次期政権の農林水産大臣は日本共産党から(その7)

(既に漁村では社会主義が存在しており、一部には共産主義も)

 

今回は、日本共産党が将来の理想としている社会主義・共産主義の社会について考えていきたいと思います。結論を先に言えば、私は、資本主義と社会主義・共産主義との間に共同社会(協同組合)主義(以下「共同主義」)を位置付けてもよいのではないかと思います。

 

この共同主義こそが、資本主義と社会主義・共産主義のメリットとデメリットを最もうまく調和させ、社会主義に近いが、その欠点である計画的な全体主義を除去した理想の社会システムのように感じます。その理由は、私が住んでいる漁村社会における実体験からです。これはコモンズの管理は、市場や政府によるものではなく、コミュニティによる場合が一番効果的との理論にも一致します。そのことを以下のように、水産経済新聞のコラム(令和3年6月29日)に簡単にまとめて投稿しました。

このコラムを書いた目的を段階を踏まえて言えば、

 

①日本漁業が抱えている深刻な問題である、新(改悪)漁業法や福島原発汚染水放出を解決する唯一の手段は政権交代の実現でしかない。

②そのためには、総選挙での野党の一本化が必要で、日本共産党の政権参加が不可欠。

③そのためには、多くの国民が警戒心を持っている共産党の目指す理想の社会を明確にして、そこに欠点があればそれを修正することで、安心してもらう必要がある。

 

というもので、上記コラムの結論は「その理想社会は身近にもある恐れるに足らぬものかも」です。

 

しかし、この結論には多くの方が賛同できないでしょう。

日本人は、社会主義や共産主義(以下「社会・共産主義」)のもとにある社会を、バラ色の理想社会などと受け止める人はまずいません。一党独裁圧政下の自由もなければモノもない抑圧された暗い社会という受け止め方をしているのがほとんどでしょう。私自身も旧ソ連時代のモスクワに3年間住んで市民の生活を眺め、そういう受け止め方をしました。しかし、少なくとも本来の意味の社会主義社会は、私が住む答志島の和具浦地区では間違いなく存在し、部分的には共産主義社会も存在しています。もちろん、そこに住む漁業者は、そんな社会に住んでいるとは全く思っていませんが

 

このように、社会・共産主義社会とは、決して資本主義が立ち行かなくなった先にある革命や1党独裁制などの手段を通じてしか実現できないという恐ろしいものではないように思います。それは、今の資本主義社会の中でも、村社会共同体と協同組合制度が存在するところでは、経済の効率性と公平性が両立する社会が実現できていると思います。今回はなぜ私がそう思うかを以下説明します。

 

まずその前に、基本的知識の整理をしておきたいと思います。長くなりますが、だれにでも理解しやすい子供向けの解説書(「共産主義とは? 社会主義・資本主義との違いを子どもにも分かりやすく説明」HaguKumu小学館)からの引用です。

(共産主義、社会主義てなに?)

 

(1)共産主義とは

デジタル大辞泉(小学館)によると、次のように書かれています。

財産の私有を否定し、生産手段・生産物などすべての財産を共有することによって貧富の差のない社会を実現しようとする思想・運動。古くはプラトンなどにもみられるが、現代では主としてマルクス・エンゲルスによって体系づけられたマルクス主義思想をさす。

2 マルクス主義で、プロレタリア革命によって実現される人類史の発展の最終段階としての社会体制。そこでは階級は消滅し、生産力が高度に発達して、各人は能力に応じて働き、必要に応じて分配を受けるとされる。

ここで登場する「マルクス主義」とは、ドイツのカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスが体系化した思想のこと。資本を社会の共有財産にすることで、人々が協力して運営する社会を目指すことをいいます。

 

簡単にいうと?

