器病(うつわのやまい)から脱皮せよ(前編)

  • 「日本人が知らない漁業の大問題」という本

「今回の表題は何なの」と思われたでしょうが、私の持病ではありません。これは今年の3月に出版された「日本人が知らない漁業の大問題」(新潮新書)を読んで、この本から得られた教訓を私なりの表現で凝縮したものです。

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 この著者の鹿児島大学水産学部の佐野雅昭教授は、京都大学法学部→銀行マン→東京水産大学修士課程→水産庁という異色の経歴をお持ちの方です。私は、佐野さん(当時の呼び方、今は先生)が水産庁に入ってこられた時に、ご本人に「随分もったいないこと・・・」と言った記憶があります。このように、まったく違う分野の大学を卒業してから水産系大学に入り直し、水産分野でご活躍されている人が少なからずいらっしゃいます。その動機は「子供のころから好きだった魚の分野に」ということなのでしょうか。この逆、水産系大学に入ったが「子供のころから弁護士になりたかった夢はあきらめられない」と逆ルートに進んだ人は一人も知りません。そもそもそのような人が、水産系大学いるわけがありませんね。このようにお金や名誉以外で人を引き付ける力を持つのも第一次産業の魅力の一つかもしれません。

いずれにせよ、限られたマンパワーの水産分野にいろいろな分野の方が入ってきて、水産関係者の遺伝子が多様化することは大変ありがたいことです。でないと「ボトルネック効果」による弊害で、いくら問題点を指摘しても毎回同じことばかり主張して、全然進歩のない視野狭窄症的学者が増えてくる問題が起こりかねませんから。「いや、モー十分起きてますよ」という声が聞こえてくる気もしますが。

 

  • 基本的認識の一致点

私は、行政官として長い間資源管理に携わり、また退職後は漁業現場に身を置き、日本漁業の問題点を考えてきましたが、そこで得た結論は「日本漁業の抱える問題は、すでに資源ではなく魚価だ!」であり、このことを主張してきました。

そこを流通分野に詳しい佐野先生は

「資源管理も大切ですが、魚がいなくなるより前に、魚を食べる人がいなくなってしまいそうです」

と分かりやすく説明してくれています。

この「魚食崩壊こそが資源危機よりも大問題」とする視点は、宇宙人から地球人を見れば確かにその通りでしょう。ある試算では海洋におけるバイオマスの年間乾燥生産量を39億トンと推定(1975年)しています。その膨大な物質のうち地球人が利用しているのは、内水面を含めても湿重量でわずか1億トン程度であり、それが「資源」と呼ばれ、それ以外は単なる「物質」です。

この「資源」と「物質」を分かつものは「食べる・食べない」の境界線で、食べない領域が増えれば資源は減る。その地球人の中でも最も多く魚を食べていた日本人が「食べなくなる」ことこそが、最も大きな資源の減少要因。それに目を向けず、資源管理の一つの手段に過ぎないIQ・ITQというちっぽけなことを巡り多くの時間を議論に費やす、まさに佐野先生の表現をお借りすると「あまりにも愚かな」ということでしょうか。まったくその通りと思います。

 

  • 度胸がある本 輸出に警鐘

佐野先生は大変柔和な感じがする方ですが、この本を読んで驚きました。やさしい顔に似合わず大変度胸のある人だったのですね。まず、この本の帯(おび)文「マグロ?ウナギ?そんなの「危機」じゃない!」いいですねー。マスコミがこぞってマグロやウナギの資源危機をあおり、水産庁がその対策にシャカリキになっているときに、いきなり顔面に一発くらわせたみたいで、痛快です。おそらく編集者の意向も強く反映しているでしょうが、本の中身からして決してこの帯文が誇張とは思いません。

この本には佐野先生の得意とする流通分野を中心に10のテーマが掲げられ、そこではマスコミが流す論調はもちろん、行政施策、さらには漁業界自身すら正しいと思い込んでいる事柄まで「それ違うじゃないの」と本質論に迫り問題の提起をされております。私自身も今までなんとなくもやもやしていたことが、この本を読んでずいぶんすっきりしてきた気がします。

