IQこそが一番守られにくい

●なぜ水産庁は「IQ」の試験的実施に方向転換したのか

これまで、水産庁におけるIQ制度の導入にかかる検討会は2度開かれ、平成20年の一度目の検討会では

「漁獲量の迅速かつ正確な把握のための多数の管理要員が必要となるなど、多大な管理コストを要する」

などとの理由から導入されませんでした。前回に挙げたように漁獲量制限の守られにくさからも、正しい判断だったと思います。

 

ところが、平成26年の2度目の検討会では、水産庁は一転して、

「IQ方式が実施可能な魚種・漁業種に対して同方式を試験的に実施し、実際の効果等を検証する」

となり、かわいそうに、その実験台に北部まき網漁業のマサバ操業が選定されました。

その2度目の検討会の議論をまとめた「資源管理のあり方検討会:平成26年7月:水産庁」を読んで、どうしても理解に苦しむことがあります。それは、IQのメリットの一つとして

「漁獲枠を漁船毎に配分することにより、少ないTAC数量であっても資源管理の実効性を確保できる」

をあげていることです。

 

この点について、私の意見は全く逆です。「TAC」をIQにすれば資源(漁獲量)管理の実効性が確実に低下します

 

そもそも人間は他人のために自分が捕まるというリスクを負う違反はしません。鼠小僧やルパンは物語の中での話です。TACはみんなの共通財産のようなものです。自分の漁獲量を実際より少なくごまかして、その分あとで多く獲ろうとしても、そのごまかし分はみんなで使うTACに含まれているので、自分にはわずかしかメリットがありません。例えれば、泥棒してきたお金を、村の神社の賽銭箱に放り込むようなものです。

 

一方、IQであれば、自分のごまかし分がすべて自分の利益になります。それでなくても少ないTACを細分化すれば、まさに「雀の涙」のようなIQです。到底それでは食べていけません。捕まるというリスクはあっても、うまくごまかせば自分だけは生き残れます。だから違反がなくならないのです。どう考えても、少ないTACを細分化するなど「どうぞ違反してください」と促すようなものです。自分が漁師になった気持ちで考えればすぐわかることです。

 

なぜ、水産庁がこのような現場感覚からかけ離れたことを言うのかわかりません。おそらく、「IQで日本漁業を成長産業に」という規制改革会議の嘘に、コロリとだまされたオタク政治家からの天の声なるものがあったのではないでしょうか。そうでないと水産庁がIQに関する方針を一転した理由が、これでは全く説得力がないからです。

IQの試験的導入ありきで、その理由を、IQ・ITQ真理教学者がいう、そうしないと先取り競争でTACをオーバーするという嘘をなぞるしかなかったのではないかと推察せざるを得ません。

 

少ないTACのときは、支援措置のもと休漁期間を延長するとか、北海道の日本海側のスケソウダラの沿岸漁業者のプール制で「自分だけは・・・」という仲間が出てこないようにすればよいのです。少ないTACをわざわざIQにしようとするのは、日本の漁業者を犯罪人に仕立てようという企てではないかとさえ思います。なぜなら、「こんなに違反が多いのは漁業者が多すぎるからだ。だから漁業者を減らすには、ITQが必要だ」という彼らのシナリオにぴったりですから。

 

それからもう1点、IQにしないとTACがオーバーしそうな時に、誰を捕まえていいかわからず、取り締まれないと思っている人がいるかもしれませんが、ご安心ください。TACをオーバーしそうなときには、あらかじめ想定した期日を定めて漁業者に一斉に採捕停止命令を出します。その日以降はだれでも捕まえられます。

     海洋生物資源の保存及び管理に関する法律(TAC法)

(採捕の停止等)

第十条   農林水産大臣は、大臣管理量の対象となる採捕の数量が当該大臣管理量を超えており、若しくは超えるおそれが著しく大きいと認めるとき、又は大臣管理努力量の対象となる漁獲努力量が当該大臣管理努力量を超えており、若しくは超えるおそれが著しく大きいと認めるときは、農林水産省令で、期間を定め、当該大臣管理量又は大臣管理努力量に係る採捕を行う者に対し、当該大臣管理量又は大臣管理努力量に係る特定海洋生物資源をとることを目的とする採捕の停止その他当該特定海洋生物資源の採捕に関し必要な命令をすることができる。(知事管理も同じ仕組みです)

 

 

  • IQ取締りの予算は無駄の典型、まして漁港予算を使うなど愚の骨頂

 

平成20年に開催された検討会で、水産庁がIQの取締りに436億円の費用がかかるという試算を示したことがあります。IQ・ITQ真理教学者がその額に腰を抜かしたのかどうかわかりませんが、彼らの著書の中で

・NZは94魚種178系群をたった19億円で管理している

・仮にそれだけかかるとしても水産庁の漁港予算を回せ

と言っています。

 

しかし、「たった」とはいえ、NZの19億円を日本の漁業者数(NZの約20倍)に引き延ばすと、19億円×20=360億円であり、水産庁の試算額もさほど外れたものではないと思います。また、漁港予算を取締りにまわせの主張は、規制改革会議がマスコミとともに喧伝してきた「公共事業悪玉論」による「地方切り捨て」路線に乗っかっただけの思いつきかもしれませんが、私はどうしてもその先を考えてしまうのです。

 

すでに漁港予算はピーク時の40パーセントまで減少し800億円台です。私も漁業現場を経験して気が付いたのですが、漁港はいたるところで老朽化し、また地球温暖化が要因と思われる異常気象の多発による災害も増えてます。財政悪化もあり、将来その改修費用すら確保できなくなるのではないかと心配な状況です。