つまり共産主義をわかりやすくいうと、資本や財産をみんなで共有する平等な社会体制のこと。土地や財産などはすべて国のものとなり、みんなで共有します。生産されたものもみんなのものとなり、均等に分配するという考えです。

マルクス主義思想では、資本主義は資本を持っている人が富を独占して、人々の間に貧富の差が生まれると考えました。資本家ばかりがお金を増やし、それ以外の労働者は一向に豊かにならず、資本主義社会の限界を見通したのです。

また、新しいものの開発は、過去の知識や多くの人の知恵が積み重なって生まれたもので、資本家だけが独占できるものではないと考えるのが共産主義とされています。

 

(2)社会主義とは

デジタル大辞泉(小学館)では、社会主義について次のように書かれています。

生産手段の社会的共有・管理によって平等な社会を実現ようとする思想・運動。空想的社会主義・共産主義・社会民主主義など。

2 マルクス主義で、資本主義から共産主義へと続く第一段階としての社会体制。各人は能力に応じて働き、働きに応じて分配を受けるとされる。1917年のロシア革命により、1922年に世界初の社会主義国家としてソビエト社会主義共和国連邦が成立したが、硬直化した官僚体制への不満などから1991年に崩壊した。

社会主義は、共産主義を実現するための前段階という考え方であり、共産主義は社会主義思想の理想形ともいえるでしょう。

 

簡単にいうと?

社会主義をわかりやすくいうと、資本は国のもので、国がそれらを管理して平等にする体制。個人が資本を所有することは認められません。

そもそも社会主義の考えが生まれたのは、資本主義による弊害が明らかとなってきたことがきっかけでした。資本主義では、企業や個人が自由に経済活動を行い、それぞれの利益を追求します。すると資本を持つ人とそうでない人との間に貧富の差が生まれ、資本主義経済の問題点が明らかとなってきたのです。

そして1917年のロシア革命を経て、旧ソ連が確立したのが社会主義経済の体制でした。社会主義では、資本主義の考えを否定し、それに相反する体制として生まれたのです。

 

しかし社会主義では、労働者がいくら頑張って働いても給料は上がりませんし、効率的に仕事をしようという努力も必要ありません。そのため人々の働く意欲が失せ生産性が低下し、経済が停滞するようになったのです。さらに旧ソ連の一部の共産党幹部が富を独占する事態も生じ、ついに1991年に崩壊。その後のロシアでは、資本主義経済が導入され資本主義化が進められました。

 

(共産主義は神々が住む空想社会で論外)

では、上の説明をもとにして、私の考え方を述べていきたいと思います。

資本主義による経済成長が地球温暖化を招き、経済格差の拡大が多くの人々を貧しくし、グローバル化が世界中での感染症蔓延を引き起こしました。温暖化、貧困拡大、感染症蔓延の3大悪化は、いよいよ資本主義に代わる新たな社会・経済のあり方への大きな転換を人類に迫っているといえましょう。

 

そこで、社会・共産主義がその解決策になりうるかについてです。いきなりですが「共産主義」はその解決にはなり得ないと強く思います。その理由は人間の行動本能から乖離した「空想社会」としか思えないからです。一番よくないのが「各人は能力に応じて働き、必要に応じて分配を受ける」です。このような考え方は、漁村社会においては絶対に出てきません。「なんなのそれ?」とその意味を理解できないでしょう。

 

まず、「能力に応じて働き」ですが、常に勤務評価を受けているサラリーマンであれば、それほど違和感はないかもしれません。しかし、自営業を基本とする漁村社会では「能力もクソもあるか!食べていくために働いているだけ。能力に応じて働くなど、そんな甘い社会ではない!」と必ず言うでしょう。

 

漁村社会の人々は本当によく働きます。押し車につかまらないとまともに歩けない超高齢者までが、息子夫婦のために毎日浜作業を手伝っています。中には亡くなる数時間前まで働いていたお婆さんもいました。これを見て、共産党の幹部が「この婆さんの能力は・・・」などと評価するのでしょうか。そもそも「能力に応じて」などの発想の原点はどこから生まれるのでしょうか。

 

モノづくりやカネ儲けのために役立つ才能が能力の判断基準とすれば、人間を生産効率のための機械としか見ていない資本主義の強欲社長と共産主義も根底で同じとしか受け止められません。能力とは何を基準に、だれが判断して決めるのでしょうか。老若男女、人それぞれには、得意不得意があり、生まれ持った能力には評価基準からして当然違いがあります。全知全能の神にでもならない限り「能力に応じ」など、誰にも判断できません。共産主義ではそれが可能だとするのでしょうか。これこそ共産主義が皆から嫌われる唯我独尊・無謬・全体主義ではないでしょうか。「社会が求める能力に応じて働く」ことが理想ではなく、「それぞれが生まれ持った能力を最大限生かして働くことができる社会」こそが理想だと思います。

