2 関連産業の視点から
- 「消える」が好きな日本人
2010年ごろ、インターネットで「食卓から消える」を検索し、ヒットした上位50件の書籍や報道番組等の紹介欄にあった食品名を調べたことがあります。その結果、水産物が43件と全体の9割弱を占め、マグロが25件と半分も占めていました。今回久々に、おなじ言葉で検索したところ、前回と比較し「バター」と「ウナギ」の露出度が高まった気がしましたが、やはり一番多かったのは引き続きマグロでした。
今回はじめて気が付いたのですが、この世には「食卓からマグロが消える日」と「日本の食卓からマグロが消える日」という、頭に「日本の」があるかどうかだけの違いの、全く別の著者の本が存在するのですね。本を売るためには、日本人の好きな「マグロ」と、危機感をあおる「消える」の組合わせが最も効果的なのでしょうか。
そういえば、IQ・ITQ推進派の著書にも「食卓から魚が消える日」「魚はどこへ消えた」があります。あまり大きな声で言えませんが、そのうち「IQ・ITQ推進派が消える日」という本が出版されないかと秘かに期待しています。メディアが大好きな「IQ・ITQ」と「消える」の組み合わせてあれば、ベストセラー間違いなしです。この私ですら一冊買いたいと思うほどですから。
- 未来ドキュメンタリー:あれやこれやが食卓から消える日
201X年、ついにIQ・ITQ推進派が政権を握り、IQ・ITQに逆らう漁師は追放されるという恐怖政治が始まった。表向きはIQを受け入れても、裏で漁業者による自主的管理できめ細かな調整をされては、最終目的のITQに移行できない。それを恐れたIQ政権は、面従腹背は絶対に許さないとばかり、全国からこわもての漁業監督官を召集し「IQ親衛隊(略してIS)」を結成した。
漁師にとって恐怖の的となったISは、全国各地で本物のISも顔負けの無慈悲極まりない取締りを行い、中でも最も小型魚を漁獲したとして、瀬戸内海船曳網漁業者Aが逮捕された。以下、裁判でのやり取りである。
マスコミは待ってましたとばかりに、このニュースを全国に広めた。次のターゲットにされたのは、神戸の名物くぎ煮であった。その原料はイカナゴの幼魚でありこれもダメになった。マスコミが取り上げれば取り上げるほど調子に乗る彼らは、とうとう言い始めた「資源に悪いと言えば、産卵魚を獲るのも同じ」と。明太子や数の子の加工業者も次々と倒産し始めた。
以上、IQ政権が登場後の「あれやこれやが食卓から消える日」という悪夢の未来ドキュメンタリーでした。
- 小型魚の漁獲が避けられない理由
決して漁業者は,自ら望んで小さな魚を獲っているのではありません。むしろ漁業者自身もできる限り価格が高い大きな魚を獲りたいのはやまやまです。しかし、漁業現場を経験すると、網に入ってくる魚の種類がいろいろあり、また同じ魚種でもその大きさが違うことから、特定の大きさのものだけを獲るのは、漁具の特性から無理だと思わざるを得ません。
例えば、私が経験した小型定置網を例に挙げましょう。初夏の頃定置網にはいろいろな幼魚が入ってきます。魚取部の目合いを大きくすればそれを逃がすことができると思うでしょう。しかし、特に価格の高い豆アジを逃がしては商売になりません。しかし、もっと根本的な問題があります。目合いを大きくすると、ちょうどその大きさに合う小さな魚がその網目にびっしりと刺さり、網が海水を透過できなくなり、あたかもビニール袋の状態になります。そうすると潮流の強い負荷がもろにかかり、定置網を固定しているアンカーすら引きずられ網全体の形状をゆがめてしまいます。そうなるとまったく魚が入網しなくなります。だからどうしても魚取部の目合いは小さくせざるを得ないのです。
一方、魚を網に刺して(絡めて)漁獲する刺し網では、比較的選択制が高いと言われていますが、それでも限界があります。その経験を水産経済新聞の連載で「刺し網もお手上げ」として紹介したことがありますので、ご参照ください。
魚を網で濾(こ)してとる漁法ではこの問題はみな同じです。特に、まき網漁業では、揚網中にそのようなことになれば、転覆の恐れがあり、乗組員の生死にかかわる重大問題となります。よって、まき網漁業では、イワシ網とサバ網の2種類を使い分けますが、いずれにしても大型魚のみを漁獲するという操業方法はあり得ないと思います。ただし、比較的小規模のまき網漁船では、魚を舷側までまき集めた段階で、大きな目合いと小さな目合いの2重になった網の部分に魚を集め、ファスナー付の小さな目合いの網を開き、小さな魚だけを逃がすという新たな方法に試験的に取り組んでいるということも聞いたことがありますが、一般的ではないようです。
