再び現場に、今度は離島・答志に住む

 カキ剥きがきっかけでひどくなった手の炎症の痛みもあり、この1年3か月間、オカで漁協のお手伝いなどをしてきましたが、手の炎症も随分と良くなり、この7月1日から再び現場に戻りました。

 

しかも、今度は離島で、三重県下でも最も漁業が盛んな地域の一つと言える鳥羽市答志島の北東部に位置する答志町です。鳥羽駅の前にあるフェリーターミナルから途中「和具」という港を経由し、早い船だと約30分で到着です。以下に、答志島がどこにあるかの地図と、引っ越してきてから連日雨ばかりでしたが、ようやく晴れた合間に港の入口にある小さな丘から沖の方を撮った写真を掲げます。

答志地図

 答志写真

写真の左から、大築海島、小築海島、灯台を挟んで、遠くに愛知県の伊良湖岬と渥美半島の山々、手前の岩と重なった三角形の島が三島由紀夫「潮騒」の舞台、神島です。

 

答志町は漁業でだけではなく、なんといっても「寝屋子」で有名です。「それって何なの?」とご存じない方は、あのウィキペディアにおいて独立した項目「寝屋子制度(ねやこせいど)」として掲載されているほどですので、ぜひご覧ください。

 

今回も熊野の時と同じように、空き家をご紹介いただき、引っ越してまいりました。私が以前からお付き合いさせていただいており、三重県に来るきっかけとなった鳥羽磯部漁協の永富洋一組合長もこの答志町にお住まいです。

 

いまのところ、鳥羽磯部漁協の答志支所の市場の手伝いを1週間ばかり経験しただけですがすが、市場に揚がってくる魚の種類と量が熊野と比較し全く違います。伊勢湾の入り口に位置し外湾と内湾のちょうど魚の通り道なのでしょうか、すばらしい漁場に恵まれたところと思います。

 

信じられないことですが、昨年度の答志支所の水揚げ金額は、合併前の旧答志漁協時代を含めても、過去最高だったそうです。漁業と言えば衰退産業などと言われていますが、日本にはまだまだこのような元気の良いところがあるのですね。おそらく、寝屋子制度で培われた漁師の方々の団結心、助け合いの精神がそれを支えているのでしょう。規制改革と称し漁業者から資源と海を取り上げ、自分だけが成長すればよい、どこかの強欲連中とは全く違う世界です。

 

なんといっても、うれしいのは答志町には、若い漁師はもちろん、赤ん坊から高校生まで子供がいっぱいいることです。同じ漁業の町と言っても子供が一人もいなかった熊野の高齢者のみの漁村とはえらい違いです。TPPに参加さえしなければ、「地方創生」などのつじつま合わせの余計な施策をしなくても、地方はまだまだ自力で生きていけると思います。

 

ところで、「YOUは何しに答志島へ?」とよく皆さんに聞かれますので、次回から私が答志島で何をしたいのかについて、述べていきたいと思います。

1 comment for “再び現場に、今度は離島・答志に住む

  1. 中村繁太郎
    2015年10月6日 at 6:41 PM

    大変楽しく読みました、
    漁業の置かれている現状と私が生業とする農業では、多少の違いがあるように思いますが、第一次産業に携わる人の思いはそんなに違いはありません。
    あるとするならば、海が育ててくれると事、農業は土が育てるの違いぐらいではないでしょうか、農業は土作りが大切です、そして自分で種を蒔かなければ収穫がありません、俗に言う蒔かぬ種は生えない。です。
    今世間では、TPPが大筋合意と言っていますが、農業に与える影響は多大です。
    現在の農業の状況を考えるとき、工業製品輸出の代甲斐として安価な農産物の輸入が増えて農家の生活がおぼつかないのが現状です。
    企業が利益を出し、農地が荒れる。後継者がいない。生活が安定しなければ後継者は残らないのが当然です。一番大切な事は利益の配分がなされていない、これからもなされるとは思いにくい思います。
    漁業の現場を身をもって体験する事で何か違う物が見えると思います。

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