 

「資源と漁港どちらが大切か」と問われれば、昔の私であれば、当然「資源」と答えたでしょう。資源がなければ漁港があってもしかたがないというわかりやすい理屈からです。しかし、漁業現場を経験した今は違います。「漁港あるからこそ資源が利用できる」です。

実際に漁村に住んでわかった漁港の大切さを、漁港漁場漁村総合研究所の「漁港漁場漁村研報No36(2014年10月)」に「漁村に生活してわかった漁港のいのち」として投稿させていただきましたので、ぜひ参照していただければと思います。

歴史的に見ても、良港無きところに漁業が発展したためしがありません。現に東日本大震災からの復興も、まず漁港の復興でした。「漁港を減らせ」は、「漁業者を減らせ」と同じです。そうして利用できなくなった資源をITQで自分のものに・・・。規制改革会議の考えはすべてそこにつながっているように思えてなりません。

 

漁業者にとっては、百害あって一利なしのIQ・ITQを導入され、そのうえその取締り経費として漁港予算を半減されたのでは、まさに踏んだり蹴ったりです。規制改革路線による20年にもわたるデフレ不況により国の財政は破たん寸前です。このような時にその取締りに、400億円もかかるIQの導入は愚の骨頂そのものです。

 

  • 上に政策あれば下に対策あり

 

今日本で、監督官が個別漁獲割当量の水揚げ地での立ち合い検査を行っているのは、日本海ベニズワイガニ漁業や、ミナミマグロ漁業などごく一部ではないかと思います。しかもそれらは決してIQではなく、あくまで個別漁獲割当量です

どこがどう違うのかを、一口で説明するのは難しいのですが、簡単に言うなら、沿岸国がその主権に基づき定めるTACを、TAC法のもとに個別分配するのがIQで、TACを設定せず、漁業法に基づき分配するのが個別漁獲割当と理解してもそう間違っていないと思います。

 

日本海ベニズワイガニ漁業では、韓国との協定で定めた共同管理水域という同じ漁場で韓国船も操業をしており、TACは設定していません。もともと漁獲圧力の削減を休漁期間の1か月延長で行いましたが、地元加工場の稼働率が落ちるのを是正してほしい、という要望があったため、休漁期間の延長をやめ、その1か月分に相当する漁獲量をそれまでの漁船ごとの漁獲実績から差し引き分配したものです。

 

ミナミマグロ漁業は、国際取り決めに基づき操業する漁業ですが、このような場合取締との関係で個別漁獲割当を行うのが一般的です。枠組みは2国間協定で違いますが、たとえば日本の水域で操業する外国漁船は、外国の港に水揚げすることから、その魚種がTACの対象であるかどうかにかかわりなく、すべて漁船ごとの個別漁獲割当とし、洋上でチェックできるようにします。

 

一方、日本でも資源管理のために漁業者が話し合いで決めた、自主的な個別漁獲割当の事例がありますが、そのための取締り経費など一円もかかっていません。なぜでしょうか。それは漁業者自身が決めたことで相互監視もあり、公的な取締りの担保がなくても守られるからです。

 

しかし、国が押し付けたIQとなるとまったく事情は違ってきます。IQとは資源管理に名を借りた資源の私物化とその先のマネーゲーム化(ITQ)を狙うものです。漁業者が反対しているのに、一部の強欲者の利益のために、規制改革会議が画策し、官邸から水産庁に命じて上から押し付けたIQなどだれが守るでしょうか。

 

取り締まりをやったことがない者が、異口同音にいうのが、外国ではIQは守られている、罰則を強化し一罰百戒の方針でやれば日本でもできるというものです。

しかし、「上に政策あれば下に対策あり」という言葉があります。

これは、旧ソ連時代の共産党の強権的な上意下達のやり方に対し、それをあれこれと結局骨抜きにしてしまう庶民の知恵をあらわしたものです。

 

さらにおもしろいたとえ話もありました。

それは、強権政治に翻弄される庶民をタイガ(針葉樹林帯)に住む小動物に例え、

「大風が吹いて木の上の方の枝は激しく揺れているが、木の根元に行くほど静かになる。ただし、時々大風でちぎれた松ボックリが落ちてきて、運の悪い動物の頭に当たる」

というものです。国際交渉で何が決まっても現場は関係なし、たまに運の悪い奴が捕まるというかつての北洋漁業を見事に例えています。一罰百戒などといっても、あいつは運が悪かっただけでは、違反の抑制に効き目はありません。

 

  • IQを強行すれば、資源管理どころではなくなる

宮城県における水産特区の時もそうでした。規制改革会議は、漁業者の猛反対を押し切ってでも強行します。むしろ反対すればするほど、「国民の皆さーん、見てくださあーい、これが既得権益にすがる悪い漁師でーす」という嘘をマスコミとタッグを組んでまき散らすので、手に負えません。

農協改革もそうですが、経済団体ご推薦の外国かぶれの学者の意見を、「あー、それいいねー」と多数をもって押し付ける。当事者の意見などどうでもよく、むしろ反対があればあるほど、「改革断行国会」なるネーミングで劇場化する。残念ですが、これが最近の民主主義の実態といえましょう。

 

何を言っても、官邸が規制改革会議のいいなりで、IQを押し付けようとするなら、そのうち漁業者はIQに対し何も言わなくなります。もちろん、素直に受け入れるのではありません。かつての北洋漁業や旧ソ連時代の庶民のように、面従腹背作戦への転換です。そうなれば漁獲データが正しいものかどうかは、漁師仲間でもわからなくなり、資源管理どころではありません。

守られないIQなど意味がないのです。

 

 

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