漁村と都会の高齢者との「結(ゆい)」構想(後編)

 本構想の社会・経済的狙い

 

この構想に近いものは、すでに農業分野ではシルバー人材センター事業において行われており、まったくあたらしい発想ではありません。新しい点と言えば、自宅から通うのではなく、都市部の高齢者が遠く離れた漁村に住むこと、無報酬を前提としていることなどでしょう。

 

ただし、本構想は現在の日本のおかれた社会・経済的状況を踏まえると、単に高齢者の人材活用と言ったものにとどまらず、いろいろな新たな意味合いを持ってくるような気がします。針小棒大と笑われそうですが、以下本構想の持つ社会・経済的狙いについて触れていきたいと思います。

 

1 自由貿易で日本は救えない

 

「結(ゆい)」構想を私が思いついた理由は、たまたまそのようなことを漁村で実践する機会を得たからです。では、私が都市部にいて普通の退職後の生活を過ごしていたとしたら、このようなことを思いつくことはなかったのでしょうか。そこで自問自答してみると、そうではない、やはり都市部にいても別の角度から同じようなことの必要性を感じ始めていたに違いない、そう思うのです。その理由は、現代の社会・経済が抱える深刻な問題の解決には、これまでのように外国に依存して豊かになろうとする自由貿易推進の施策をやめ、国民が互いに依存しあう国内循環型経済へと抜本的に転換しなければならないと思うからです。

 

というのは、我が国をデフレ不況から脱却させ、再び経済成長路線に向かわせる「最後の切り札」として打ち出された感のあるアベノミクスに疑問符が付き始めたからです。専門家でも評価が分かれるものを素人の私がとやかく言っても何の権威もありませんが、私ははじめからその効果に首をかしげずにはおれませんでした。あの「3本の矢」とは、すでに20年以上にわたり我が国で実施されたものの効果がなかった施策であり、しいて言えばその強力版です。例えれば、薬物中毒患者をより強い薬物で治療しようとするようなものです。アベノミクスでは本質的な問題解決にはつながらず、1%の人には快感が得られたとしても、99%の人はより強い副作用に苦しめられることになります。

 

私の予想が当たって欲しいと思うわけではありませんが、アベノミクス効果も一時的なものに終わるのでしょうか。唯一の成果とも言えた株価においても、2015年8月21日のニュースでは再び2万円台を割り込んだようです。それよりも本質的な問題があります。2015年8月17日に政府から公表された「2015(平成27)年4~6月期四半期別GDP速報」では、以下のように年率にして1.6%のマイナス成長となり、その大きな要因は外需(輸出)の落ち込みです。

 実質GDP(国内総生産・2005暦年連鎖価格)の成長率は▲0.4%(年率▲1.6%)となった。内訳は、内需が0.1%のマイナス寄与、外需は0.3%のマイナス寄与。GDPの過半を占める個人消費は、円安により輸入する原材料費が高騰し、食料品や日用品の相次ぐ値上げなどが相次いだが、そこに賃金の伸びが追いつかず消費者心理が冷え込んだ。外需は中国経済の減速などで輸出が落ち込んだ影響を受けた。

多くの国民の声を代弁すれば、「なに!円安になっても輸出が伸びない?話が全然違うではないか!」に尽きます。この2年ちょっとで為替レートが1ドル80円台から120円台と輸出価格競争力は3割以上も向上したはずなのに「なんだ!このザマは!」です。

円安という好条件にありながらも輸出が減り、逆に輸入品が価格高騰するデメリットのみが目立つということは、政府はもちろん、エコノミストやマスコミも事前に言わなかったと思います。失礼ですが「専門家とは全く頼りにならないものだ」ですが、頼りにならない程度ならまだよい、実はこうなることを知っていて嘘をついていたとも思えます。

 

というのは、今になって輸出が伸びない主な原因は「海外へ工場が移転したため」というからです。まさに「はー???」です。経済界は、海外移転ができない国内の農業・漁業などの第一次産業には「国際競争力を付けよ」などと偉そうに言っていましたが、自分たちの国内工場はとうに国際競争力を失い、さっさと日本人従業員を見捨て海外に移転し、ちゃっかり自分だけは儲けていたのです。

 