佐野先生は大変度胸がある、と思ったのは、水産物の輸出に対する問題点の指摘です。今、政府は「農林水産物・食品の輸出促進対策」を進め、漁業界においても全漁連が海外にアンテナショップを開設するなど積極的に輸出拡大に取り組んでいます。あの猿払村もホタテの輸出で潤っております。マサバ資源が回復してくれば必ず魚価の低迷が起こることを想定していましたが、かつては餌に回った小型サバが食用向けに輸出されるおかげで、価格維持に貢献しています。

これらを見れば、輸出を否定する理由は見当たりません。しかし、佐野先生はきっちりとこれに警鐘を鳴らしています。イケイケどんどんの風潮のなかで、これはなかなか言えることではありません。私もこれまで輸出についていろいろ自問自答し「うーん」と腕を組むだけでしたが、この本にドンと背中を押された気がしました。そこで、水産物の輸出について私の考えを少し述べさせていただきます。

私が輸出に「腕組み」せざるを得ない理由のうち、ここでは二つだけあげておきます。

一つ目は、輸出促進の見返りとして当然相手国から求められる水産物の輸入拡大による悪影響です。輸出に回る水産物は均等に日本の漁業者を潤わしません。よって、増える水産物輸入の影響を考えれば、総体としてはマイナスの方が増えてくるのではという危惧です。これは、貿易拡大により起こった輸出産業と第一次産業との産業間格差が、漁業界においても地域や漁業種類間で起きるのではないかという問題でもあります。

二つ目は、輸出が激減した時に国内市場に向けようとしても需要は急に回復しないことです。佐野先生も指摘している「儲けるから輸出に回すは危険な考え方」にちかいものです。例えば、ホタテは国内より外国からの引き合いが強く、輸出が大きく伸びている反面、国内消費が減っていると聞きます。そこに、韓国や最近の台湾のように原発事故がらみで日本からの輸入がストップされるようなことが起きればどうなるでしょう。

一晩で天国から地獄です。

それは大震災による例外中の例外との見方もあると思います。しかし、この1年間で50%も低下した原油価格の事例もそうですが、貿易品目には国際政治情勢や為替などの大きな変動リスクが伴います。万一の時に備え、耐えられる範囲内に輸出を抑えることも必要でしょう。その土地を離れられない第一次産業は、日本人を見捨て、とっとと外国に工場を移し、ちゃっかり自分だけは儲け続ける規制改革会議のお仲間のようには、いきませんので。

わかりやすいたとえで言えば、アメリカ大統領がGMやフォードに、日本やドイツへの自動車輸出を促進させるようなもので、外から見ればそんなことより世界一の米国内の市場を奪い返すことに力を注いだ方が、長期的にみればアメリカの自動車業界の安定のためになるのではないかです。

そもそも日本はこれまでの貿易黒字等により積み上げた対外純資産は24年連続で世界一であり、財務省が5月22日に発表したところでは、円安の影響もあり3年連続で過去最高を更新し、366兆円にも達したそうです。この上、第1次産業までが輸出に精を出せば、国際収支の不均衡は拡大する一方ではないでしょうか。

貿易黒字とは、輸出の見返りとしてのモノやサービスが日本に戻ってきていない、言い換えれば「輸出貧乏」の状態を意味しますので、決して良いことではありません。農林水産物の輸出促進は、目先の利益のために貿易制限の撤廃を狙う規制改革会議にそそのかされたもので、日本全体としての長期的国際収支をどうしていくのかという根本論のところでの議論が全く欠けているような気がします。

繰り返しになりますが、輸出に懸命になっている間に、国内市場はもっと輸入水産物の比率が高まってきて、輸出水産物を生産できる一部の漁業者以外は、輸入品により衰退していく。そのうえ、また原発が事故でも起こせば輸出も全面ストップ。これで日本の漁業は全てダメになるという恐ろしい未来が。しかし、輸出の邪魔者である国内の第一次産業などなくなってもらった方が都合のよい、「作るな買え」「獲るな買え」の経済団体には、バラ色の未来かも。

 

  • 佐野先生の本で一番気に入ったところ

初めてこの本の存在を知ったのは、なんと偶然みたネットでの記事です。そこには「他国の研究者から日本で食べた刺身でお腹をこわしたことがないが、自国に帰って食べるとお腹をこわすという話を聞いた」が書かれていました。一般的な記事にしては、なかなか鋭いところを突いているなと思ったら、この本の紹介だったのです。おそらく、この紹介記事を書いた人が一番気に入ったのがそこだったのでしょうが、私もまったく同感です。