 

 次に「必要に応じて分配を受ける」ですが、さらに理解ができません。「必要に応じ」には、客観的な基準などあるのでしょうか。より良いものをより多く求めるのが人間の性(さが)というものです。「どうぞ、あなたからお好きなだけお取りください」という神様のような人間ばかりであれば、うまくいくかもしれませんが、必要というがままに分配すれば、半分もいかないうちに分配するものがなくなるでしょう。結局共産党の幹部が「必要」を決め、国民に分配を押し付けるしかないでしょう。

 

共産主義の理想とするこの社会のこのスローガン自体は、社会主義運動の中において一般的なもので、マルクスが言い始めたものでないそうですが、私としては、現場で国民とともに働いたことがない学者インテリが頭の中で考えたユートピアと思います。神となった共産党幹部と、神となった国民を前提としないと成り立たない神々の住む共産主義社会など空想社会であり論外だと思います。

 

(社会主義から学ぶべきことは「生産手段の共有・管理」で十分)

 

 一方、社会主義は資本主義に代わる新たな社会・経済のあり方として、より現実的であると思います。社会主義と共産主義の違いを簡単に言えは、共産主義が生産物の共有(私有財産の否定)までを目指すのに対し、社会主義はその手前の生産手段の共有までに留め、生産物は必要に応じではなく、その働きに応じて受け取ることです。人間が働く原点はよりよい生活を送りたいためであり、そのインセンティブを失わせる私有財産を否定した共産主義社会には、(私のような???)神様しか住めません。

 

 社会主義の良いところは、生産手段の共有・管理までにとどめていることだと思います。この「生産手段の共有・管理」が非常に重要だと思ったのは、今回社会主義を勉強したからではありません。もう6年以上前になりますが、このブログ(2015年2月3日)「トマ・ピケティ著『21世紀の資本』からITQを考える」の中で触れていることに一致したからです。なお、ピケティ自身はマルクスの資本論を読んでいないらしく、別のアプローチから同じ結論に達したところに説得力があると受け止めました。

 

 『21世紀の資本』は、700ページにも及ぶ学術書でありながら世界中で150万部(当時)も売れた、画期的なベストセラーであり、資本主義がもたらした深刻な経済格差の要因について分析したものです。そこにある格差拡大の力「不等式:r>g」は有名になりましたが、rは「資本年間収益率」で、gは「経済成長率」です。

 

rがgを大幅に上回ると、資本からの所得(不労所得)のほうが労働から得る所得より圧倒的に大きくなり、働かなくても資本を持った人間の方がますます豊かになるということです。金融危機後において、増えた所得のなんと93%が、上位1%の富裕層のものになった(「アメリカで1%の勝ち組が持つものは?」小野亮/安井昭彦:みずほ総合研究所)という事実がそれを証明しています。

 

トマ・ピケティによれば、過去においては戦争や大恐慌により格差の是正が図られ、その復興時において富が多くの国民に行き渡り、経済も成長し生活が改善したとのことです。ということは、そのような大規模な戦争が核兵器の出現により起こりにくくなり、また大恐慌も各国政府の連携により抑制される時代になって、格差拡大が止まらない時代となったということです。よって、格差の是正のために残された手段として、特定の者に資本が集中しないような新たな経済システムが必要ということです。

 

なお、少し横道に入りますが、異常に富を蓄えるに至った資本家にも、格差是正によるメリットが及ぶという、一見矛盾するが正しいという見解がありました。それは意外にも江戸時代の寛政の改革と天保の改革において行われた格差是正策ともいえるともいえる棄捐令(旗本が札差から借りている膨大な借金の棒引)についてです。

 

戦争がなく泰平の世が続いた江戸時代では、放っておくと格差が無限大になるのを、富豪の債権放棄で是正したのです。OECDも経済格差が拡大すると経済が低迷するといっており、それを江戸時代の勘定奉行も知っていたとは驚き。今よりも経済というものがわかっていたのかもしれませんね。現在の格差拡大是正策にも通じる見解で大変興味をひかれましたので以下に引用します。