国内に工場や工員がいなければ、円安になっても輸出が増えないのも当然でしょう。誰がこんなバカな施策をしたのでしょうか。それは政府と経済界が「グローバル化」の美名のもとにやってきたことです。グローバル化とは、本来の貿易の姿である国内で満たせないものをお互いに交換しメリットを得るのではなく、いつの間にやら、最も生産効率の良い国で製造し、それを自国に輸入するというものに変質させてしまったようです。

 

これではTPPに参加しても、国内に輸出工場がないのではメリットはありません。その一方で、外国に譲歩して今以上に国内市場を開放し、国内に残った産業を一層窮地に追いやろうとしているのですから、経済が衰退しても成長するはずがないと思います。それでも政府や経済界は「TPPで経済成長を」と言っています。一部のグローバル企業を除けば、誰もそんなことは信じていないのではないでしょうか。

 

そろそろ日本人は、我が国は「安い原材料を輸入して、高い製品を輸出する」貿易立国でなくなった、むしろ自由貿易を促進するほど多くの国民にはデメリットの方が大きいという現実を認め、国内経済の再構築を真剣に検討する必要があると思います

 

2 他人依存をやめることが本質ではないか

 

それでもまだ「輸出は国家の生命線」という強迫観念が日本人に強くあると思います。それも無理はありません。資源に恵まれず狭い国土に多くの人間が住む日本は、食料やエネルギーを輸入しなければ生きていけない、だから輸出で外貨を稼がなければならない、と教えられ、信じてきたからです。その輸出が伸びないとすれば、「これは大変、いったいこの先どうなるのか」と心配になってくるのも当然です。

 

そうはいっても、現実では「自由貿易が進むほど、国民が貧しくなる」ことについて何かおかしいと思っていました。そこに民主党政権が公約にもないのに、突然「平成の開国だ」などと言ってTPP参加を打ち出してから、さらに危機感が増しました。当時、頭の体操的に思っていたことは「地球が一つの国になれば貿易がなくなるが、それで世界が不幸になるわけではない」「宇宙から見れば、地球国として鎖国した自給自足の経済である」という「貿易絶対善説」に対する素朴な疑問でした。

 

ちょうどその頃に読んだ本が、現在は経済産業省の室長で当時は京都大学大学院准教授であった中野剛志氏の対談集『グローバル恐慌の真相』集英社新書(2011年12月)であり、概要以下のような記述がありました。

 ・物事の本質は鎖国か開国かではなく、経済成長の要因を外に求めるか自ら作り出すかの違い。

・保護主義は鎖国にあらず。国内分業を勧め国民同士の結合を強めること。

・保護主義国の間の方がより貿易が盛んになる。その理由は、保護主義のほうが内需を拡大し経済が成長するので、逆に輸入が増える。

・貿易自由化が、経済成長をもたらさなかったという史実や実証結果を示している研究者もいる。

正直、これにはびっくりしました。常識の逆です。しかし、私の漠然とした疑問にピッタリの回答でした。さらに中野氏は、自由貿易の限界にも触れており、

 自由貿易の理論はものを交換すると効率がよくなるとか、消費者の効用が上がるといっているだけであり、そのもの自体をどうやって人間が作っていくか、どういう条件があれば生産ができるかという議論がまったくなされていない。

と主張しています。「TPPで開国を」などといっているが、他人に依存し、よい目に遭おうというだけともいえる、外国に買ってもらえるのがないときなどに、どうすればよいかについて答えていないとしているのです。

 

これを読んで私は、今後我が国が目指す方向は、外国への依存度を高める自由貿易の推進ではなく、国内に新たな仕事や富を創造する政策を推進することだと強く感じました。

 

それでも、外国に依存しない経済施策に転換すれば、国内経済がそう簡単に復活するのかと今一つ不安がありましたが、ウクライナ問題により欧米の経済制裁を受けたロシアに関する「ロシア経済を強靭化させつつある欧米の経済制裁 ―息を吹き返した国内産業、課題は中小企業育成―」(大坪祐介Japan Business Press 2015.8.22)という以下の記事を見つけ少し自信が湧いてきました。

 ・ロシア経済にとって今回が3度目の経済危機である。3度目の正直というわけではないが、今回こそルーブル安を前提にした経済モデルを確立しないと、ロシアの中長期的な成長は期待できない。

・具体的には、まず取り組むべきは輸入代替産業の確立だろう。実際、ロシア政府が欧米への対抗措置として食品の禁輸制裁を導入したことで、国内の農業生産、食品加工産業は着実に成長を実現している。

