りで書いています。いかがですか。

 

これはちょっと読んだだけでは時系列的にわかりにくいもので少し補足説明します。

 

この国会質問当時に野党だった自民党のA議員は、この質問を行った2010年よりさらに12年前の1998年に野党であった旧民主党の鳩山氏が、自由党の党首小沢氏を批判したコラムを引用したのです。それは、自民党が参議院選挙で惨敗し当時の自由党と自・自連立政権を樹立しようとしたことから、野党の立場だった鳩山氏が与党となる予定の小沢氏を批判したのです。それから12年後の国会で、今度は野党の立場となった自民党のA議員が、今は鳩山総理と同じ与党民主党内にいる小沢氏を批判した過去の鳩山氏のコラムを引用し、今の鳩山総理を批判したというわけです。ややこしくて、説明がすんなりいかずすいません。

 

これの何が面白いのかというと、なんと、この質問をしたA議員とは現総理の菅義偉氏だったからです。もちろんこれは菅氏自身が発言した言葉ではありませんが、ここに出てくる

「明文化された法律でも内閣次第でどのようにでも運用可能」

「独裁者の思考」

「とても、法治国家の政治家の発言とは思えません」

「戦時中の統制国家が復活する危機感を感じますよ」

という言葉は、任命拒否事件に関し今現在、小沢氏がツイッターで頻繁に菅総理を批判している内容と全く同じだからです。

 

つまり、同じ内容での批判先の時系列が「鳩山→小沢、菅→鳩山、小沢→菅」となっているのです。他人を批判した過去の言葉が、自分に戻ってくるのを「ブーメラン」といいますが、これは何と言えばよいのでしょう。例えれば、AがBに投げつけた爆弾をCが空中でキャッチしAに投げ返す、それをまた途中でBがキャッチしCに投げ返す。登場人物の3人とも等しく同じ言葉で批判し、後日批判し返されるという関係は、トライアングル・ブーメランとも言えばよいのでしょうか。偶然とはいえ、「昨日の敵は今日の友」という政治の世界が22年かけて作り上げた歴史の皮肉ですね。

 

本題に入りたいと思います。

 

つまりこれは何を意味しているかというと、「法律を解釈で無きものにする」のは与党の立場になればどの政党でもやりたくなることだと思います。それが露骨だったが、安倍・番頭政権だったということでしょう。なんといってもすごいのが、過去の政権が一貫して否定してきた、集団的自衛権という国家の土台まで解釈で変えてしまったのですから。家の基礎となる土台まで知らないうちに勝手に変えられては家は傾きます。

 

今国会で、「総理は法律上任命拒否ができるのかどうか」という点について種々の議論が行われています。しかし、なぜかそこで論点とならないものの、本事件が生じた原因の核心に触れた論評がネットにありましたので以下に紹介したいと思います。なお、これは私も現役時代から内閣法制局にいつも思っていた疑問であり、やはりここが問題だったのかと納得がいきました。

 

法律の解釈権が行政府にあるのは三権分立の観点から違法

 

「凡学一生のやさしい法律学」というブログがあります。これはペンネームと思われ、どういう方がわかりませんが、法律の専門家であることには違いないでしょう。ネットで検索したあまたある論評の中では、ちょっと表現が過激ですが、今回の事件の核心にある問題点を最も的確に指摘していると思いました。その主張の主なところを以下に引用します。下線や赤字は私が付しました。

 

日本は三権分立ではなく立法権は画餅であり、行政権がほかの国権まで圧倒的に支配している。国会議員の主たる業務は立法であるが、実態は閣法(内閣が提出する法律)が法律のほとんどを占める世界である。つまり、国会議員が議員として法案を提出する能力は、ほぼ皆無である。

 

(野党議員の呆れた論戦)

国会では野党議員が、日本学術会議法の総理大臣の「任命する」との文言について「解釈を変更したのではないか」と追及している。立法担当者である国会議員がこのような奇妙な議論を真剣に国会で行っていること自体が、国会議員の法に対する無知をさらけ出していることを当人は自覚していない。

 

この馬鹿げた無能劇の背景には、「内閣法制局」という明治以来の権威主義的な法解釈国家制度の存在がある。内閣の法律の公権的解釈を権威づける制度である。この内閣法制局の公権解釈に変更があったのではないかと争っているが、実に馬鹿げた議論である。自分の目で見て、日本語で書かれた法文の意味を理解できないのか、という根本的な疑問さえ抱く。

法律の解釈を権威に頼る姿勢こそ、立法担当者の責務を放棄し、その資格なき姿であることがわからないのか」と言いたい。法律は成立した時から一貫して、その意義は一義的であり、「解釈の変更」などあり得るはずはない

 

(成立当初の意義)