通説では棄捐令の借金棒引きは、困窮した武家を救済するための苦し紛れの方策と位置付けられてきた。しかし、歴史学者の山室恭子は幕府も武家も商人にも利を与える成功した政策だったと述べている。山室は、天保の無利子年賦返済令の際の当時の勘定奉行の発言に「延享3年から寛政9年までは52ヵ年、寛政9年から今年までは47ヵ年になります。およそ50年に一度、借金を破棄する措置を実施しないと、かえって世上の金銀が流通しない原因となってしまうと存じます」というものがあり、幕府側に定期的に金を吐き出させる意図を持って行動していた事実を指摘。棄捐令や貨幣改鋳などの政策は一時しのぎの場当たりな政策ではなく、一定間隔で行われる商人への一括の課税であり、同時に豪商に退蔵される貨幣を吐き出させ、貨幣供給量を増やすことで経済の停滞を防ぎ経済活性化する富の再分配の施策であったと主張している。(ウィキペディア 松平定信 より)

話をもとに戻します。トマ・ピケティは、格差是正のための政策として、累進資本税のほかに、資本を誰が所有するかについて「民間所有と公共所有の中間にある共有所有権を創ることが、これからの世紀の大きな課題」としています。この「中間にある共有所有権」を読んでふとひらめいたのは、これは資本主義(民間資本が主体)と社会主義(公共資本が主体)の中間の経済体のことではないかでした。これこそ、資本からの受益が、その資本を稼働させている労働者にも及ぶ協同組合組織的な資本ではないかと気が付いたわけです。

 

(社会主義の失敗は資本の所有と管理の主体に国がなったこと)

 

 あらためて、上に掲げた社会主義の説明文を見てみましょう。そこには、「資本は国のもので国がそれらを管理」とありますが、ここに2か所「国」が出てくること、これこそが旧ソ連の社会主義が失敗した根本的要因だと思います。説明文にある

 

「硬直化した官僚体制への不満」

「労働者がいくら頑張って働いても給料は上がりませんし、効率的に仕事をしようという努力も必要ありません。そのため人々の働く意欲が失せ生産性が低下し、経済が停滞するようになった」

「一部の共産党幹部が富を独占する事態も生じ」

 

などは、すべて国が資本を所有・管理する、特に管理における硬直的な官僚制の弊害と共産党の1党独裁が、平等な社会を実現できなかった要因であったといえるでしょう。よって、社会主義の失敗から学ぶとすれば資本の所有と管理の権限を国ではなく、直接個々の国民に移行すれば、その弊害が取り除かれるのではないかと思います。

 

(社会主義の欠点は協同組合方式により是正できる)

 

 私は三重県に移住して9年間たちましたが、この間、漁連と2漁協の役員としてその運営にかかわってきました。役人時代にも3年3か月間、水産業協同組合法を所管し、全国の漁協系統組織の指導に関わる仕事をしました。その時には協同組合とはそういう組織という程度の感覚しかありませんでした。しかし、実際に現場で漁協の活動を見ると、格差を拡大させないと同時に、組合員の労働意欲も阻害しない、いという点で、本当によくできた組織であると実感しました。そのポイントを二つ説明します。

 

まず、1点目です。

漁協の資本は出資金という名称で、組合員が持ち寄ったお金でできています。組合員でなければ出資できません。よって、株式のように自由な売買もできません。漁協が生み出した富はあくまで組合員にしか還元されません。ここが非常に重要です。年度末の決算において剰余金が生じた場合は、剰余金処分案が総会に提案され組合員による承認が必要です。つまり、富が外部に流失しないのです。漁連や漁協は多くの子会社(株式会社)を有していますが、株主はすべて漁業団体だけなので、その利益も組合員にのみ還元されるのです。

 

個々の組合員に対する利益の配当方法には、①事業利用分量配当と②出資配当の二通りあります。①は組合員に組合の事業を利用していただいたことから剰余金が出たのであり、その事業利用額に応じて「お返し」するという趣旨です。②は組合員の出資金の額に応じた配当で、株式会社における株の所持数に応じた配当と同じですが、出資額の年1割以内と上限が決められており、また、出資できる額そのものにも制限があり、特定の組合員が多くの出資金を所有することはできないようにもなっています。

 