もちろん日本がロシアのように外国から経済制裁を受けることは想定できません。しかし、輸出は伸びない、国家財政は多額の借金漬け、日銀によりお金がジャブジャブ、の現状を考えれば、今後とも円安は進む可能性が高いと思います。とすれば、上記のGDPを押し下げた要因の一つである「円安により輸入する原材料費が高騰し、食料品や日用品の相次ぐ値上げ」がさらに深刻化し、実質的に経済制裁を受けたのと同じになるのではないでしょうか。

 

上の記事に習えば「日本も円安を前提にした経済モデルとして、国内に輸入代替産業を確立しないと、日本の中長期的な成長は期待できない」となり、「結(ゆい)」構想では都会の高齢者が国内漁業の漁獲量の増大や付加価値の向上に寄与することから、このような施策とも一致すると思います。

 

3 成長信仰からの脱却

 

経済成長率

上の日本の経済成長率の推移を見てどう思われますか。最近の約20年間の平均成長率は0.9%です。私は、十分に頑張っている方と思います。なぜなら、持続しない成長と持続しない衰退の繰り返しの天然資源を相手に、縄文時代から持続してきた唯一の産業である漁業を相手に仕事をしてきたからそう思うのです。そもそも「持続的成長」という言葉自体が有限の地球上においてはあり得ません。だれが考えても冷静になれば、持続的な成長など無理と思うはずです。自然界における無限成長は「がん細胞」だけとも言われています。皆さんの周りにやたら「成長、成長」という人がおれば、念のためがん検診を受けたほうが良いとお勧めください。

 

よって一般的に言われている「日本経済はいまだに長期停滞から脱却することができずにいる」という認識は、持続的成長という幻想を前提にした誤った考え方と思います。安倍内閣の成長戦略の目標とすべき成長率の数値は示されていませんが、すでに20年以上の結果からして「経済成長路線はすでに破綻、今後高い経済成長はあり得ない」という現実を国民は素直に認めるべきではないかと思います。

 

なお、トマ・ピケティ著「21世紀の資本」に、高い経済成長率を望むことへの警鐘があり、大変参考になりましたので以下にその概要を掲げます。

「21世紀の資本」第2章「経済成長」―現実と幻想 より抜粋

・今から私が強調したい論点は、21世紀には低成長時代が復活するかもしれないということ。もっと厳密に言えば、例外的な時期か、キャッチアップが行われている時以外は、経済成長というのは常にかなり低かった。

低い成長率でもきわめて長期にわたればかなりの進歩になる「累積成長の法則」を考えるべき。世界人口は1700年から2012年まで年平均たったの0.8%しか増えていないが、3世紀に及ぶと10倍以上増えた。

1年だけで見れば、年1%の成長はきわめて低くわからない程度であるが、1世代(30年)の累積成長率でみると35%(これだけでも大規模な社会変革をもたらす)、100年ごとに27倍になり、1000年ごとに2万倍以上になる

・1700年から2012年までの世界の平均成長率は、人口増加とほぼ同じ年0.8%。100年ごとでは、18世紀0.1%、19世紀0.9%、20世紀1.6%。

・重要なことは、世界の技術的な最前線にいる国で、成長率が長期にわたり年1.5%を上回った国は一つもないということ。

・多くの人々は、成長とは最低でも年3-4%あるべきと思っているが、この現実からすれば、歴史的にも、論理的にも幻想にすぎない。ロバート・ゴードンなどの経済学者は、

最先進国の成長率を2050年から2100年の間で0.5%以下になりかねないと考えている。

 

 

このような現実にありながら、内閣が変わるたびに中長期の成長戦略が提示されます。どうしてでしょうか。それは、過去の一時期のきわめて例外的な高度経済成長を経験した日本の国民には、「成長信仰」逆に言えば「ゼロ成長への恐怖心」があることから、時の政権として無理を承知でも出さざるを得ない、そして結果が伴わないことの繰り返しではなかったのかと思います。国民に対し「ゼロ成長への恐怖心」から脱却する生き方を提案する、これも「結(ゆい)」構想の持つ大きな意味合いでしょう。

 