法律の成立当初の意義を、講学上は「立法者意思」という。成立当初の意義は一貫して遵守されるべきであり、この遵守こそ法的安定をもたらす法治主義の基本である。実質的な立法者でもある内閣の内閣法制局の解釈の変更こそ事実上の立法行為であるため、国会の権能を侵害する重大な違法行為である。

 

新しい「解釈」が新たな立法行為・立法効果となることは法律学では常識に類する。これは憲法違反のレベルに相当する違法行為である。しかも内閣法制局の解釈の変更は「客観的事実」問題であり、議論で確定するものでもない。このことの有無を議論すること自体が、無用の議論である。

 

 基本的には内閣法制局つまり内閣が勝手に法律の公権解釈(※)をすることはできない。これが三権分立の最低限の原則である。従って内閣が勝手に法令の解釈を変更したならば、それは明白な違法行為であるため、野党国会議員にはこのことに対して適切な対応が求められる。この適切な対応が何かを知らず、それについて研究もしないために、万年「野党の負け犬の遠吠え」と揶揄される結果となっている。

 

全く同感です。番頭総理が過去の内閣の「形式的な任命で総理に実質的な任命権はない」とする解釈を変え、「必ず推薦のとおりに任命しなければならないわけではないという点については、内閣法制局の了解を得た政府としての一貫した考えであります」として、内閣法制局の了解をまるで「錦の御旗」のごとくにうやまうのを聞くと、

「へー、その内閣法制局とはお前より偉いのか!」

「内閣法制局とやらが、なんぼのもんじゃい!」

とすぐに突っ込みを入れたくなります。

 

私は現役の時にたびたび内閣法制局に通いました。一番よく通ったのが、内閣官房外政審議室に設置された「海洋法制担当室」に出向したときです。その時の私の担当は「排他的経済水域及び大陸棚に関する法律」で、法務省出身の第2部の参事官に法案の審査をしていただきました。多くの場合、各省庁の法令担当者は、法案の中身について参事官にぼろくそに言われてとぼとぼと自分の省庁に戻るのですが、この時の参事官には丁寧に指導していただき今でも感謝しています。年末には担当室の仲間と参事官を囲んで楽しく忘年会を開いたくらいです。なんとその参事官がのちに法制局長官になられたのを知って驚きました。しまった!サインをもらっておけばよかったとまでは思いませんでしたが、何となくうれしい気持ちになりました。

 

このように私は内閣法制局に対して私怨はありません。しかし、内閣法制局の存在に対して疑問を抱くことが、あることが起こって以来強まりました。内閣法制局の権限は立法府に一元化すべきではないかという考え方です。そのきっかけとは、水産庁の漁港漁場整備部が魚礁の設置などによる増殖場造成事業をそれまでの沿岸域から沖合域(領海外の経済水域内)に拡大するための法律改正を行おうとした時のことです。

 

最初は内閣提出法案として始めたのですが、どうしても内閣法制局が「うん」と言いません。その理由は公共事業そのものの縮小・見直しの流れの中で、今さら国が新たな直轄事業を始めることなどまかりならぬという理由でした。すでに与党との協議も実質上終えていることから、それは国としての水産振興にかかる公共事業のあり方の問題であり、内閣法制局が口出しする法律上の問題ではなく越権ではないか思いました。

 

そのため、内閣提出法案ではなく議員提出法案とすることで、国会の「議院法制局」で審査してもらい国会に提出でき成立したのです。こんなことなら、内閣提出法案も含めて国会に提出される全法案を、議院法制局で一元的に審査すればよいのではないかと思いました。内閣法制局は政令以下のみを所管すればよいのです。

 

意外と知られていないのですが、国会には衆参両院それぞれに「法制局」が設置されています。法律を審議し成立させるのは議会の仕事です。国民の選挙で選ばれた議員で構成されている議会こそが、国権の最高機関で唯一の立法機関です。だから議会に属する議院法制局にこそすべての法案の事前審査権と成立した法律の解釈権があるのが当然ではないでしょうか。時の政権与党が自分の配下にある内閣法制局を使い、法律の解釈を簡単に変えたがる元凶は、ここにあると思いました。

アメリカでは、大統領(行政府)には議会に対する法案提出権がなく、議員のみにしか認められていません。しかし、議院内閣制の下にある日本ではそこまで徹底しなくても、少なくとも法律の解釈権を内閣法制局から分離し、すべての法律を審議し成立させた国会に属する議院法制局に移行すべきでしょう。

 

そういう観点から、現在の内閣法制局と議院法制局の法律上の権能の比較をしてみます。

内閣法制局設置法

(所掌事務)