それは、モスクワ勤務時代にヨーロッパ各国をよく旅行した時の経験からそう思っていたからです。ヨーロッパの魚屋は日本ほど、どこにもあるわけではありませんが、正直に言って、近くに魚屋があるのは、その姿が見える前に、まず匂いがしてきてわかるという状況でした。言わんとすることは陳列された魚の鮮度が、日本の魚屋には到底及ばないことです。カキなどを除くと生で魚を食べる習慣がないのですから、それで十分なのでしょう。別にそれがよくないということではありません。

しかし、帰国後しばらくたって、ホタテのEUへの輸出が衛生管理上の問題から禁止となり、HACCPなる初めて聞く基準を満たさないと水産食品が輸出できないという話を聞いて、苦笑せざるを得ませんでした。日本人は冷蔵庫もなかった時代から刺身を食べてきた魚食民族。佐野先生の言葉をお借りすれば「いろんな魚種が刺身で食べられていますが、お腹をこわす人は全国的にも年間を通してほとんどいないのです。これ自体が奇跡的で・・・」の日本に向かってあんな魚屋のEUが、何を偉そうに。小学生が大学生に向かって試験問題を出すようなもの。私は正直に言って、これは衛生管理に名を借りた貿易制限措置に違いないと思ったくらいです。

ところが今や、国内向けの製品を作る一般的な加工場すらHACCPの認証を受けるのは常識で、その見学では、まるで生物兵器製造工場に来たのかと思うくらい、入り口で厳重な衛生対策を求められます。その基準が間違っていると思いませんが「微に入り細に入り」で姑の嫁いびりのごとく、よくここまで考えついたものだと感心します。かなりのお金もかかるでしょう。本当にそこまでやらなければならないのでしょうか。食品販売会社に勤めている友人から、自分の会社は安全を売りにしていろいろ検査しているが、競合他社も検査項目を増やしてきて、ついに検査代でコスト割れを起こし、その商品を扱わないことにしたと以前聞いたことがあります。

佐野先生がズバリ指摘されているように、日本ではそんなことしなくても複雑な流通機構における多段階での、科学的測定能力をはるかに上回る目利きの官能的検査能力によって「刺身で腹をこわさない日本」を作り上げてきたというお話に激しく賛同します。

ここがこの本の一番重要な点と思います。佐野先生の主張に共通するものは、器(形式・制度・流行・雰囲気など)からその中身の是非を判断するのではなく、その中身から器の是非を判断するという物事の本質を外さない視点と受け止められました。

これまでの日本型流通機構よりも、外国由来の衛生管理基準を重んじる風潮が続くと、そのうち日本人はHACCPと書かれた器に入った魚しか食べなくなるのではないでしょうか。逆に言えば、HACCPの器にありさえすれば中身が「???」でも食べてしまうことととなり、冒頭に掲げた記述が「日本で食べた刺身でもお腹をこわしはじめた・・・」と修正が必要となる時がくるのではないかということです。

器と中身は切り離せない関係で、おいしく魚を食べるためには器は必要なものです。しかし、器を先に決めて中身を考える料理人はいません。しかし、今後はだんだんと

料理人:「お客さん、この刺身がのっかっている皿は1万円もする外国由来の権威ある陶工のものです、どうぞお召し上がりください」

お客:「それはすごい。器にお金がかかっている分、中身がくたくたなのはしかたがないね。ワサビの隣に腹薬がそっと添えられているところなど、気配りも憎い!」

となり、お客が器と中身の逆転現象をおかしいと思わなくなるのではということです。

今回のブログの表題を「器病(うつわのやまい)から脱皮せよ」とした理由はここにあります。

なお、器病は、日本人にしか発症しません。なぜなら、EUの人はもともと中身の判別が苦手なので、器にこだわるしかないのですが、中身の判別が優れている日本人が、器にこだわると退化現象を起こし、腹をこわすからです。

 

  • MSCという資源管理の器の問題

HACCPは食品衛生分野の認証制度ですが、資源管理分野にも同じような認証制度があります。佐野先生は「認証制度の罠」と称し、この分野の器にも警鐘を鳴らしています。資源管理の認証制度は二つあり、イギリスで設立された海洋環境協議会(MSC)と日本のマリン・エコラベル(MEL)です。