資源の成長と衰退の繰り返しの中で生き抜いてきた漁業者には、そもそも「成長願望」はなく、あるのは「大漁願望」だけと思います。マイワシは、過去30年間程度の間に400倍の間で漁獲量が大変動しました。このようなものを対象にする産業など陸上ではあり得ません。このような大変動を生き抜いた漁業者感覚を身近に感じた具体的事例をあげましょう。

 

昨年は鳥羽市の安楽島地区では20年ぶりというイセエビの豊漁に恵まれました。私がお手伝いした漁業者の80歳を超えたおじいさんに「よかったですねー」と声をかけたら「イヤー悪い時もあるからねー」とそっけない返事。良い時には悪い時を思い出しそれにそなえる、悪い時には良い時を思い出しじっと耐える、この自然変動に逆らわずマイナス成長にも身をゆだねる漁業者の生き方こそ、「低成長時代を生きる智慧」ではないかと思います。結(ゆい)構想に参加される都市部の高齢者には、ぜひそれを感じていただき、皆さんに伝えていただきたいと思うのです。

 

4 いよいよアベノミクスも限界が見えてきたか

 

このような経済成長の限界下では、デフレ経済からの脱却を、ケインズ施策(需要喚起)やフリードマン施策(供給効率化)に求めても無力であり、財政赤字、格差拡大、実体経済低迷を招いただけではないかと思います。それは、この二つの施策は手法が異なっても、最終的には成長(需要拡大)によって需要と供給のギャップを埋めることを目標にしているからではないでしょうか。

 

アベノミクスの第1の矢「大胆な金融緩和」で、いくら世の中に金をばらまいても、需要が伸びないのでそのお金は実体経済に回らず、せいぜい株や土地などの投機的市場でバブルを生み出すだけです。

 

第2の矢「機動的な財政施策」によっても成長の限界にある限り一時的な需要喚起におわり、むしろそれによる財政悪化が実体経済をさらに悪化させることにもなりかねません。

 

第3の矢「成長戦略」が私に言わせてもらえば最もダメな施策で「規制緩和によって、民間企業や個人が真の実力を発揮できる社会へ」という奴です。成長しないところに規制緩和で競争をあおれば、パイが増えないのですから「コモンズの悲劇」におちいり共倒れになるか、強いものが弱いものからパイ(富)を奪うしかなく、格差が拡大し経済が一層低迷するのは当然の結果です。これを「真の実力を発揮できる社会」と誉めそやすのなら、泥棒やスリからも刑法の規制緩和で「私の真の実力を発揮できる社会にしてほしい」という陳情があっても断れなくなるでしょう。

 

以上、成長しない現実において、成長を前提としたアベノミクスの3本の矢はすべて成果を出すことはできないと思うのですが、どうでしょうか。私の考え方が間違っていればよいのですが、2015年7月2日に厚生労働省から発表された国民生活基礎調査では、2013年の1世帯当たりの平均所得が前年比1.5%減(8万3000円減)、生活が「苦しい」と感じている世帯の割合は14年7月時点で過去最高の62.4%に上ったとしており、いよいよアベノミクス破たん後の新たな経済施策を用意しておかなければならない時が迫ってきているように感じます。

 

 

5 需要と供給が一体化した国内相互依存経済の構築

 

経済学の「セイの法則」とは、簡単に言えば「物は作れば必ず売れる」という随分おめでたい楽観的な法則です。

 セイの法則(セイ法則)

「供給はそれ自身の需要を創造する」と要約される古典派経済学の仮説。

あらゆる経済活動は物々交換にすぎず、需要と供給が一致しないときは価格調整が行われ、仮に従来より供給が増えても価格が下がるので、ほとんどの場合需要が増え需要と供給は一致する。それゆえ、需要(あるいはその合計としての国の購買力・国富)を増やすには、供給を増やせばよいとする。(ウィキペディアより)

私は生物系学部の出身のためでしょうか、経済といってもそれは、人間と自然とのやり取り、人間と人間とのやり取りである以上、生態学の原則に従わざるを得ず、極端に言えば経済学とは生態学の一部ではないかとさえ思います。そういう観点から見ると、経済における法則とは、人間という生き物を対象としている以上、物理や化学の法則のような確実な再現性はなく、たまたまある時点の現象を切り取って説明しているにすぎないのではと思います。

 

需要と供給のアンバランスの問題とは、人間社会に分業体制が生まれてから生じ始めたのではないかと思いますが、人類を地域、国、地球などの単位で、大きな群れで生きる蟻として見れば、今でも経済の基本は自給自足のような気がします。自給自足においては食べない魚を獲りにいかないし、使わない道具を作ったりしません。