このような資本の所有制限が大きなメリットを挙げている例を説明します。農林漁業者から集まった100兆円近い巨大な貯金を運用する農林中央金庫もその出資者は農林水産団体のみです。よって、規制改革を通じ株式会社化させることで一部の資本家がその利益を得ようと虎視眈々と狙ってはいますが、今のところ、その富はすべて全国の農林水産漁業者に還元されます。その還元額はバカにならず、小さな県域の信漁連では利益の半分近くを農林中金からの配当金が占めています。

 

ふつうの銀行に預けてもゼロ金利なのに、これは本当にありがたいことです。では、その普通の銀行の生み出した富はどこに消えていっているのでしょうか。まさにこのあたりに格差拡大の元凶があるのでしょう。組合への出資の資格制限を株式会社に当てはめると、株式に取得制限があり、単に金を持っているだけでの資本家は取得できないということです。こうすれば、93%の所得が1%に富裕層に持っていかれることはないのです。

 

そこで、株式会社を協同組合的組織に移行する際の、私のイメージを簡単に説明します。

株式会社の場合においては、公開された株式市場においてはだれでも金さえ出せば取得できますが、協同組合的社会での株式の取得は、その会社の役職員という生産者と、その会社が生み出すモノやサービス(実体経済)を購入する個々の国民(外国人も含む)という需要者にのみ認める、言い換えれば「働かざる者、投資するべからず」「消費せざる者、投資するべからず」の社会にするのです。

 

このやり方であれば、不等式「r>g」にあるr(資本年間収益率)とg(経済成長率)がリンクし、実体経済の規模をはるかに上回る規模まで肥大し博打化した金融経済の規模も、実体経済との適切なバランスまで戻ってくるでしょう。コロナ禍にあって実体経済活動が低迷し、多くの国民が困窮しているにも関わらず、日経平均、TOPIXともに31年ぶりの高値水準(令和3年9月14日)というふざけた金融経済も是正されます。

 

例えば、天才的な人物が超越した技術やノウハウをもって、会社を興したとします。イメージとしては、GAFAの創業者です。これはこれとして人々の生活をより快適にしたという点で評価しなければなりません。しかし、世界一の大富豪(純資産23兆円)となった米アマゾン・ドット・コム創業者ジェフ・ベゾス氏の資産内訳をみるとそのほとんどが「自社株」で占められています。これがおかしいのです。

 

アマゾンはそれを利用する消費者があってこそ成り立っている会社です。当然そこで生み出された富を商品の購入者に還元しなければ、購入者には次の商品を買う金がなくなります。よってアマゾンの株購入権は商品の購入額に応じた比率で割り当てる(協同組合における①事業利用分量配当に該当)にするのです。ジェフ・ベゾス氏自身も自分の購入額分の比率しか株を取得できません。もちろん、会社本体の営業活動における利益からの役員報酬は別ですが、それも商品購入者が多数を占める株主総会でのチェックを受けるので、たとえ創業者であってもほどほどの金額に抑えられるはずです。

 

このようなやり方であれば、資本が生み出す富が需要者である多くの国民に還元され、今のように1%の富裕層に93%が滞留することなく、短期間のうちに実体経済での消費となって企業にも売り上げとして還元されるというお金のめぐりのよい循環型経済となります。資本の取得制限が格差を是正し、経済の安定と公平な社会を実現する、これは江戸時代の棄捐令と同じ趣旨ですが、より穏やかな現在的やり方と言えます。

 

資本(お金)そのものは生産手段に不可欠であり、いかなる社会制度であっても必要なものです。それを国家ではなく、個々の国民が幅広く取得できるようにする。言いたいことは、資本(生産手段)を国有化しなくても、協同組合方式のような取得制限により、公平な社会という社会主義の目的は果たせるということです。まして革命や一党独裁などは全然必要としないと思います。

 

次に2点目です。

 社会主義が失敗したのは、国が資本の管理を行い、その硬直的な官僚制と共産党の1党独裁による弊害でした。この管理の面でも協同組合制度では大きく異なります。組合の資本は組合員からの出資金と言いましたが、出資額の多寡にかかわりなく総会における議決権は1人1票です。これは株式会社での株主総会議決権が所有株数に比例するのと大きく異なります。特定の大株主の思うがままの会社運営や利益配分ができません。協同組合とは民主主義に基づく経済事業体であり、資本家が共産党に代わっただけの社会主義ではないのです。よって、上の説明文にあった「硬直化した官僚体制への不満」「いくら頑張って働いても給料は上がらない」「共産党幹部が富を独占」などが生じないのです。