このことからして、IQ・ITQ推進派が宣伝しているノルウエーの大西洋サバ漁業では、小型魚を漁獲しないように操業しているには、いつも眉唾してます。しかし、それが事実とすれば、以下の二つがその理由ではないかと推測しております。
<サバの年齢構成が異なる>
同じサバと言っても、大西洋サバはずいぶん長生きするようです。国際漁業管理組織であるICESの統計を見て驚きました。日本ではほとんど見られない6歳魚以上の魚が漁獲の半分近くを占めるときがあるのです。日本では稚魚の加入がほとんどなく、海に親魚しかいないような時でもせいぜい4歳魚が少しある程度です。もともと日本のマサバは3歳魚以上では体重があまり増えないので、それ以上大きくしても死亡率を考えると賢い操業とはいません。簡単に言えば、海にいるサバの年齢組成が違うから、比較する意味があまりないのではないでしょうか。
<年齢ごとの漁場形成が異なる>
日本の太平洋岸のマサバは、日本の沿岸から沖合域で生まれ育ち南北回遊を繰り返しながら一生を終えます。日本の漁場では幼稚園から養老院までが同居しているようなものです。一方、ノルウエーが漁獲している大西洋サバとは、ノルウエーの海域で完結する資源ではなく産卵場はアイルランドの西側・南西部にある(ノルウエー水産物協議会)ようですので、ノルウエーの漁場には夜の歓楽街のように大人(大型魚)しか回遊してこないのではないでしょうか。
前から是非やってみてもらいたいことがあります。バルチック艦隊のように大変な長期航海になりますが、一度ノルウエーの漁船に日本に来てもらいサバの操業をしていただいたらどうでしょう。そうすれば真実がすぐわかります。私の推測では、かつてノルウエーの有名な養殖会社が、日本で最新の養殖方法を見せてやると意気込んで進出してきた時に、台風、赤潮、河川水の影響など、静穏なフイヨルドの養殖場とあまりにも環境が異なることに驚き、這う這うの体で撤退したと聞きましたが、それと同じになるのではと思います。もしそうなれば本当のバルチック艦隊と同じになりますね。
PS:最近聞いたところでは、ノルウエーでも卓越年級群が発生し魚群の構成が若齢化したためか、200gほどの小型魚も漁獲されているようです。
- 関連産業を含めた魚の付加価値全体で評価を
IQ・ITQ推進派は、安い小型魚を漁獲する様を「うわっ、安っ。」「サバ漁業の未来を、絶賛投げ売り中ですね!」などと批判してきました。たしかに、それにより卓越年級群を潰すのはよくないことです。しかし、「安っ。」は、資源回復に成功しても付きまとう話なのです。例えば、かつてマサバが100万トン近く獲れた時に、1キロサイズの大サバが、ミール向けの値段しかつかなかったこともあったと聞きました。
では、魚の値段が安いのは悪いことなのでしょうか。決してそうとは思いません。安いからこそ、加工原料にして付加価値をつけることができる、安いからこそ養殖業も成り立つ、のではないでしょうか。
仮に狙ったとおりのサイズの魚を、狙ったとおりの量獲れる漁労技術が完成したとしましょう。そうすると自分さえ儲かればよいという規制改革会議の方々のような漁業者がいればどうなるでしょう。生産金額と操業コストのバランスからして、少ない漁船で高く売れる魚を少しだけ獲ることになると思います。なぜなら、それこそが投下資本やランニングコストに対する利益率が最も高くなるからです。「漁師が少ないことはいいことだ」の利益第一主義のニュージーランドやノルウエー漁業そのものですね。
漁業者はそれでよいかもしれません、しかしその資源が関連産業において生み出していた付加価値全体は減ります。加工業や養殖業により支えられていた地域の雇用の場が失われます。彼らがよくITQ導入のために使う詐欺師的3段論法の1段目「資源は漁業者だけのものではない」は、ここでは当たっていますね。
- 小サバの炙り焼き