IQ・ITQ推進派が、外国のMSCを絶賛し日本のMELにケチをつけているのは、いつもの自虐・欧米礼賛合併症を患っているだけと思っていました。しかし、この本でMSCの設立経緯やその後の問題報道などを読むと、素直には受け取れない「きな臭さ」があるように思えました。資源管理とか消費者利益などきれいごとを言ってはいますが、結局自分たちの金儲けに都合の良い器を世界基準として押し付けるところなどは、IQ・ITQ推進派の手法にそっくりではないでしょうか。もしかすると彼らは、日本国内でMSC認証のお手伝いをしているとか、何らかの関係があるのかもしれません。日本がMSCの問題点を察知し、日本版の認証制度MELを立ち上げたことは誠に賢明な措置だったと思います。

 

  • 歴史と社会が資源管理を育てる

私は、欧米など外国と比較し、日本の資源管理が遅れているなど一度も思ったことはありません。世界的に著名な水産資源学者である米国のレイ・ヒルボーン教授が「世界の漁業の大多数にとって、唯一の現実的な解決策である共同管理が、世界の漁業が直面する諸課題の多くを解決できるという希望が得られる」としているように、それを得意とする日本型資源管理こそが、トラック1週分近く先を走っていると思います。このため、日本の方が周回遅れの彼らの後ろを走っているように見えてしまい、共同管理ができない彼ら(中身)ゆえにふさわしいIQ・ITQ(器)が、あたかも進んだ資源管理手法と素人の方には見えてしまうのではないでしょうか。

日本と欧州では漁業の歴史が圧倒的に違います。資源管理には室内実験がありません。しかも、資源は数十年の単位で変動を繰り返します。また、その海域の漁業特性という人間側の都合に応じその方法も異なります。よって、その国の資源管理の発展には、年月と地域でルールを話し合いそれを守る社会秩序を要すると思います。

資源管理に携わる者が必ず読む教科書ともいえる「水産資源学総論」(東京大学田中昌一教授著、恒星社厚生閣)に、

 

ヨーロッパでは第一次、第二次と2度の大戦があり、その期間漁業の操業はほとんど行われなかった。戦後漁業が再開されてみると、多くの資源の回復していることがわかり、注目された。

 

とあります。

昔この部分を読んだとき、海洋民族の日本人なら縄文時代から磯根資源の採捕を通じ知っていたと思われることが、つい100年前まで大陸民族のヨーロッパ人において認識されていなかったとは、信じられませんでした。しかし、彼らの偉いのはそこからで、それを数式に当てはめ資源学という科学に体系化しました。では、彼らの方がその後資源管理が進んだのでしょうか。そうとは言えません。HACCPがあっても刺身を食べるとお腹をこわすのと同じです。

世界的に普及しているMSCという器の方が見栄えはするでしょう。しかし、それにより「目利きの資源管理」ともいえる「漁業者による共同管理」の中身を退化させては本末転倒です。周回遅れの外国に、高いお金まで払って「資源管理のお墨付き」をもらうのは、本場パリの高級フランス料理店が、日本のフランス料理協会の格付けをありがたがるようにみえてしまいます。日本の資源管理の認証制度は、日本の得意とする中身にふさわしい器のMELではないでしょうか。もちろんMSCでないと買ってくれない外国にその魚を輸出する目的でそれを取得ということであれば、海賊に払う通行税のようなものであり、いちゃもんつけるより払った方が賢明でしょう。

以上、佐野先生の本に触発されて、私なりの「器と中身」論を披露させていただきました。

後編では社会・経済分野における「器病」について触れていきたいと思います。

 

氷山物語その6

 

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まだ5月だというのに、30度を超え真夏のようでどうしたのでしょう。その分氷山がより涼しげに見えてきますが。今回の写真も、いったいどうしたらこんな形ができるのか不思議な形の氷山です。のこぎりの歯のようでもあり、西洋のお城の城壁のようにも見えます。まさか、宇宙人が焼酎の水割りを作るために切り取っていった跡ではないでしょう。また勝手な想像ですが、氷山が大きく割れるときに、引きちぎられたのかもしれません。

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