 

(農業経済学者による協同組合の再評価)

 

JA.COM 農業組合新聞に「協同組合の原理論【森島 賢・正義派の農政論】」(2021年4月5日)が掲載されていました。私はこれを読んで非常に気を強くしました。協同組合が未来を救うは間違っていないようだと。森島賢氏は、元東京大学農学部教授で、現在は農業関係の各種審議会の委員などをなされている方です。

その冒頭に以下がありました。

協同組合は資本主義の経済組織ではないし、社会主義の経済組織でもない。この2つの組織の良いところを生かし、良くないところを捨てた組織である。そしてそれは、資本主義や社会主義の後に控えている、明るい社会である。農協は、それを先取りした、希望に満ちた組織である。

 

そのまんまですね。

ここに掲載されている内容は、私が上で言いたかったことをより適格、かつ、より分かりやすく解説されており、これさえ読めば、私の駄文を読む必要はありません。違いと言えば、私は漁協の視点からそう思い、森島賢先生は農協の視点からというくらいでしょう。よって、私が特にここはいいなーと思った部分を以下に引用してみたいと思います。下線と赤字は私が引き一部要約しています。最後にある基本所得保障(ベーシックインカム)と高所得者への重税についての見解は、非常に斬新で、久々の「目からうろこ」でした。

 

協同組合を経済組織の基礎におく社会は、資本主義社会とも違うし、社会主義社会とも違う社会である。それは、資本主義社会のような、格差の激しい社会でもないし、社会主義社会のような、生産性の低い社会でもない。そのような、平等で生産性の高い社会が可能か。それは、協同組合を経済組織の基礎におけば、充分に可能である。

 

・社会主義経済では、生産手段を所有する社会が、生産を支配し、生産したものを分配する権限を持っている。そして、その執行は官僚に委託する。官僚は執行を委託されただけで、権限を譲られたわけではない。だが、ここに思い違いがあって、官僚支配という反民主的な支配を行い易いことになる。また官僚は、委託された執行だけに関心を持って、生産性の向上に関心を持たない、という欠陥に陥り易くなる。

 

・協同組合では、生産手段を、組合員の全員が平等に出資した資金で買う。だから、生産手段の所有権は、組合員の全員が平等に持っている。それゆえ、生産を支配する権限と、生産したものを分配する権限は、組合員の全員が平等に持っている。このように、協同組合経済は生産手段の私的所有を認めないという点で資本主義経済とは遠く、社会主義経済に近い

 

・社会主義経済は、執行機関である官僚機構が、国民の意思から離れることがある。つまり、民主的統制が効きにくくなる。その結果、反民主的な圧政になりやすく、また、生産性を軽視しがちになる。これに対して、協同組合経済は単位が小さいから、直接民主主義が貫徹し、民主的統制が効き易い

 

・もう1つの協同組合経済が社会主義経済と大きく違う点は、協同組合経済が組合間の市場競争を取り入れることで、互いに競いあい、生産性を高めあっていることである。社会主義経済にはこれがない。このように、協同組合経済は、資本主義経済の市場競争を取り入れて、生産性の向上を計り、社会主義経済の平等を取り入れた理想の経済である。

 

・将来の経済構造についての論争で、基本所得保障(ベーシックインカム)と高所得者への重税があるが、これらは資本主義経済の生産構造を温存し分配段階で平等を計るもの。この2つは社会主義経済とは似て非なるものであり、協同組合経済とも原理的に相容れない。生産手段の所有者が分配を決める、という例外のない歴史法則に反している。だから、破綻するのは歴史的必然。

 

(まとめ)

皆さんおなじみの飲料品メーカー「サンキスト」は、今もってアメリカの「柑橘類生産者販売協同組合」です。日本共産党が政権に参加するにあたり、その理想とする社会を資本主義と社会主義の中間にある共同主義(協同組合方式)にしていただければ、93%の富を手にする1%の資本家は猛反発しても、国民はもちろん大多数の良識的な経済人も安心できると思います。ご検討いただければ幸いです。

 

(93%の富を手にする1%の資本家のイメージ:ジャバ・ザ・ハット)

                                 (ウキペディアより)

 

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