私は、夏場、熊野漁協の魚市場の手伝いをしたことがあります。その時に中規模の定置網漁業者が、市場の横で漁獲物を選別していました。そこに一人のおばさんが毎日やってきてその選別を手伝いながら、15センチ程度の大きさの小サバを見つけると自分のかごに入れ持ち帰っていました。後で聞いてわかったのですが、そのおばさんは、尾鷲市の梶賀港の名物「小サバの炙り焼き」の加工業者の方だったのです。
わざわざ15キロ以上離れたところからきて、選別の手伝いまでして、しかも毎日定置網に小サバが入るとは限らないのに。仲買人にでも頼めばよいのにと思いました。しかし、それでは鮮度の良い小サバが手に入らないのです。定置網漁業者は、餌の価格でしか売れない小サバをわざわざそのために別においておくなど面倒なことはしません。餌にしかならない魚は、選別台での選別の対象外で、いろいろな種類が大小混じってまとめてせりにかけられます。そこには「山」と書いた札がおかれます。そう、ひと山いくらなのです。かわいそうにその「山」には、夏場というのに氷もかけてもらえません。氷代すらもったいないからです。
私の言いたいことは、漁業者から見ればどうでもよい安い魚かもしれませんが、それを高い付加価値のある製品にまで作り上げる加工場があり、それも漁村の雇用を支えていることです。そこまで含めてこそ、本当の魚の価値というものではないでしょうか。日本は、獲ってきてそのまま輸出して終わりのような底の浅い漁業国ではないのです。
魚が「安っ。」などと気安く言うな! まして「稚魚で村おこし」などと嘲笑したら許さないぞ!
- サンマ棒受け網漁業のイワシ選別機騒動からの教訓
この騒動は、今から10年ほど前に起こったことです。サンマ操業時に混獲されるカタクチイワシの脂がサンマの商品価値を下げるため、その選別のために搭載された機械が、価格の安いサンマ小型魚も洋上で選別・投棄するために使用されたのではないかというものですが、漁業者側がそれを否定したことから、その真相は不明となっています。
しかし、当時の限られた資料を読んで一つ印象に残ったことは、選別機の使用の有無は抜きにして、大型魚の比率が多かった年において、必ずしも水揚金額が向上したわけでもなく、むしろ大型魚が集中したことで、その単価が下がったとの見方もあったことです。同時に、中小型のサンマを利用する缶詰などの加工業者や、それを釣りの餌に使うマグロはえ縄漁業者が困ったのも容易に想像できます。
上で述べてきたように、水揚げされる魚の量とサイズを巡っては、漁業者と加工流通業者の間で利害の対立することもあり、当時のことをこれ以上詮索する気はありません。
しかし、この騒動において「サンマ関係者で得したものはだれもいない」とすれば、これこそ「大きいことはいいことだ」というような単純なものではないことを示した教訓であったような気がします。
以下後編に続く・・・
氷山物語その3
そろそろ南極海が近づいて、氷山が流れて来てもおかしくない緯度まで下った時のことです。朝食を終え船室にもどり、ベットで休んでいると「氷山だー」という声が聞こえてきました。枕もとのカメラを抱えてデッキに出て驚きました。始めてみた氷山は、イメージしていたものとは全く違う、まるで天空にそそり立つヒマラヤの頂上のような姿でした。その頂(いただき)は、少し緑色がかかった薄い白色で、それが深い灰色の空に溶け込むように見え、何か荘厳ささえ感じられました。これは、そんなに大きな氷山ではなく、3階建てのビル程度でした。
楽水誌で見て、このサイトを探しました。相変わらず元気そうで何よりです。
資源管理という点では、最近は話題が豊富ですが、特にウナギとマグロが気になりますが、ウナギはこれまでのシラスウナギの採捕状況から見て当然のことで、資源が枯渇するのは時間の問題なのは明らかだと思います。マグロについてもいろいろにぎやかですが、状況は似たようなもので、最近のマグロ養殖の実態をみれば当たり前のことでしょう。幼魚を採捕して種苗にしている限り、マグロ資源に影響があるのは当然で、よってたかってマグロ養殖に乗り出すほうが異常です。養殖業界にも問題があり、ハマチやマダイが安値安定で単価だけ見てマグロやクエ、マハタ、最近ではスマと新魚種に手を出すのが正しい方向とは思えませんが、原価割れで買いたたかれる生産者からすれば仕方ないことなのかもしれません。
水産庁に任せていては、資源管理はできないのでは?と考えてしまいます。