第三条  内閣法制局は、左に掲げる事務をつかさどる。

一  閣議に附される法律案、政令案及び条約案を審査し、これに意見を附し、及び所要の修正を加えて、内閣に上申すること。

二  法律案及び政令案を立案し、内閣に上申すること。

三  法律問題に関し内閣並びに内閣総理大臣及び各省大臣に対し意見を述べること。

四  内外及び国際法制並びにその運用に関する調査研究を行うこと。

五  その他法制一般に関すること。

 

議院法制局法

第八条 法制局長及びその指定する参事は、委員会又は合同審査会の求めに応じ、法制局の所掌事務に関し、報告説明することができる。

第九条2

 委員会の命を受けて行うその審査又は調査のために必要な法制に関する調査(次条において「法制に関する予備的調査」という。)及び行政監視に係る法制に関する事務に係る企画調整の事務並びに決算行政監視委員会の所管に属する法制に関する事務は、法制企画調整部においてつかさどる。

第十条 衆議院法制局長は、委員会から法制に関する予備的調査を命ぜられたときは、当該法制に関する予備的調査に関して、官公署に対して、資料の提出、意見の開陳、説明その他の必要な協力を求めることができる

 

上記の二つの権能を比較して一目瞭然なのは、内閣法制局の権能は、①審査事務、②立案事務、③意見事務、④調査事務と極めて明確なのに対し、議院法制局はなにか④だけで、議員のための「よろず法律相談所」程度の位置づけしかないように思えます。この点について、かわいそうに、ウィキペディアでは

 

法律問題に対する意見事務も、内閣法制局の意見が内閣の法令解釈に決定的な影響力をもち、国会の議場における内閣法制局長官等の意見が政府の法律に関する意見を代弁するものとなるのと比べて、議院法制局の法制局長等の意見は、国会という機関を構成する個々の議員の参考に資するために法律専門職としてアドバイスをしたという以上の意味を持たない。

 

とまで蔑まされています。

 

特に内閣法制局は設置法第3条の3「法律問題に関し内閣並びに内閣総理大臣及び各省大臣に対し意見を述べること」を有しており、これが法律の解釈権として今回の任命拒否事件の元凶になっているわけです。本来は内閣にしか意見が言えないのに、国会にしゃしゃり出てきて国会が審議・成立させた法律の解釈を偉そうに議員に対し説教しているのはどう見てもおかしいことです。これこそ違法そのものではないでしょうか。

 

例えれば、家を建てるときの家主が国民だとします。家主は設計事務所(立法府)にその家のあるべき形の注文をし、事務所は家主の負託を受けて設計図(憲法・法律)を描き、その通りに建築するように大工(行政府)に指示します。ところが、床の間になるはずだったところが、いつの間にか便所になっていました。当然家主は怒ります、設計図通りになっていないと。ところが信じられないことに、その設計図を描いた事務所(国会)は、なぜそうなったのか自ら答えようとはせず、大工(政府)に「設計図ではどうなっていたでしょうか」と聞くのです。さらに、輪をかけて信じられないことに、その大工からの「うちの法務担当者が設計図をこのように解釈しました」という回答をなぜか設計事務所が素直に受け入れてしまうのです。これでは設計図など何の意味もなく家主はたまったものではありませんね。

 

なぜ設計事務所は大工に弱腰なのでしょうか。それは議院内閣制度にあると思います。設計事務所の中で多数を占めたグループの代表が大工の棟梁を兼ねているので、棟梁の機嫌を損ねると自分のクビが危ないからです。そうです官邸1強体制下におけるもの言わぬ与党議員なのです。行政府を監視する機能を喪失した腑抜けた立法府となったのです。だから安倍・番頭政権下で設計図に従わない建築が相次いだのです。

 

よって、再度の政権交代後は政府にとって都合の良い「解釈という名の法律無視の誘惑」に負けず、速やかに議院法制局があらゆる法律の解釈権を一元的に有すると法律で規定し、国会議員及び内閣からの法律解釈の求めがあった場合は、法務委員会の審議を経たうえで回答することができるとするのです。こうすることで現在のように内閣法制局の役人による単なる内輪の勉強会でちょちょいといつの間にか法律の解釈が変わる「無法国家」ではなく、はるかに立派な「法治国家」となると思います。

 

追記:11月12日

11月9日に発表された一か月ぶりのNHKの世論調査によりますと、菅内閣を「支持する」と答えた人は、先月の調査より1ポイント上がって56%、「支持しない」と答えた人は、1ポイント下がって19%でした、とのことです。これには正直驚きました。私の想定の全く逆です。でも公明正大な公共放送であるNHKの世論調査ですので、嘘はないでしょう。私が間違っていました。

ということは、国会での日本学術会議の会員任命拒否事件をめぐる野党の質問に対する番頭総理の答弁振りが素晴らしかったとしか言えません。どれほど素晴らしかったのかは

でご確認ください。

まさかNHKが「ほめ殺し世論調査」をするわけはないでしょうから。

 

 

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