 

「セイの法則:供給はそれ自身の需要を創造する」が正しければデフレ不況に悩むことはない気がしますが、現実は、供給過剰で競争が激化し、給与が下げられ購買力が落ち、逆にモノが売れなくなるという「供給はそれ自身の需要を減少させる」という逆の現象が起こっています。よって「セイの法則」は経済成長が持続している間には当てはまりそうですが、成長が止まった時には、「需要が減少しないように供給する」に転換しなければならないような気がします。

 

ところが、今の経済施策は供給サイドにいる1%の階層(資本家、役員)が需要サイドにいる99%の階層(供給における労働所得で需要を生む国民)からこれまで以上に富を奪っているのですから、お金の循環が滞り経済が低迷するのも当然のことでしょう。これこそが「供給はそれ自身の需要を減少させる」原因と思います。

 

よって、供給側に需要を減退させないための利益分配を条件づけることで、「供給がまず需要を生み、需要が次の供給を支える」相互依存(自己再生型)経済へと回帰できるのではないでしょうか。安倍内閣は全体としては間違った経済施策をしていますが、企業に給与を上げよと要請しているこの部分は、正しいと思います。私の言いたいことは、「セイの法則」と一見似てはいますが、「作れば売れるのではなく、売れるように作れ」ということです。

 

その「売れるように作った」典型事例が、アメリカの自動車会社「フォード・モーター」の創設者ヘンリー・フォードの以下に掲げた「フォーディズム」と呼ばれるものではないかと思います。

 「フォーディズム」のうち特に注目する点(ネット情報:「Fordismと大量生産」より)

 

・フォーディズムとは、大衆車の大量生産・販売を行うにあたって確立した経営理念。企業活動を社会への奉仕ととらえ,消費者に対しては良質の製品を低価格で提供した。また、労働者には可能な限り高賃金を支払い,利潤は企業に内部留保し,外部資本家による,経営の支配を避けるべきとした。

高い賃金をもらった労働者たちが、その金でフォードの安価なT型自動車を買った。こうして、労働者の収入が増える→自動車の需要が増える→大量生産により自動車製造のコストが下がる→自動車の価格が下がり、労働者の賃金がさらに増える→自動車がさらに売れるという循環が生じた。

・ヘンリー・フォードの経営哲学は、今日私たちが「日本的経営」(終身雇用制と年功序列賃金制によって特徴づけられるとされる日本企業の経営方針)と呼んでいるものに近く、株主や銀行家のために利潤を追求するのではなく、消費者に安くて良い製品を提供し、労働者に高い賃金を支払って、社会に奉仕することを経営の目標とした。このため、フォードは、外部資本が経営に介入することがないように、自己金融による経営にこだわったという。

 

これこそ「売れるように作る」の自己再生型経済の典型でしょう。しかも、フォーディズムは日本的経営に近かったということは、今の日本の企業経営者が新自由主義にかぶれ誤った方向に進んでしまったということではないでしょうか。

 

漁業においても学ぶことがあるでしょう。「獲ってくる、養殖する、でも売れない」から、「獲ってくる中で買いたい人を作る、養殖する中で買いたい人を作る」への移行です。「結(ゆい)」構想では、都会の高齢者に高賃金を支払うことはできませんが、供給の現場に需要者を直接取り込むことで、その魚を買いたい人が増えることは間違いないでしょう。ささやかですが本構想によって「売れるように獲り・作る」自己再生型の漁業の取り組みに貢献できると思います。

 

 

以上、本構想の社会・経済的狙いについて述べさせていただきました。

 

本構想は、我が国が抱える大きな課題である高齢者問題と地方の活性化に一括して対応できるものと考えており、何とか実現できればと思うところであります。

 

氷山物語10

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雄牛を後ろから見たようなこの黒い氷山は、私が撮影した写真では珍しいものでした。というのは、南極海の夏は白夜でいつも明るい状態です。寝るころはまだ明るい、起きたらすでに明るい。朝日夕日の状態においては、私はほとんど寝ていたからです。しかし、さすがに2月の後半になると、夜が少し長くなりこのような写真が撮れるようになりました。逆光に浮かぶ黒い氷山もなかなかのものでした。

 

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